幕山の標高は620メートル。柱状節理がむき出しになった山肌を衝立のようにして、その手前のなだらかな傾斜地に約4000本の紅梅・白梅が梅林を形作っている。
街中の梅林の形よく整えられた所と違って、広々とした大きな空間に、それこそ一望できるように梅の花が咲いていて、見事というほかない。
5分咲きといったところで、見た目には十分に満足できる咲き具合である。
酒や地場の特産品を並べる店が並び、人出の方は平日のためか2、3分咲きといったところ。
とはいえ湯河原駅からのバスは座席がいっぱいになるほどだった。
しかし、こういう広々とした場所に散らばると、景色の中に吸収されてしまって、ほとんど邪魔にはならないのである。
カップ酒をちびちびやりながらおでんをつつく。
湯河原までの電車内に魚屋で買った貝ずくしの握りずしとカップ酒を持ちこんで喉を湿しながら来たので、ここでは1本でやめておいたが、他の2人は2本飲んで舌の回転を滑らかにさせて行った。
たまに、こうして会って酒を飲むが、たいした話があるわけでもない。昔から気の合う者同士、なんとなく一緒にいて同じ空気を吸って、心の平穏を得ているようなものである。
こういう間柄では何事もないのが良いと言えば良いのである。
30歳以上も年下の女性と暮らす不届きな友人は清水の舞台から、いやスカイツリーのてっぺんから飛び降りるような感じなのか、金の算段など自分ではしないままに、妹夫婦にあおられたとかで、あれよあれよと築6、70年のあばら家を壊し、新しい家を建てているのである。
その新築の家は4月末に完成と言う。まさに春がめぐってこようとしている。
相手の両親のところに“仁義”を切りに行ったのかと問えば、困ったように顔をしかめて「まだ」という。
そのあたりのデリカシーは備えているようである。まだ行っていない気持ち、行きづらい気持ちは、何となく理解できる。
○○と○○と○○たちがクラス会のような事をしたらしい。その流れで店にやってきて飲み食いして行ったとか、双子姉妹の姉だか妹の方が亡くなったようだとか、こういうのを風の便りと云うのだろうが、ふーんと聞くばかりで、名前は覚えているのだが、どうも実感がわかない。
遥か遠いところの話のようであり、実際遠いところの話になってしまっている。
高校時代と云うのは50年も前のことである。もはや忘却の彼方に霞んでしまっている。
山を下り、小田原あたりで飲み直しということになったが、座席に落ち着いてしまうと無精な心根が頭をもたげる。大船まで戻ってきてわがホームグラウンドの居酒屋に落ち着いた。
刺し身と焼き鳥と、なかなか両立は難しいものだが、どちらも美味しいとあって連日超満員の店である。しかも安い!
たくあんの波利と音して梅ひらく 加藤楸邨
梅の奥に誰やら住んで幽かな灯 夏目漱石
梅で飲む茶屋もあるべし死出の山 大高源吾(赤穂義士)
次は不届きな友人の新居に押し掛けて、内裏雛のように2人を並ばせ、そのさまを肴に飲みたいものである。
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