SANGO! キジトラ猫と魚と私

4キジトラ珊瑚・醍醐・苺・林檎の楽しい毎日や猫グッズのお話です
時々旅行・ダイビングについても書いてま~す

会津若松旅行記(2024年-野口英世青春館のお話(2))

2024-07-26 12:00:00 | 旅行(国内)
野口英世青春館」のお話の続きです

研究や講演で忙しかった野口英世ですが

意外と多趣味だったんですね~

浪曲(浪花節)を聴いたり(寄席に行ったことも)

囲碁や将棋をしたり(自分が勝つまで勝負したとか)

多くの油絵も描きました


でも、この人たちがいなかったら、
野口英世の人生は別のものになっていたはずです

渡部鼎(わたなべかなえ)(1858~1932)
安政5年(1858年)、河沼郡野沢(今の西会津町野沢)の漢学者 渡部思斎の長男として生まれ、
当時、門弟3千人を持つといわれた父親から漢学を学びながら成長しました


明治5年、14歳になると横浜の高島嘉右衛門の藍謝堂(通称高島学校)で英学と理化学を習得
その後、医学を志して大学南校(今の東京大学医学部)に入学
大家(たいか)の一人である岩佐純にも師事して医学を習得しました

明治10年、若干18歳で警察医や陸軍軍医試験などに合格し、
警察病院勤務をはじめ、陸軍病院や医学校の講師などを歴任
また、日本国内で初めてインフルエンザの流行を発見・確認したり、
脚気(かっけ)の原因について新学説を発表したりするなど、精力的な活動をしています

明治18年末に渡米すると、カリフォルニア大学医学部で外科をはじめ13科目を習得し、
同21年にはドクトル・オブ・メディシンの学位を受け、卒業とともにサンフランシスコに開業しました


明治22年に欧州を周遊して、医学のみならず各国の社会事情も研究
しかしその翌年、父思斎の死により帰国
郷土の要望で若松町に会陽医院を開業し、野口英世の手術を行いました
(会津若松市HPの「あいづ人物伝 渡部鼎」から引用させていただきました)


血脇守之助(ちわきもりのすけ 1870~1947)
渡部鼎の友人で、高山歯科医学院の教授・歯科医です
明治29年(1896年)の夏に会津若松に来て、出張歯科診療を行います
(↓その時の広告です)

診療後、渡部鼎と歓談していた守之助は、部屋の片隅で熱心に原書を読む清作を見て驚き、
東京での世話を申し出てくれました

そして、上京した野口英世の生涯を、物心両面で支え続けました
(留学費用を工面したり、北里柴三郎の研究所への入所を働きかけてくれたり、
 無償で手の再手術をしたそうです)

人との出会い・縁って、本当に不思議ですね


珊瑚と出会ったから

醍醐も

苺も

林檎も うちの子になりました

そして、拙ブログを通じて、皆さんとのご縁がありました

サボりがちなブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします


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コメント (7)
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