これまでに見てきましたように,6民判決は,「① 契約の合意があったか否か」について,Hさん「本人は契約していない」と判断しました。
にもかかわらず,6民判決は,中信側勝訴の判決を下しました。
その理屈というのは,どんなものだったのでしょうか?
判決文を引用してみましょう。
「原告H(原告M社の当時の代表者であり,現在も実質的な代表者といえる立場にある者)が全く知らなかったということは,およそ考え難い。」
「原告らの与り知らない融資契約及び入出金が行われていたとは尚更考え難い。」
「自署でない契約書等が作成されていたとしても,本人が内容を了承している場合には有効な契約であると認定・評価できる」
6民判決は,このように判断したのです。要するに,Hさんが当該契約を「知っていた」という理屈です。これだけで,6民判決は,中信側勝訴判決を書いたのです。
でも,おかしくないでしょうか?
まず,中信側も,「契約はH本人が締結していないが、Hは(何か)を知っていた」とは,全く主張していませんでした。
にもかかわらず,6民判決は,「Hは(何か)を知っていた」と,中信側すら主張していない作話をしたのです。
こうした判断は,「裁判所は当事者の主張しない事実を判決の資料として採用してはならない」という弁論主義(第1テーゼ)に明らかに違反します。
6民訴訟では,判決に至るまでの過程で,「Hは(何か)を知っていた」のかどうかというテーマについて,そもそも争点になっていませんでした。したがって,この判断は,Hさん側にとっても,中信側にとっても,不意打ちです。
このように,6民判決は,まず弁論主義に反する,というおかしさがあります。
それだけではありません。
Hさんが当該契約を「知っていた」という理屈だけで,中信側を勝訴させたという点です。この点を,次回の記事で解説します。
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