一生をかけて、古代文字に息吹をあたえ、現代芸術としての書を確立していった第一人者だった加藤光峰。
令和元年5月、85歳で亡くなって、コロナ禍で延期になった遺墨展は、本日4日から8日まで、上野の森美術館で。
先生の育ててきた亀甲会展も今回の51回で最後。同時開催。
上野の森美術館の1階が、光峰先生の代表作が大作、小品さまざまに並ぶが、あらためて観て、なるほど、さすがだ、とか思いながらみた。
師の桑原翠邦を彷彿とさせる清らかな楷行草作品もあったが、これもなかなか。
はじめて光峰先生の作品をみたのは、20歳代、銀座ミタケ画廊。
先生は気鋭の四・五十代の作家だった。
お話しすることもなく、気になる書家の一人だったが、私の初個展に来ていただいてから長いお付き合いとなった。
作品は、ネットでもみられるとか。
そういえば、ネットに加藤光峰「書が芸術と呼ばれる時」と先生についての拙稿もどこかにでていた。もし今もあれば、ご一読を。思ったままを書いた。
今日の朝刊に“篠田桃江逝去”の報。107歳。こちらは、美術家だが、出自は書。書が世界を席巻したとき、篠田はなお世界の抽象画家の一人となった。その一世代下の光峰先生も、イギリスを皮切りに、晩年はフォーブスで個展を依頼されたり、世界でも活躍したが、時代は、世界は、書をすこし冷静に眺めている感じ。時代性による気がする。
そろそろ、昭和に生きた、書の芸術性に一生をかけた方々もいなくなってきた。
そう思うと、平成は、書の感性をなくした国民が、素人の勢いを良いとみてしまう時代だったか。
令和は、深くいこう、と私自身は、思う。
つれづれになってしまった。