留学生に書のワークショップを、と女子大の先生に頼まれた。
旧知の教授とのやり取りなので、メールの軽いやり取りでお互い済ませた。
「内容は小熊に任す」というので、今までの海外の方へのワークショップを参考に、一時で最大限の書の魅力を伝えようと考える。
“not well”か、いや私の場合“a little”か、スペイン語なら“un poco”フランス語なら“un peu”とかを最後につけて、親指と人指し指を近づけて私の拙いその国の言葉で挨拶して、日本語しかできないぞ、といってまずは笑いを取ろうと思っていた。
書という日本の伝統芸術を体験したいのは西洋の方だと思いこんでいた。
ふたを開けたら少人数で中国・台湾の方たちである。
はじめの構想はもろくも崩れる。
気を取り直して
「何を習った?」
と訊くと、王羲之や柳公権だと。
小学生の時しかやっていない、といっても、そこはさすがである。
もとを糺せば中国生まれの伝統芸術である。
しかしながら、漢字文化圏でも書は縁遠くなりつつある。一回性や気脈など書の要点をあらためて考えて頂いた。
そして、今こそ、漢字文化圏の方には、書の魅力に自ら目覚めてほしいと訴えた。
少人数だったので、交じって書いていた日本の学生もいい筆致だったので、まだまだ未来に期待である。
さて、最後は色紙に好きな漢字を書いて頂いたが、いまは日本文学科在籍の方たちであったので、参考に持って行った短冊に、急きょ、
梅一輪一輪ほどのあたたかさ
と嵐雪の句を、したためて頂く。
その句、「梅の枝ぶりがみえる」とは教授の言葉。
情緒に流されるのではなく、構築的解釈であると思った。建築専門でドイツに居た人らしいと思った。
そういえば、まだ私は、ドイツ語では笑いをとる一文の挨拶もできない、と気づいた。
そして更に気づいた。
先日みた銀座グラフィックギャラリーでの浅葉克己さんの仕事ぶりの紹介は見事であったが、その中心となっていた手書きの日記の紹介が面白かった。やっぱり手書きでしょ、と思わせてくれた。
尚私はここに打ち込む回数が減りそうである。
また、イマドキから遠ざかるか。