道の駅東和で購入した「とうわ よもやまばなし」を読み始め、登場する地名を google map で確認しながら読んでいます。のでなかなか先に進まないんですが、ショッキングな内容がときどき出て来ます。
「塩の道」という話では、江戸時代の度重なる飢饉の際、相馬、飯舘、川俣から食べ物を求めて東和まで流れて来たが、行き倒れになってしまう人がたくさんあったそうで、道端の石仏は、地元の人が埋葬してあげた所、ということが書かれてありました。
もちろん東和の方まで辿り着けなかった人たちもいたようで、八木沢峠、トンネルの上の旧道ですが、六字名号供養碑というものがあります。
六字名号とは「南無阿弥陀仏」の6文字のことだそうです。上記の写真にもありますが、ここは中村(相馬)・原町の道標と供養を兼ねて建てられたもののようです。
しかしなぜこの石碑は道路に背を向けて建ててあるのか。表側にあるこの獣道が、昔の塩の道だったのでしょうか。