「孤老のつぶやき」(81歳)というタイトルで掲載されていました。
正月が来るのが嬉しかったのは子供の頃だけだ。忙しそうな大人たちを横目に「♪もういくつ寝るとお正月♪」なんて無邪気に歌っていた。今ではいくつ寝ようとも、お正月など来てほしくない。また年齢を重ね老化が深まるばかりだから。
もう80歳を超えたのだと一日に何度も自分に言い聞かせていると、いつか数字が身に沁みこみ70代のときのようにおっとり構えているわけにはいかない。体力の衰えは一段と進み、 よろけたり、転んだりすることは珍しくない。転んだ痛みより誰かに見られなかったかと、 素知らぬ顔で起き上がるプライドは残っている。
親も連れ合いも子どもも見送り、失うものが多くなるこのごろ。ひときわ寒さが身に染みる。気楽さと寂しさが背中合わせの独居となって久しく、どうかすると一日中誰とも話さない日があったりして、妙に人恋しくなることがある。あと1年と数ヶ月で年号も変わり昭和がまた遠のき、随分長生きしたものだと思う。
孤食するのもやるせなく外食すると、マニュアル通りお一人様ですかと聞かれ、見たら分かるやろと反論したい言葉を飲み込む。
高齢者にとって老後は終りの見えない時間の連続だが日々新しく、 日々面白く、日々に感謝していくしかないことがはっきり見える。
最後まで凛と生きることを泉下の家族は望んでいるだろう。
私はこの方と似たような境遇で、一人暮らしになって5年になり来年には八十路に突入します。気楽さと寂しさが背中合わせとうのも実感しますし、一日中誰とも話さない日も時にはあったりします。
私には還暦の頃から始めたパソコンと写真を撮るという趣味があって、 パソコンではブログという楽しみも覚えあまり寂しいと思ったことがありません。またパソコンと体操の教室にも週に2回づつ通っていますし、何かイベントがあれば写真を撮りに出かけたりと結構忙しく過ごしています。
また高齢者住宅にも何時でも入居出来るよう、 自分で整理出来る内にと断捨離に励んでいます。
正月が来るのが嬉しかったのは子供の頃だけだ。忙しそうな大人たちを横目に「♪もういくつ寝るとお正月♪」なんて無邪気に歌っていた。今ではいくつ寝ようとも、お正月など来てほしくない。また年齢を重ね老化が深まるばかりだから。
もう80歳を超えたのだと一日に何度も自分に言い聞かせていると、いつか数字が身に沁みこみ70代のときのようにおっとり構えているわけにはいかない。体力の衰えは一段と進み、 よろけたり、転んだりすることは珍しくない。転んだ痛みより誰かに見られなかったかと、 素知らぬ顔で起き上がるプライドは残っている。
親も連れ合いも子どもも見送り、失うものが多くなるこのごろ。ひときわ寒さが身に染みる。気楽さと寂しさが背中合わせの独居となって久しく、どうかすると一日中誰とも話さない日があったりして、妙に人恋しくなることがある。あと1年と数ヶ月で年号も変わり昭和がまた遠のき、随分長生きしたものだと思う。
孤食するのもやるせなく外食すると、マニュアル通りお一人様ですかと聞かれ、見たら分かるやろと反論したい言葉を飲み込む。
高齢者にとって老後は終りの見えない時間の連続だが日々新しく、 日々面白く、日々に感謝していくしかないことがはっきり見える。
最後まで凛と生きることを泉下の家族は望んでいるだろう。
私はこの方と似たような境遇で、一人暮らしになって5年になり来年には八十路に突入します。気楽さと寂しさが背中合わせとうのも実感しますし、一日中誰とも話さない日も時にはあったりします。
私には還暦の頃から始めたパソコンと写真を撮るという趣味があって、 パソコンではブログという楽しみも覚えあまり寂しいと思ったことがありません。またパソコンと体操の教室にも週に2回づつ通っていますし、何かイベントがあれば写真を撮りに出かけたりと結構忙しく過ごしています。
また高齢者住宅にも何時でも入居出来るよう、 自分で整理出来る内にと断捨離に励んでいます。