これまで,京都地裁6民判決のおかしさについて,触れてきました。
では,何故,6民の裁判官はこのような判決を書いたのでしょうか。
私たちは,こう考えています。
6民判決を書いた藤田昌宏裁判官は,30年もの長いあいだ職業裁判官を続けてこられました。
経験豊富なベテランの裁判官です。
その藤田裁判官は,判決に至るまでに,自身で争点整理をされてこられました。
にもかかわらず,中信が本人構成を主張しているということを,失念するはずがあるでしょうか?
また,中信側が「Hは知っていた」との主張や「知って了解していた」との主張も行っていないことを,失念するはずがあるでしょうか?
それから,本人がおこなった契約ではない場合に,事前の「代理権の授与」も事後の「追認」もどちらの主張・立証もないとき,法律論として,本人が「知っていた」ということだけでは契約有効とはならないことを,失念するはずがあるでしょうか?
そんなことはあり得ません。
これまでの訴訟の経過をおさらいすると,
・中信側の行う「本人構成」は弾劾され,
・資金使途の虚偽主張も自白し
・中信元職員Oらが違法を告白する自白証言を行い,
・大阪高裁・最高裁の判断後は、中信の刑事事件に該当する違法の隠蔽を最優先に,民事訴訟は争うことすらなく、認諾状態であり,
・その結果、書証認否さえも一切回答拒否を貫き二段の推定が働く余地もなく,
という状態でした。
このような状態の中で,ひとつひとつの契約を具体的に検証していくと,どうなってしまうでしょうか?
もう,お分かりでしょう。
中信側を勝訴させる方法がなくなってしまうのです。
そこで,中止側の全ての虚偽を塗り込めるための手法として,「知っていた」論を持ち出すしかなかったのです。
これが原判決の真相だと,私たちは考えています。
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