新しい書の学びのクラスである。
何か会の名前を付けなくてはいけなかった。
「楽しい、の楽かな」まではよかった。
「先生の名前をいれて」とも。
「廣美はやめてくれ」「熊、つけちゃう!?」と私。
結局、私の雅号もいれて「日々笑書会」と。
書いてこなくてもいいが、笑いを一つ持ってきて、という会になった。
はじめから色んな意味で存続危機かもしれない。
天才は危うきに遊ぶ。
新しい書の学びのクラスである。
何か会の名前を付けなくてはいけなかった。
「楽しい、の楽かな」まではよかった。
「先生の名前をいれて」とも。
「廣美はやめてくれ」「熊、つけちゃう!?」と私。
結局、私の雅号もいれて「日々笑書会」と。
書いてこなくてもいいが、笑いを一つ持ってきて、という会になった。
はじめから色んな意味で存続危機かもしれない。
天才は危うきに遊ぶ。
今日は、というか、昨日になってしまったが、某審議会の日。
節供と節句は、節句が多く使われるが、供える文化なので「節供」としている、にうなずく。
さて、その節供は、新暦だと合わない。
七夕だって、新暦7月7日じゃ、雨多しだ。天の川だってみられない。
新暦の9月9日の重陽の節供は、菊がまだ咲いてない。
だが、5月5日の端午の節供のこいのぼりは、GWの新緑にぴったりだ、と私は思ってしまうのだが。
社会から変えないと、変わらないけれども、旧暦の場面を増やすのも、いいんじゃないだろうか。
年賀状も衰退の一途。
ネット社会になったのが一番の原因だろうが、忙しい暮れに忙しく年賀状を書くのも、一つの要因だ。
特に私はそうだった時期がある。今年もそうしてしまって、暮れに書かず。
そう、これからは、お正月になって、立春くらいまでに、少しづつ、疎遠になってしまった人のことを思いながら、一枚一枚、書く。
メールでなく、手書きしたい人は自分のなかで、誰でもいるとおもう。少しの方へでいいんじゃないだろうか。虚礼は慎みたい。
今年、元日過ぎてから、返信のものだけの賀状を書き、松の内過ぎて届いたものは、いまだに返信もしていない。
たぶん、これから出す。出さないまま終わる可能性もある。それを許してくれる知人友人のみの付き合いになるのはしかたない。
仲が良くても、年賀状もメールもしないやつもいるわけだから、いいでしょ。
それにしても、メールだけになったら、また逆に、味気ない世界になってしまうと思うのだけれど。
そう、節供も、新暦、旧暦、交ぜて違和感ない世界はだめかな?
その時の話し合いのなかで、K先生は、新暦と旧暦ごっちゃにしてはまずい、とおっしゃっていたが。
どうも、自分は、ちゃんと、とか、すっきり、とかが苦手のようだ。
もっと、ゆるく生きる社会がこれからいいんじゃないでしょうか!?
本日は、用水路の水がきれいなところでの三週連続講座の最終日だった。
前回は条幅、今回は全紙二分の一の70×70の紙にも書いてもらったりした。
帰りには筆や墨汁なども入ったリュックを背負い、片手には製図ケースのような紙入れ、下敷き入れ、計2本。片手には大きなバックに条幅用紙など。
そのまま地元の駅改札を通り抜けたところで、胸元にいれるべき携帯&スイカを落とす。
「あっ!」と思ったら、若い女性が「あらっ!」とさっとそれを拾ってくれた。
両手がふさがっていたが、腰痛も理解できるようになった最近、すかさず動けなくなっいる自分がいた。
その素敵な方の後姿を追いながら、客観的に自分の姿をみつめた。
むかし、『生きる』のラストシーンだったか?ブランコに乗っての志村喬と自分がダブった。
ジョン・レノンの命日は1980年12月8日だという。
そう、その日、私は高田馬場の駅近くを歩いていた。
そこで、劇団のチラシを配っていたのか、久々の知り合いにばったり遇った。
地下の喫茶店に入った。
「ジョン・レノンしんじゃったね」
その言葉だけ、ぽつりといつもの調子で彼女がささやいたのだけは覚えている。
ここ一週間、あるロゴ制作をほぼこれでいいかな、まで仕上げた。お正月までに作り上げなくてはならない作品は構想段階でぐだぐだ。ほかの雑用はこなさず、果樹の世話だけはした。
そうこうしているなかで、この前終えた個展の作品一点一点、写真も撮っていないものがあるな、昔は全部撮って、リーフレットくらいは作ったのに、と反省気味にいた。
そして、ミニ色紙の作品の写真が撮ってあった。最低のことはやっているじゃないか、と見直してみると、龍の髭(ひげ)がない。
あらら、今はどなたかの手元にあるはずだ。
指摘されたら、こどもの龍だ! としておこう。
そう見えなくもない。
ごめん。
こういうの「画竜髭睛」というかな。
再び?三度?めくりが定点観測。
高級料亭で毎年行われる浄瑠璃の会。
演目は20以上。その演目の「めくり」を依頼されている。
先日の個展に家元の紹介で来ていただいたℍさんが、書いたもの(めくり)を持ち帰ってもいいとは知らなかった、と言ってくれたが、Hさんの演目を書いためくりが今回一番よくなかったか。
来年は、ぜひ持ち帰りたい、と言わせるものを書かなくちゃいけない、と今から思う。
たかがめくりがされどめくりとなる。
打ち合わせで行ったのは、私が個展中通わせてもらったお店なのだが、その女将の高校の後輩が私の打ち合わせ相手ということがわかったからだ。
その日、女将と私の行き違いで、その日は満席。ながら、常連さんの面白い研究者に臨時の椅子に座ってもらって何とかカウンターに。
私が席を外している間に、面白研究者が私の打ち合わせ相手と意気投合。そしたら反対側のお二人と私も話すことに。これまた隣は農学なんかが専門で、こっちは能楽ならわかるが、の世界だったが、二人ともこれまた学者にしては柔らかい。そうしているうちに名刺をいただいた。そのお一方の名前が「舟」。誰がつけたか、ときいたら、ま、親みたいだったが、そのセンスにひかれた。そして思い出した。私の扇子の「舟」。
最後に三人でスナップを一枚。もうお一方は西の方からの出張だったようだが、その方の携帯に収まっていた三人でのスナップを、洒落た文面とともにメールしてくれた。
こちらも扇子「舟」の写真を見つけ出したら、2001年作だった。ここに載せた「舟」を西の方に添付して返信した。舟さんはアメリカにちょっと出張らしかったので送らず。アメリカは遠い、となんとなく思ってしまうアナログ人間である。
個展「龍+」では、龍を書くこと多かったが、もう一つ「嘉辰(かしん)」も多かった。
“よき日”ということだが、来年の干支「辰」もあって、暮れから新年にかけてトレンディーな言葉になるかな。
「嘉辰」と気持ちよく書いた、と思ったら最後の払いの伸びがも一つ欠けた。
ボツにしようか、、、でも全体は気に入って、いい動きだが、、、考えたあげく、そこに訂正印というか修正印を捺せばいい、と。
なかなかできないですよ、普通の書家には。と開き直って、グレートアーチストは違う、とうそぶいた。
売れ残ったのは、お客さんの審美眼が確かだったから。大したもんだ。
訂正印は「如意」。心のままに、という印だ。