OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

あいさつ

2024年10月29日 | 日記

衆議院選挙も久々に動いた。

不記載という限りなく黒いお金にマスコミや野党は裏金といったわけだ、そんなことは当たり前的に、権力と金が結びついているのが我が日本か。

それよりも許せないのが、というか、私が無知だったのか、ここのところ、日本経済は順調だとかいって、株価だけは上がった。しかし、知らなかったのが、日本の賃金は全然上がっていなかった。

ニュースで「教員やめて、オーストラリアにブルーベリー農家の収穫アルバイトの方が、倍稼げる」と驚いたのは、もう相当前だが、〇〇〇ミクスと騒ぎながら、庶民には恩恵のなかったどころか、世界の中で日本は沈んできた。

昨日は、だんな衆の100回目くらま会へ。二部の部へ。

コシノヒロコさんの三味の見事は知っていたが、今回、二部では、長唄を披露。ファッションと邦楽。その粋さがすてき。

岡副さんの声は、浪曲、一中節、挨拶と、何をやらせても藝である。

そんなことをいうのも、岡副さんが締めの挨拶で、三代続くくらま会会員で、子どもの頃、“じっちゃんは、親父を前に座らせ”締めの挨拶の練習をしていた、と。邦楽で出演することもなかった先々代、先代。ながら、じっちゃんは“これがわしの藝や”と挨拶の臨んだ。

同じ挨拶でも、芸という点では似ているが、選挙とじっちゃんじゃ、、、比べて失礼。

 

帰りの孤独のグルメは、呉竹へ。

珍しい海鮮がでてくるすし屋なのに、さんまの塩焼きも出てきて、いいね。

 

 

 

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サティからルーシーへ

2024年10月06日 | 日記

久しぶりに、団地内の防災訓練に参加する。

 

特設のテントの中に白煙がもうもうと。先が全く見えない。

それでも前に、手探りで行く。

 

今日のお供は、

ルーシートーマスで、Unchained melody 。

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チラシのようなハガキで

2024年10月03日 | 日記

30歳になる時、「おかげさまで30年」と、印刷してハガキを何人か覚えていないが、出した。

ちょっとふざけたハガキを出したわけだが、生きることのおいて、多方面に意識はあった。

整理していたら、そのコピーが出てきたのだ。

いつのまにか、もう30歳になってしまった、という感慨があった。

 

その倍以上生きて、あの頃のような懸命さはあるのか、と。

流されていく。

 

日本国の行方も世界の動きも、混沌としてきている。

地球そのものが人間の身勝手で変わりつつある。

筆一本で何ができるのかと自問しながら、平民として生きる覚悟だけはできた。

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あるサロンにて

2024年08月28日 | 日記

丸テーブルの右側の女性に向けて話している。私はその方の左側で、たまにこちらも気にして話をしてくれている。

 

奥様が亡くなって5年経つというが、ある時、奥様が好きだった薔薇の花を、知り合った日本画家に描いてもらったという。

出来上がってきた画を観たら、その画が奥様を感じさせてくれる画だったという。そこには蝶が小さく描かれてもいて、奥様が寄り添っているようでもあった、とか。そこから、その方の人生もまた変わったという。

ニュアンスは少し違うかもしれないが、その方は話しながら少し涙ぐんでいるようであった。

 

奥様の写真もみせていただいた。清楚な、きれいな方である。

その方と奥様は今もつながっているのだと思えた。

その話を聴いている時、いい時間が流れた。

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茶杓命名

2024年08月01日 | 日記

少し短めの煤竹は、磨くとちょっとした一閃の傷があった。そこで、

“一条の瀧”と命名。

「滝」は、今年、辰年なので龍をいれて、旧字「瀧」で。

茶杓入れも作らせていただいたが、“スポッ”と抜けない。

他の方々は“スポッ”と。

ん~、好きこそものの上手なれ、精神で行こう!

 

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スコットランド民謡

2024年05月16日 | 日記

The Water is Wide

エンディング曲でした。Hayley Westenra。

「そして雪どけの朝に」作・演出 朝枝知紘

家族愛には、やはり普遍性があるようです。

娯楽の高畑にまた付き合わされた。

娯楽で笑わせ、ここでは泣かせた。

 

 

 

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何処へ

2024年05月07日 | 日記

どこも混んでいるGWにわざわざ来日した北京の友人。

ノープランで来た。「白川郷へ行きたい!」と。

「混んでてホテルも列車も予約できない!」と私ともう一人の友人で諭す。

「秩父ならどうにか」としたが、私がドライバーとなり、一泊も付き合うことになる。

こっちは仕事が詰まっているのだったが。

 

東松山駅で待ち合わせ。

彼は山水を得意とする水墨画家であるので、丸木伊里の水墨というか、丸木夫妻の原爆の図の大画面をみせてやりたいとまず寄る。

〇木美術館?

丸木美術館からの眺めは、ここでの数々いろいろな思い出が私は浮かぶ。

 

それから小川、東秩父と和紙施設をみて、いっしょに和紙を学び、今工房を持つ知人のところへも。

いい紙を漉く知人から、はねた紙をその水墨画家にいただく。

長瀞に寄ったあと、ホテルはどこも満杯。新啓さん紹介の旅館がやっと一部屋空いていて、そこへ。

昭和であった。

次の日は、風布へ寄り、沢のせせらぎと川面に映る新緑をみる。

水墨画家は、そこがお気に入り。

埼玉は何もない、と言いながら車を走らせ、渋沢栄一の生家である深谷は血洗島まで。

以下略。

〇窓のおじさんギャグで失礼。

 

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甲骨の星

2024年04月17日 | 日記

丁仁という日本の渋沢栄一みたいで尚、金石学に詳しい人が清から中華民国にかけていた。

書の世界では「西冷印社」創設の一人としても有名だ。

その子孫にあたる方から、得意の甲骨文で書かれた漢詩集を編んだ丁仁さんの複製本をいただいた。

それを眺めていると、私のしらない「星」字が。

七夕の催事用の作品作りに取り掛かっていて、つい、丁仁先生の「星」で遊んでしまった。

 

 

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白酒

2024年03月20日 | 日記

三月に入った日だったか。

蘭亭→盃流し→ひな祭り→桃の酒→白酒、と私の中では、続いた。

 

白酒の酔ほのめきぬ長睫毛 風生

 

白酒を求め、池袋の地酒を多く扱う酒屋さんに寄るがなく、しかたなく、似ているであろうどぶろくを買い求める。

池袋は、夜の教室。体からひな祭りを感じるために?ちょっとみんなでどぶろくを飲みながら、書いた。

それから3週間。

「白酒を飲んだことがない」といったら、今度、イベントのオープニングに豊島屋さんのお酒を出すので、注文しておいてあげる、と。

オープニングパーティに行けなかった私のために、白酒だけでなくそのときのお酒まで用意してくれていた。

 

そう、その白酒は、酒のみにとっては、甘いだけかもしれない。

わたしのように酒が弱い者にとっては、甘酒のようで違和感なし。

滋養、的でもある。

 

本日の目的は、浮世絵版元の仕事拝見のためと、依頼された暖簾のための筆文字の観るため。

だが、その暖簾が会場に運ぶ途中でどこかに紛れ込んで行方不明と!

ということで、ギャラリーからみる隅田川からのスカイツリーなど眺めながら、ゆったり過ごしました。

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伯牙と鍾子期

2024年02月22日 | 日記

「伯牙絶弦」の故事の話からはじまった一中節の演奏会。

初世都一中没後300年記念ということであるが、家元の了中さんの初めの挨拶のお話であった。

中国の春秋戦国時代の故事というのだから、紀元前である。

伯牙は国随一の琴の名手。それを理解する鍾子期。

その鍾子期が死んでしまって、伯牙は、自分の琴のよさをわかってくれる理解者がいなくなって、琴の弦を切ってしまった、という故事だ。

今日の演奏会は、5段。一中さん,、了中さん以外にも、ベテランや若手も出ていた。

浄瑠璃のなかに了中さんの弟子が出ていて、その方は本来、琴の方だ。

その方が芸大生の頃、たまたま私の個展会場に来ていて会っている。何十年も前の話だ。そのうち、挨拶でもしてみよう。

 

さて、今日は、自分を伯牙にさせてもらおう。

私の筆文字のいくつかを観て、書家の字は好きではないが、あなたのはいい、と言ってくれた方がいた。お茶にも精通して文化全般に通じる方である。その方を、今日は、鍾子期にしてしまおう。

そういう方がいてくれると、なにはなくとも、明日も生きる勇気が湧いてくるのだ。

観る目のないファン一万人より、鍾子期一人でいいだろう。

 

伯牙と鍾子期の話は、田舎のお寺の本堂に、たぶん寄贈された行草書の屏風があり、それを読まされたとき、難解な行草書をなんとか読み進めていくと、『列氏』からだったか、その故事の部分だった。その時、この故事を知った。

 

 

 

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