今は風で倒れてしまって姿を見ることはできなくなってしまったが、3代将軍実朝を暗殺するために公暁が幹の蔭に隠れて待ち伏せしていた鶴岡八幡宮の“隠れイチョウ”をもしのぐ幹の太さのように感じられた。
前日吹き荒れた強風にも関わらず、天を覆うように広げた枝にびっしりとついた葉が真っ黄色に色づいて、それが一層、その木の存在を際立たせていたように思う。
藤沢の時宗総本山・遊行寺の境内にその大イチョウはある。
遊行寺は通称で、藤沢山無量光院清浄光寺というのが正式な名前である。
開山は踊念仏で知られ、全国を行脚したことで知られる一遍上人から数えて4代目の呑海上人と伝えられる。
鎌倉時代中期の1325年の開山で、正月の箱根駅伝の復路で、戸塚中継所のすぐ手前にある難所の「遊行寺の坂」の脇に建つ寺である。
一遍上人の修行や布教活動を描いたとされる国宝の「一遍聖絵」が公開されているというので、出掛けてみたのである。
全部で12巻あるそうで、遊行寺の宝物館と神奈川県立歴史博物館、県立金沢文庫の3か所で公開されている。
絹の布に描かれた絵は色彩が鮮やかで、筆致は微細を極め、しかも人物一人一人、一木一草に至るまで、よどみのない線で描かれた見事な絵巻物である。
一見の価値は確かにあり、わざわざ出掛けてきたかいがあったというものである。
こういう作品を描き、後世に残せる作品を生み出せる技量を持った絵師たちが存在しえたということの意味は小さくないように思える。
日本と言う国の底力というものを改めて知らされた思いである。
江ノ電に乗って鎌倉に出て、あちこち回った後、妻の習字の先生の先生に当たるお坊さんが住職をしている無名の寺に立ち寄ったところ、運良くその大先生が植木職人を指示しているところに出くわした。
小ぢんまりした寺だが、大きなタブの古木が印象的な寺である。
何となく、会話が成り立ち、何となくこちらの素性が知れ、その住職の弟子の弟子であることが分かったのもだから、一緒に行った友人が頼んだ御朱印に加えて、妻にはわざわざ墨痕鮮やかな一字を賜ったのである。
「夢」と書かれていたが、その形の良さと筆遣いの見事さは、素人の目にもはっきり分かるほどである。
焼鳥屋で忘年会をしながら、余白の素晴らしさやら、よどみのない筆の運びやら、たった一字を巡って、あれやこれやと感想を述べ合うほどのインパクトを与えてくれたのである。
この寺を訪れて見て初めて知ったのだが、何とこの寺の宗派は鎌倉では珍しい時宗のそれであり、まさに午前中訪れた遊行寺の末寺だったのである。
不思議な縁に導かれた1日であった。
こういうこともあるのである。
遊行寺の大イチョウ
遊行寺山門
江ノ電鎌倉駅
妻が教恩寺の住職からいただいた一字
教恩寺の御朱印
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