元刑事。最後は地元採用組トップの総務部長に上り詰めた。思慮深く、悠揚迫らぬゆったりとした立ち居振る舞いの魅力的な人で、組織の人たちから慕われ、信頼されていた。
1999年ころ、捜査で押収した証拠品を使って女子大生を脅迫した警察官がいたり、覚せい剤を使っていた警察官を処分せずに隠ぺいし続けるなど、考えられないような不祥事が相次いで発覚した神奈川県警。この間、本部長の首が2人も飛ぶという事態を引き起こし、全国に大恥をさらしたが、この人が大幹部を務めていたころは平穏そのものだったような気がする。
もっとも、われわれが気づかないだけで、水面下ではいろいろあったのかもしれない。しかし、組織の中枢に職員から慕われ、信頼される人物がいたことで、仮に不祥事が起きても小さな芽のうちに摘み取ることができたのではないかと、今でも思っている。そう思わせるような人だった。
この大先輩を知ったのは40年前の駆け出し時代。
横浜市戸塚区にあったアメリカ海軍の深谷通信基地。西太平洋に展開する第七艦隊の潜水艦をはじめとする空母機動部隊に作戦命令などを伝達する役割を担っていた送信のためだけの通信基地だった。高性能で特殊な電波を使っていて、広大なまっ平らな敷地に高さ7、80メートルの鉄塔が十数本立っているだけ。大きな建物などもなく、夜は人気のない真っ暗になる場所だった。ここで事件が起きた。
1970年代半ばの年末。年賀状の仕分けのアルバイトを終えて基地に隣接する県道でバスを降りた女子高校生が、自宅に通じる道端の草むらの中から遺体で発見された。午後6時ごろにバスを降りたようで、まだ宵の口である。無残な殺され方だった、という。このときの捜査一課長がその大先輩。テレビの人気番組だった「事件記者」ではおなじみの光景だったが、殺人事件の記者会見というものを初めて体験し、説明する捜査一課長を見ながら、格好良さとその場の雰囲気にいささか興奮したのを今でも覚えている。
事件は米兵の関与が濃厚とされたが、米軍相手では捜査もろくにできず、捜査線上に浮かんでいた黒人米兵は事件発覚後、米軍によってさっさと帰国させられてしまった。日米地位協定の壁。そもそも簡単に命が踏みにじられる現実。理不尽。沖縄がなめている辛酸はここにもある。あった。
大先輩にはその後も様々なところでお世話になった。
故郷の北浦のほとりで余生を送りながら、季節季節に地元で取れたものだといって送ってくださる。
もう卆寿に手が届くところに来ているのではないか。今年も届いたのがうれしい。
鳴門金時にも負けない北浦産のベニアズマ
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