平方録

わが庭の無常

大事件といってよい。

昨日、植木屋を頼んで庭の真ん中にあるナンキンハゼを切り倒してもらったのだ。
普通のありきたりの木ではない。何せ庭の真ん中に植えているくらいだから、大好きな樹種のひとつであり、シンボル的存在でもあったのである。

芽吹きはほかの木々と違って4月下旬と、寝ぼすけである。
葉はハート形で、風に揺れるさまは軽やかで涼しい。
葉が出そろうとひも状に薄緑色をしたたくさんの小さな花をびっしり咲かせ、蜜を吸いにハチなどの昆虫がやってきて大賑わいとなる。
成長が早くて木が柔らかいためか、昆虫にとっては樹液が吸いやすいのだろう。夏になると根元からぞろぞろと蝉の幼虫が地上に現れて羽化し、多い時は20~30匹ほどが群がって、さながらセミの一大団地の観を呈する。
その鳴き声の賑やかさといったら「これぞ夏 !」である。

秋が深まると、深まるといっても初冬のことだが、他の木々が皆葉っぱを落としてしまっている時期になると、ようやく赤やオレンジ色に紅葉して目を楽しませてくれる。
最初は緑色をしていた実は葉が落ちるころになると硬い表皮が少し剥がれ、中から白銀色に変わった実がのぞく。この白銀色は良く目立って紅葉と共にきれいなのである。
びっしりと成る実は食べ物が少なくなる冬場の貴重な餌として鳥たちの格好のえさとなり、早朝、陽が昇った直後などは食事に来る鳥たちで大賑わいする。

成長の早さは特筆もので、わが庭に植えたのは1999年の春だったと記憶している。親指2本くらいの太さで、高さが3メートルほどの幼木だった。
それがあれよあれよと、まだ20年にも届かないのに、高さは2階の屋根をはるかに越え、枝葉の広がりは庭の半分近くを覆うまでに育ってしまった。
他の木々の頭を越えてしまい、成長に障害となるくらいにまでになってきている。
葉が茂っている間はナンキンハゼの樹下には日が当らないから、日陰を好む植物以外は成長できず、真夏の太陽を遮って心地よい日陰を提供してくれるところは大歓迎なのだが、不自由な側面も無いではない。ただ、それは優先順位をどこに置くかの問題である。
初冬に葉が散り始めると、これまた風情があって落ち葉の散るところを眺めていたり、落ち葉の降り積もった上をカサコソ音を立てて歩くのもいいものである。

しかし、妻はナンキンハゼの良い面は認めつつも、現実的である。
道路に散った大量の葉は誰が掃除しているの?

樹木が葉を散らせるのは自然の摂理に従っているだけのことで、人間だって自然の一部だし、地球だって宇宙のほんの一粒の存在に過ぎない。
その摂理には従うしかなく、例外は存在しない。これは理屈でもあり、現実でもあって、これはこれで受け入れるしかないのだが、事は理性だけでは運ばないのもまた現実である。漱石先生も悩んだところである。
実際のところ2、3年前からクエスチョンマークを突き付けられ、その度に拒否し、無視してきたのだが、年明け早々だったか、突如「よし! 伐採しよう !!」と天啓のように決断したのが今回の発端である。
天啓だから理由なんぞない。だから天啓なのであって、そう感じ、そう思い至っただけのことである。

「じいじのお家は森の中にあるみたいだねぇ」と、実にうれしい感想を口にする姫がびっくりするかもしれない。
しかし、ナンキンハゼの両隣りに植えてあるハナミズキもカツラも随分と大きく成長した。そのほかの木々も健在である。西側の道路に面したところにも、もう1本のナンキンハゼが大きく茂っている。

そもそも世の中というものは「無常」なものなのである。





幹の直径は30センチ。2階の屋根をはるかに越えるほどに成長していたナンキンハゼの切り株。ヒコバエを期待しているのだが…。記念に幹の一部を3つ、椅子用に残した。
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