平方録

鎌倉の苔寺

鎌倉の東端、大町界隈を久しぶりに訪ね、鎌倉の苔寺として名高い寺や日蓮宗の開祖・日蓮が立正安国論を書いた寺を巡ってきた。

鎌倉の苔寺は妙法寺といい、日蓮宗の寺である。
なかなか由緒のある寺で1253年に建てられたとあるから、鎌倉五山の第1位建長寺と同じ年の建立である。
ちなみに第2位の円覚寺は1282年であるから、鎌倉でも古刹の部類に入る寺のひとつなのである。

千葉県の安房から鎌倉に来た日蓮が初めて開いた法華経弘通(ぐつう)の道場だそうで、鎌倉から身延山に移るまでの20数年間にわたって住んだ霊蹟だそうな。
後醍醐天皇の子・護良親王を父に持つ第五世・日叡上人がいた関係で、境内深い所に護良親王の墓があったりする。
また、11代将軍・家斉をはじめ、徳川御三家、肥後細川藩などの帰依をうけたそうで、家斉はたびたびお参りに来たそうだ。
現存する本堂は細川家の当主が幼くして亡くなった息女の菩提を弔うため建立したものだという。

さて苔である。
本堂は直線に並んだ創建当時の伽藍の中心線からやや左にずれた位置に建てられており、本堂右手にその中心線が走っている。
仁王門まで真っ直ぐに伸びた一直腺の通路の両脇にはアジサイやらハンゲショウやらが植えられた、良く整備された庭が広がっている。
この仁王門の裏手に、更に一直線の階段が法華堂まで伸びていて、深い樹木に覆われた階段が見事に「苔むして」いるのである。
この階段は苔の保護のために立ち入りが禁止されていて、右わきにある急な階段を上り下りしなければならない。

観光ルートからはやや外れているためか、観光客にはあまり知られていない寺で、その分、とても静かに境内を散策することができる。
この日も外国の老婦人がたった1人脇階段を下りてきて、感に堪えないようなしぐさで苔むした階段を何度も振り返ったり、佇んで見入ったりしているのみである。
そんな具合だから、奥行きの深い境内は静寂に包まれていて、曇り空だったこの日は薄暗くもあり、深山幽谷に分け入った趣である。
そんな中に、若々しい緑の苔のある部分だけが、ひときわ明るく見えるのである。

京都の西方寺は苔寺の名をほしいままにしている名刹で、そこの繊細な苔庭に対して、こちらはかなうべくもない。
しかし「非洗練」などという言葉があるのかどうかわからないが、在りのままの姿を見せられているような、まあ、武骨という表現の方がしっくりくる光景なのだが、自然さに溢れた苔の階段はそれはそれで周囲の環境に溶け込みながら存在感を十分に出しているのである。

6、7年ぶりの訪問だったが、まったく変わっていないことに安どした。

ここからさらに東へ1、2分離れたところにあるのが同じ日蓮宗の安国論寺である。
創建は妙法寺と同じ年て、日蓮上人が立正安国論を書きあげた寺として知られている。
この境内も広そうで、裏山には富士見台と名付けられた展望台があるそうだが、短パン姿で行ったため、蚊の攻撃を避けるために早々に退散してきた。
寺と言うのは一度にいくつも見て回るものではないのである。

この大町からは鎌倉七口のひとつ、釈迦堂口のトンネルを抜けると杉本寺や竹の寺で知られる報国寺のある浄明寺地区に抜けられる良い道があるのだが、
肝心の釈迦堂口が風化による劣化が進み、落石・崩落の危険があるということで通行止めになってしまっている。
もうかれこれ10年以上になるのではないかと思うが、世界遺産への登録を狙っているくらいなのだから、何とかならないのかと思うが、鎌倉の行政と言うのはいつものんびりとしていて、一向に事態が動く気配はないのである。







妙法寺


安国論寺



水墨画の富士
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