平方録

品格以前の問題

「人品骨柄というけれど、品位というのは大事ですな。憲法解釈を捻じ曲げてまで、数の力で我意を押し通すなどというやり方は、教養のかけらを少しでも身につけている人物には恥ずかしくてとても耐えがたい行為のはずなんだけれど」

去年の夏、国会でほとんど議論もしないまま、国民に十分な説明もしないまま、戦後の歴代内閣がやりたくても無理だった集団的自衛権行使を閣議決定と云う方法で決めてしまったアベ内閣。
憲法9条は自衛権は認めているが集団的自衛権は認めていない、というのがこれまでの憲法解釈である。
その解釈を閣議決定と云う方法であっさり変更してしまったんである。どう考えたっておかしいじゃないか。

冒頭に掲げたのは、その時、アベ首相というのはつくづく教養も品性のかけらも持ち合わせていないんだなあ。
侍であったならば絶対にやらないやり方だなあ。恥というものの考え方は持ち合わせていないんだろうかと、いささか呆れて書いた一文である。

今度は白昼の国会である。
衆議院の予算委員会の総括審議の最中。民主党議員が閣僚の政治献金問題について質問している、まさにその時、目と鼻の先で質問している議員に向かって自席に座ったまま「日教組どうするの」などと何度も野次を飛ばしたのである。
これには野次られた議員や民主党議員が怒るのも当たり前で、自民党出身の元副総理の予算委員長でさえ「総理、総理、ちょっと」とたしなめざるを得ないひどさであった。

実に醜いものを見せられてしまった。教養も品位もあったものではない。
見ているだけで、こちらが恥ずかしくなる。勘弁してよ、と言いたい。
あの呉服屋の番頭みたいな顔をしたタニガキとかいう幹事長さえもが「日本政治の最高責任者だから、野次にもそれなりの気品が必要だ」と顔をしかめる始末だ。
前代未聞と言ってよいのではないか。実に嘆かわしい。

こういう振る舞いは何故に起こるのか。
守勢に回らざるを得ない状態に直面して、普通の人なら、言葉を尽くし、論理を尽くして何とか説明しようとするだろう。切り抜けようとするだろう。それを端から放棄した姿である。
例えしどろもどろになりかけても、言葉を尽くして何とか切り抜けようとするのが普通である。
ましてや、国会と言う論戦の場ではないか。

しかるに、その説明を省いて「特定のキーワード」を持ち出して、一方的に大声で相手を驚かすように威嚇する。
多分相手が嫌がるだろうとか、自分が嫌っている物を指す単語が「特定のキーワード」ということだろう。多分、日教組というのが心底嫌いなんだろう。
それを持ち出し、相手の話を聞かずに大きな声を出す。
まさに論理や言葉で説明を尽くす、という行為を放棄して、感情をあらわにした姿がそこにあったのである。
言葉を持たない暴力の人や駄々をこねるときの聞き分けのない子供と変わらない。
そういう人が日本の現在の政治リーダーなんである。

恐れ入りました。



わが家の庭もだいぶ春めいてきた
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