そのまま寝てしまったら1時間か1時間半は目覚めることがないだろうから、その後にいろいろ差障りが出てきてしまうのだ。
もっとも、現役時代と違うから時間はたっぷりあると言えば、ある。
気にする必要もないのだがルーティーンを踏み外すとなると、どこか気持ちが良くない。しっくりしない気持ちで1日を過ごすことになりかねない。
昨日の穏やかな秋晴れの日差しに誘われて掛け布団を干してたので、ポカポカと暖かく、とても寝心地が良かったのだ。
太陽光をたっぷり吸いこんだ布団は「お日様の匂い」がして、あれは格別に心が和らいでよく眠れる。
寝過ごしかけたのは、確実にそのせいだと断言できる。
閑話休題。最近、ジジイと言われても頷くしかない年齢になったせいなのか、言葉にすると「だらしなく」なってきた気がする。
もともとは子どものころから、どちらかと言えば几帳面で、寝る時は枕元に衣服をきちんと畳み、勉強机の上はきれい片づけ、よしんば本などを出しっ放しにしなければならないような場合には、縦横を机の淵の線にきちんと平行になるよにビシッとそろえるほどだったのだが、去年の暮れ辺りからそのタガが緩み始めたようである。
その最たるものが、居間兼食堂のテーブルの上に積み上げられた読みかけの雑誌や郵便物の類の「山」である。
それもご丁寧に同じ部屋の食卓のテーブルの上と掘りごたつを切ってあるところのテーブルの上の2か所に分かれている。さながら箱根の二子山のように…
さらに2階に上がればパソコンを置いてある机の脇には読みかけの本が数冊、平積みになっているし、サイドテーブルの上にも本やパソコンで調べてプリントアウトした紙類がほこりをかぶっているという具合である。
昔はこんな姿を見るのが何とも居心地が悪く感じられ、気持ち悪かったし、ズボンのチャックが開いたままのような感じさえして何とも落ち着かなかったのだ。
だから、よしんば山が出来かけるようなことがあったとしても、その期間はごく短時間で済んだのだが、今はまさに〝動かざること山の如し〟になってしまった。根が生えてしまった。
自分自身でも「あぁ、だらしないなぁ」と思う。
思いはする、感じはするのだがのだが、次の一歩は出ないままなのだ。そこが往時と決定的に違う。
これだけではない。今時分の朝昼晩で気温差が大きいような時期はなおさら顕著なのだが、羽織っていたものを脱いだりする場合、ソファーの上やら椅子の背に引っ掛けたまま、ひどい場合はあくる日も脱いだままの格好の形で放置されている事さえある。
妻は呆れて手を出さないから、そのままになっているという寸法である。
今のところ雑誌や本、手紙類と脱いだ衣服についてこの傾向が顕著に表れているが、こんな調子だとこれから先、他のものにも波及は必至だろうし、どんなことになるのか見当もつかない。
だらしなくなった。締まりが無くなった。ボケてきた。鈍感になってきたとか、挙げればきりがない。
何より、自制する心というものが失われつつあるのかなというような自覚もあって、ちょっとイカンなぁ、という気分である。
レジスタンス。抵抗運動の季節か。
箱根連山(左)と丹沢山塊を従えた初冠雪の富士山=片瀬西浜から
白砂青松と白装束の富士=茅ケ崎漁港脇から
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heihoroku
ひろ
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