2016年5月8日 海原純子(日本医大特任教授)
近所にドイツ人のシェフがいるレストランがあり、しばらく前から店の入り口に「ホワイトアスパラガス入荷」という張り紙が貼られている。イラストは色鉛筆で描かれ、 手描きの文字は日本語とドイツ語だが、アルファベットの方が何となくさまになっていて、ちょっとほほえましい。私などはホワイトアスパラといわれても、子供のころに食べた缶詰のものしかイメージがわかなくて有難味がない。しかしヨーロッパとくにドイツの人たちにとって、 ホワイトアスパラは春を告げるメッセンジャーなのだろう。長くドイツに住んでいた方に聞くと、ホワイトアスパラは 「あっ、やっと春がきた」という喜びと共に食卓にのぼる野菜なのだとのこと。どうりで夜になるとその店には、 ドイツにゆかりのあると思われる人たちが集まってきて、ふだんは静かな店が興奮に包まれる。
日本の桜と同じだなあと思った。いつごろ開花かと気になり、咲き始めると話題になり、満開になるとみなで盛り上がりながらお天気を気にする桜。 食物と花という違いこそあれ、 その国、その土地にしか楽しめないものを存分に楽しむ感覚は、その土地になじみのない人には理解しにくいかもしれない。
ホワイトアスパラがおいしいのはほんの数週間らしい。桜の見ごろはわずか数日だ。もし1年中ホワイトアスパラが出回り、桜の花が1年中咲いていたらどんなにつまらないことになるだろう。いつかはなくなってしまうものだからこそ、ある時を十分に楽しもうとすることが喜びとワクワク感になっているのかもしれない。
人生とよく似ている。若い時には若い時だけの楽しみがある。夜遅くまで外で遊んだり、ブランド物のバックや服が欲しくなったり、新しい店ができるとすぐにかけつけたりするのも若い時の楽しみかも知れない。そのころ楽しかったことで、年と共に興味がなくなったこともこともたくさんある。
その年齢でこそ楽しめること、その人がその時でしかできないことは多い。にもかかわらず、人は1年中桜を咲かせていたいと思うように、 若い時と同じことをいつまでも同じように楽しみたいと思っているようだ。それは無理がある。
若くなくては楽しくないことがあるように、年を重ねなければできないことや楽しめないことも必ずある。それをみつけることがむずかしいのは、 どのように年を重ねるかが人によって全く異なるから、一律にモデルケースとして示すことができず、 とまどう人が多いためだろう。
今、この時出来ることは何かと思いめぐらし、 ひとつひとつに心をこめてするなかで、喜びやワクワク感がじわりと広がって行く。それが人生の楽しさだと思う。
近所にドイツ人のシェフがいるレストランがあり、しばらく前から店の入り口に「ホワイトアスパラガス入荷」という張り紙が貼られている。イラストは色鉛筆で描かれ、 手描きの文字は日本語とドイツ語だが、アルファベットの方が何となくさまになっていて、ちょっとほほえましい。私などはホワイトアスパラといわれても、子供のころに食べた缶詰のものしかイメージがわかなくて有難味がない。しかしヨーロッパとくにドイツの人たちにとって、 ホワイトアスパラは春を告げるメッセンジャーなのだろう。長くドイツに住んでいた方に聞くと、ホワイトアスパラは 「あっ、やっと春がきた」という喜びと共に食卓にのぼる野菜なのだとのこと。どうりで夜になるとその店には、 ドイツにゆかりのあると思われる人たちが集まってきて、ふだんは静かな店が興奮に包まれる。
日本の桜と同じだなあと思った。いつごろ開花かと気になり、咲き始めると話題になり、満開になるとみなで盛り上がりながらお天気を気にする桜。 食物と花という違いこそあれ、 その国、その土地にしか楽しめないものを存分に楽しむ感覚は、その土地になじみのない人には理解しにくいかもしれない。
ホワイトアスパラがおいしいのはほんの数週間らしい。桜の見ごろはわずか数日だ。もし1年中ホワイトアスパラが出回り、桜の花が1年中咲いていたらどんなにつまらないことになるだろう。いつかはなくなってしまうものだからこそ、ある時を十分に楽しもうとすることが喜びとワクワク感になっているのかもしれない。
人生とよく似ている。若い時には若い時だけの楽しみがある。夜遅くまで外で遊んだり、ブランド物のバックや服が欲しくなったり、新しい店ができるとすぐにかけつけたりするのも若い時の楽しみかも知れない。そのころ楽しかったことで、年と共に興味がなくなったこともこともたくさんある。
その年齢でこそ楽しめること、その人がその時でしかできないことは多い。にもかかわらず、人は1年中桜を咲かせていたいと思うように、 若い時と同じことをいつまでも同じように楽しみたいと思っているようだ。それは無理がある。
若くなくては楽しくないことがあるように、年を重ねなければできないことや楽しめないことも必ずある。それをみつけることがむずかしいのは、 どのように年を重ねるかが人によって全く異なるから、一律にモデルケースとして示すことができず、 とまどう人が多いためだろう。
今、この時出来ることは何かと思いめぐらし、 ひとつひとつに心をこめてするなかで、喜びやワクワク感がじわりと広がって行く。それが人生の楽しさだと思う。