OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

さらば

2012年10月31日 | 書道・筆文字
小木先生ご逝去の知らせが届く。
まさか、だった。

昭和8年福井武生生まれ。東京学芸大学の書道科一期生で、東京学芸大学や手島右卿の書道学校、帝京大などで教え、文部省視学官などを歴任。東京学芸大学名誉教授。
書道界でも活躍されたが、教育界でも重要な地位にあった先生だ。だが、その発想は、よくある優等生的教育書道とは違った。

筆でも鉛筆でも、どこからみてもきれい、な字など書かない。
最近はやりの美文字なんていう、うすっぺらな世界とは無縁だった。
美を求めた。究極の美を求めた。筆文字に人間存在の崇高な世界を求めた。

小木先生の影響を受けて今の地位を築いた書家や研究者の方々も多い。
石川さんだって、小木先生の応援は心強かったろう。

今年2月、ご自宅に伺ったのが最後の縁となってしまった。
写真は、2年ほど前の高幡不動での「新選組書展」審査風景。
左から、管主、小木先生、小熊、宮地先生。

たまらず、奥さんに電話をしてしまったが「平静をよそおわないと」と。

泣けた。


書を学んだ手島右卿の書道学校で、まず、影響を受けたのが小木太法先生だった。
私が規格外になったのも、この先生のせいかもしれぬ。
そうとう刺激的で、影響を受けた。
感謝しきれない。

ありがとう! 小木太法
さらば、小木太法

合掌



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お知らせ  思いのたけを入れ込む

2012年10月30日 | 書道・筆文字
思いのたけを入れこむ、のに書は向いている。

ということで、ゆらび主催、

11月3日14時から17時まで、東京は大塚下車。マスミ道場2階で、
「思いのたけを入れ込む書」のワークショップを、やります。

参加費3,000円
持ち物は、なし。普段使っている筆などあったら持ってきてもかまいません。
墨磨りもします。

何も考えなくてもいいです。上手く書こうなどと思わなくていいです。ただひたすら、書いていく。

ひたすら、が、大事だ。一字でもいい、書きたい言葉が浮かんだら、その言葉が定着するまで、書く。

ご参加お待ち申し上げます。

詳細は、ゆらびHP [ゆらび]で検索してください。

17時30分からは、雲龍さんのコンサートも、あります。



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油屋酒宴之段

2012年10月30日 | 書道・筆文字
たかがされどのめくり。
写真のめくりが読めた方はなかなかの通である。
わたしも日々勉強中である。

神路山色琫

「琫」なんて字は、漢和辞典にもでてこない。

「かみぢやまうきなのこひぐち」ということだ。

歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刀」を常磐津に写したものらしい。

場所は、伊勢の大きな遊郭「油屋」。
ここで実際に起きた無差別殺人事件を題材にしてたちまち人気になった芝居らしいが、
浄瑠璃だけでも、素人にその楽しさが伝わるものだった。


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技を盗む

2012年10月29日 | 文化・芸術
芸は教わるものでなく盗むもの、とか。

今日は新橋の老舗料亭での常磐津の会。
たかがされどのめくりを書いた関係やらあって、昨年に続き伺う。

今日は途中から伺ったが、随分な方々でにぎわう。空いているのは前の方で、しっかり前に陣取ることにする。
師匠の三味捌きを食い入るようにみる。

初代高橋竹山から最近は澤田師匠の津軽三味線も惹かれるが、江戸の粋を追求する三味も名人が弾くと素晴らしいもんだと気づかされる。
ジャンルは違っても、盗めるものは盗む。
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小川行き

2012年10月21日 | 和紙作り
今日の朝日新聞一面に和紙灯りの写真。
岩手、宮城、福島の37市町村で被災者に今の気持ちを和紙に書いてもらい、円型スタンド型の灯りにして、東京ミッドタウンの一角を飾った模様の写真だ。
多摩大学の村山教授のゼミの学生が企画とある。学生が和紙も漉いた。
私はあまり行かないので縁がなかったが、小川の和紙体験センターに来た方々のようだ。
たしか楮畑も手伝ってくれた学生たちだ。
忘れない、3・11。あたたかい灯りだ。

東武東上線の隔月刊情報誌「ajouter(アジュテ)」32号の表紙はつたのからまる塗料剥げかけの木造建造物だが、モデルの女の子が可愛く、小川のセンターとは思えない。表紙を開くとそのセンター内の写真。
あれ、こんないい作品だったっけ! と再認識させてくれる写真もいくつか。
コンパクトだが、いい編集に感心。

アジュテをみて、いきなり今日は見学者が4・5組あったか。
そんななか、4日間総合体験の最終日である。

8人中、5人が昨日、国立教育婦人会館泊まりだったそうだ。
その近くのそば屋で、ちょっと一杯のつもりが、ぐでんぐでんまでになったらしい。
道路を渡れば、婦人会館だ。近すぎるが、タクシーを呼んだらしい。
歩けないほどだったらしい。あとは書けない。

5人中4人がその時の正確な記憶がないらしい。
45回目の総合体験史上、最高?の酔っ払いたちだ。
そのなかでも最高の酔っ払いは、某美大教授だったらしい。

おかげでさまで今回も楽しい出会いの小川行きでした。




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肩書き

2012年10月19日 | 日記
私の知人がある仕事を斡旋しようとしてくれた。

「なかなかの書家なので、まずはHPでもみてくれ」と言ったらしい。
その知人があらためて私のHPをみて、
なかなかいいんだけど、経歴がどうにかならないか、という。

現場監督やペンキ屋という経歴は、書家にふさわしくない、という。
海外での公的機関にある収蔵作品やらあるんだから、そういうことを書くとか、せっかく偉い書家に習ったんだから、多大な影響を受けた、とか、書け、という。

たしかにそういうことはあるだろう。でも、私は、北京から戻り、書家になるために、結果的に、大きな建築現場の監督や“筆をハケにもちかえて”とペンキ屋になった時代がある。たぶん、この経験は大きい。ここにいた職人さんからも多くを学んだ。身体じゅう、汗かいた真実の結果の仕事である。

最近話題の森口氏の話題でわかるように、あやしい肩書きの客員教授や客員研究員というより、いいだろ。

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手合わせ

2012年10月17日 | 日記
ふっきれない自分がいる。
すぐそこに次のステージがまっているのに。

そういうことを気づかされた一日。
力量とは関係なしに、澄んでいる、との評は、感覚的に分かる。
力量があっても、濁っているようなモノが多い、のも分かる。

自分もふっきらないといけない。
社会もふっきらないといけない。

手合わせしたが、手足があると思うな、と。

手合わせすれば、みんなつながっている、と。


秋海棠の花は枯れ、種をつけていた。



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守・破・離

2012年10月14日 | 書道・筆文字
昨日今日は小川の和紙総合体験の講師役でした。
昨日、帰りがけに工芸会館に寄って、特別展開催中の藤沢昌子さんに会いにいった。

かな作家である藤沢昌子さんは、今回、かな作品ばかりの展示であったが、TVや劇のタイトルなども多く手掛ける。今時のありがちな狙いありありの書とは違って、知る限り、藤沢さんの人柄からくると思える品格が、どこかただようものがあって好感がもてるものが多い。

三年前、同会館ギャラリーで個展をしたお弟子さんもそこにいらしたが、どうして藤沢さんに就くことになったのか、と問うと、「10年かけて見つけた師匠だ」と。その方もいい雰囲気を持った品のある方だったが、その姿勢がいいではないか。

その師匠は、はじめは手本を渡すらしいが、そのあとは、自分の字を書いてもらうのだそうだ。上手く書けなくても、お互い、がまんのしどころだという。師匠の字に憧れて入ってきても、そのやり方だそうである。
自分と同じ字を書いてもらうのは、なんだか気持ち悪い、と藤沢さんはいう。続けて、みんなそれぞれ顔も違うし、性格も違う…というようなこともおっしゃる。

その通りだろう。
書壇の先生やその弟子は、即効性を求めなければ生き抜いていかれない。
モノマネ、でも、「守・破・離」の「守」から、と上手い言葉で、お互い正統化してはいないか、問いたい。

へんな写真は、紙すきに使うトロロアオイの根。
体験受講者が収穫したもの。





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システム

2012年10月11日 | 日記
今日はとある仕事を収めたあと、池袋東武で開催中の伊藤哲さんの日本画展を観る。
売れているね~、というと、そこからですか…、と伊藤さん。
そうそう、まずは絵から観ろ、ですね。

業界誌に、昨年の銀座の個展評を私が書いたものも会場に掲示されていたが、そこで書いた通り、
日本の伝統美に深く根ざし、それを現代に再構築しようとしている伊藤さんの仕事は、誰が見てもきれいなので、一般の方の関心が高いようだと会場を見渡して思った。

そのあと久々に連絡があった同級生とお茶。
彼女はご主人と広島にもよく行く日々で、家まで借りちゃったそうである。

みんな中流、はとうになくなり(アメリカでもそうらしい)、一握りの支配層のために思考停止状態に生きる人々。
TVの恩恵にあずかったことはたくさんあるが、今のTVは、それを助長する道具でしかない。ひどい。

とうとう彼女の家からTVが消えたらしい。
いいね。

根本は、身動きできなくなった今までのシステムにありそうだ。
このシステムを変えていかなければならない。
簡単なことではない。

昼はリトルヘブン。
そこでも同じような話しをしていた。
ファーストフードもいいけど、スローフードを大事にしなきゃね、って。

まず墨磨りからだろ、って。

今の首相の信のないそれらしい言葉にはあきれるが、同じ立場になったらそうなってしまうだろう長く磨り込まれたシステムがある。
経団連の人も本当は原発はなければないにこしたことはないのだろう。だが、今なくなったら、生活がしぼんでしまう、というシステムがある。環境が思考をつくるのだろうが、金で人間は生きているのではない。

意識の変革、長い時間をかけての本当の生きる道探し。

人間が人間らしく生きる。
命題なり。




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萬歳

2012年10月02日 | 文化・芸術
常磐津節「乗合船恵方萬歳」より、一節、おや萬歳~♪ と観客みんなで語る。

その時、「他人の幸せを願って。だれでも。たとえ嫌いな人でも」と、一中さんはいう。

きらいというよりは、かわいそうだな、と思う人がうかんで、その人の幸せなどねがって、「ウツハッハッ~♪」とやってみた。

きょうは「一中節と印象派」と題して、都一中さんのレクチャーコンサート。
最後は、明るく上記のように締めたが、印象派のゆらぎと、一中節の繊細な発声法や三味線の奏法などの比較をしたり、目のつけどころが面白かった。

場所はムジカーサ。代々木上原。半世紀も前、伯母がいた店に、どてらみたいのを着て、弟子たちをつれ飲んでいた書家がよく来たといっていた。
恩師だ。ながらく長屋に住んでいたというが、その代々木上原もずいぶん変わったのだろう。だいぶ高弟たちも黄泉の国へ旅立ったが、その青春群像を想う。純粋。
それに比べ、いまはなにかと打算的。政治家と同じだ。

いやいや、他人の幸せを願って、「ソレ萬歳楽で御喜びだ♪」。



 
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