平方録

水害救助のライブ中継

鬼怒川という川を知らないわけではない。
河原にある水上アスレチックに出掛けて姫と遊ぶうち、器具から見事に落下し、澄んで流れる鬼怒川の水の中にドボンと落ちてずぶ濡れになったのは、ついこの前の8月下旬のことである。
その鬼怒の流れがもう少し下った茨城県常総市で堤防が決壊し、大洪水を引き起こしてしまった。

姫の家は鬼怒川から1キロも離れていないと思うが、河岸段丘の上に建っているので水害の心配はない。
しかも川幅は相当に広く、下流域で堤防が決壊している頃も、国土交通省河川局が設置している監視カメラの映像によると、姫の家が建つ地先ではさすがに普段水の流れのない広い両岸いっぱいに水が流れてはいるが、橋げた下にはかなりの余裕があり、決壊の恐れはほとんどないように見える。

しかし、日曜日の午後から降り出した雨は4日以上も激しく降り続いているのだから、下流域での水量は凄まじいものになっていて、危険は迫っていた。
上流の栃木県内に降った雨は、随所で例年の2倍から3倍にもなる600ミリを超していたのだから、なおさらである。
堤防が決壊したのは、気象庁が緊急会見を開いて「50年に一度の経験したことのないような大雨になっている」と特別警戒を呼び掛けてから4、5時間経った午後1時前のことである。

結果論だが、注意を呼びかける段階から避難を促す時期への切り替えには十分時間があったはずである。
気象庁なのか地元自治体なのか。ともかく、あれだけ長期間にわたって大量の雨が降り続いたのだから、下流域では時間を経るほどに水かさが増していくのは当然予想できるはずである。現実に水かさはどんどん増して行っていたのだろう。
中学生にだって分かる理屈である。
しかも堤防はどこが決壊するか分からない。とにかく安全な場所へ避難しているのが一番なのだ。

3時過ぎに何気なくつけたテレビの画面に、水浸しの家々の屋根に上がって助けを求めて布切れを振る人の姿を見て、釘づけにさせられてしまった。
決壊した堤防のすぐ脇で、激流の如く川からあふれ出る水流にさらされて今にも流されそうになっている家のベランダから、自衛隊のヘリから吊り下げられて降りた隊員が住民を助け出すところなどは圧巻で、これが現実世界の出来事なのかと目を疑うほどであった。

どういう加減であんなところにいたのか理解に苦しむが、決壊個所から遠くない、家々も途切れる辺りの水浸しになった地点の電柱の真下で、柱にしがみついていた男性が、やはり救助ロープで降りてきた自衛隊員によって救助される光景などをテレビカメラがライブで中継しているのである。
別の局では流される家の屋根にとり残された住民が、あわや濁流に飲みこまれたかと思うと奇跡的に何かにつかまっていて、そこに救助隊員が降りてきて間一髪救いあげるという、きわどい光景も繰り広げられた。

こういう光景のライブと言うのは、見ている人間は安全な場所にいて身の危険もないものだから、冒険映画でも眺めるように、気楽に見ているのだが、実は助けを求める人の必死な姿を目の前にして、こちらは何も手出しができないまま、それまで生きていた人間がぷっつりとこの世から消える瞬間を見ることになるかもしれない恐ろしい光景なのである。
フセインのイラク軍がクウェートに侵攻した20数年前の湾岸戦争当時、アメリカ軍が中心となってミサイル攻撃など繰り返してイラク軍を撤退させた際に、誘導ミサイルが目標に命中する光景などが、まるでゲーム機で遊んでいるかのようにテレビ中継された。それは、戦闘の最前線の現場という非日常が、突如、茶の間に飛び込んできたのと同じで、命中地点で粉々にちぎれて吹き飛んでゆく人間の姿こそ見えなかったが、その時の衝撃は今でも忘れられない。それに匹敵する光景が今度の水害救出劇だったと言ってよい。

すべての家々で人が救助を待っていたというわけでもないだろう。いち早く安全な場所に避難していた人たちも大勢いたんだと思う。
その判断の分かれ目は何だったんだろう。
助けられた人々にも、危険の中を決死の救助に向かった自衛隊や消防などの皆さんに対しても、ねぎらう気持ちは変わらないが、同時に、なにか釈然としない気持ちがオリのように心の底に残るのである。




濁流の中をヘリで救助される取り残された住民


屋根に上って救助を待つ住民2人と犬2頭。この後吊り上げられた=NHKテレビから
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