ものの本によれば1857年に岐阜県瑞穂市居倉の小倉初衛によって栽培され始めた御所系統の柿で、当初は「居倉御所」とよばれた。
その後、接ぎ木による栽培に成功していた同じ村の福島才治によって、「礼紀」の中の「富有四海之内」から「富有」の名がつけられ、品評会を通じて世に問われたんだそうだ。
原木が天神神社脇に今でも残っているようである。
岐阜城に上ったことがあるが、天守閣からの眺めは素晴らしい。
織田信長は真下を流れる木曽川とその周囲に広がる広大で肥沃な平野を望みながら、野望を膨らませていったに違いない。
そうした思いを巡らすのにうってつけの場所である。
初めは思っていなくとも、あの天守閣から四方を眺めていれば「天下を取る」という思いはふつふつとわき起こってくるはずである。
信長のころには、まだ富有柿は誕生していないが、別の種類の柿が人家の点在する辺りにはたくさん植えられていただろうから、黄金色の稲穂が刈り取られた後の平野のあちこちに、こんどは柿の朱が印象的に光って見えたことだろう。
その朱色の点滅はさほど遠くない京へと、高速道路を照らす街路灯のように一直線に続いているのである。
今際の際に「何か一つ食べさせてやろう」と言われたら、躊躇なく「熟柿 ! 」と即答できる身である。嬉しいものが届いた。
喜んでいたら、追いかけるように山形の友人からリンゴが届いた。
この友人からは自宅の庭に実った渋柿の渋を抜いたものをどっさり送ってもらい、毎日至福の時を過ごしたばかりである。
さすが食材の王国と言われる山形。リンゴも人後に落ちないようである。
落ちたリンゴを見て大発見したのはニュートンだが、届いたのは「こうとく」という種類で、能書きによると「今までになかった幻のリンゴと言われ、たっぷり入った蜜のため独特の香り、甘みがあり、味わいは最高です」とある。
「全国生産量の1%にも満たないため、1.5K、2K、3Kの販売になります。低農薬はもちろん天然有機栽培、自家製木質堆肥を使用して30年が過ぎました」という一文も添えられている。
ふ~む。まだ観察している段階で口にはしていないが、ただものではなさそうである。心してかからねば。
岐阜の友人から届いた立派な「富有柿」
山形の友人からは幻の「こうとく」が
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