坐禅なんてわざわざ寺まで出かけなくったってどこでもできるはずなのだが、普段通っている寺でないとなかなかその気になれないのは、やはり寺の持つ独特の雰囲気と環境に負うところが大きいのだと思う。
言ってみれば形から入っているという何よりの証拠で、本来は形などどうでもいいはずなのだが、悲しいかな初心者であればあるほど形を求めたがるものなのだ。
ボクがその典型であることがよく分かったが、考えてみれば身近なところに寺は存在しているのだし、厳しい修行の末に悟りを開き、その上に学識も申し分のない指導僧がいてくれるのだから、そこを頼るのもまた当然なのである。
ボクは夏の暑さの底でセミしぐれが降る中、汗が背筋や首筋を垂れるのを感じ取りながらじっと座っているのが好きである。
そういう面から考えると、木立の茂る寺の境内というのは外の世界とは全く違った静けさも加わって、格段に集中して坐っていられる気がするのである。
昨日の日曜日から8月一杯、奇数日曜日の坐禅会は夏休みと言うことで開かれなくなってしまった。
夏の休みが設けられるようになったのは去年からじゃあなかったかと思う。2年前は休みもなく開かれていた気がするのだが、それも定かではない。
毎週通っている北鎌倉の円覚寺の横田南嶺管長は東京の寺の住職も兼務しているから多忙であり、せめて夏の間だけでも休みを作って時間の余裕を得たいという気持ちは理解できる。
ま、ともかく在家のなまくらたちの前にわざわざ一番偉いお坊さんが出てきて指導してくれるのだからこれほどありがたいことはなく、一時の休みを残念がったり、いわんや文句を挟むつもりも毛頭ないのだが、自分の方は自分の都合で勝手に休むことがあるくせに、相手が休むとなるとこれほどグダグダと書いているくらいだから、まだまだ修行が足りない証拠である。
情けないことだ。
今日で7月はお終いである。
えっ⁈ そもそも7月ってあったのかい、と思わず聞き返したいくらいで、印象としてはずぅ~っと6月のまま、6月が続いていたような気がしてならない。
雨のせいである。っていうか梅雨は開けたと言いながら6月以上に雨は強くしかもたくさん降り、湿度と気温ばかりが高いだけで青い夏空は一向に広がらず本格的な夏がまだやってきていないからである。
メリハリが効いていないものだから、台風だって南の海上で「の」の字を書いたりしてふらふらしている。
「の」の字で思い出したが、台風ってのは生まれながらの左巻きなものだから、書く文字までもが反時計回り、つまり左巻きの裏返しなんである。
ボクの子ども時代の「左巻き」というのは、すなわちバカ、間抜け、阿呆のことで、頭の後ろで左手の指をクルクル左回転させながら、「やぁ~い、クルクルパァ~!」なんて囃しながらからかったものである。
台風が字を書くと裏返っちゃうというのは大発見で、気象予報士は今のところ気付いていないようだが、そのうち誰か気が付くことだろう。
この世紀の大発見を使ってテレビで気象解説してもボクの専売特許だなどとケチなことは言わないから、どうぞお気軽にお使いください。
今朝4:36
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