美味しいですね。
ソース焼きそば。
ジュウジュウと香ばしいソースの旨味とモチモチの麺、野菜の甘味が絡み絶妙な美味しさ。
お祭り屋台の顔、お好み焼き屋の締め、そして休日のお昼ご飯の定番として愛されています。
このソース焼きそば、実はいまいち起源がはっきりしません。
明治末期から戦前にかけて、ウスターソースの大ブームが発生しました。
昭和初期の不況時には、デパートの食堂でライスだけを注文し備え付けのウスターソースをたっぷりかけて食べる「ソーライス」が学生の間で流行します。
「ライスのみの注文お断り」。そう張り紙するデパートが増える中、阪急百貨店の創業者小林一三は逆に「ライスのみの注文大歓迎」と大々的に表示します。ライス一杯でデパートに足を運んでいただけるなら安いもの。それに学生さんは、今は貧乏でも将来は必ず関西経済発展の礎となり大事な取引先ともなりうる。これからの日本の宝を大切にしよう。学生たちへ大盛ライスに福神漬けをたっぷりつけて提供し、小林一三自らがテーブルを回って挨拶したといいます。
そんなソースブームの背景の中、おそらくは自然発生的にウスターソースで味付けしたソース焼きそばも存在していたものと考えられています。
しかし、本格的に食べられるようになったのは終戦後からです。
戦後の食糧難で、お米や醤油などの食料物資が決定的に不足しました。
そんな中「ララ物資」をはじめとする支援物資として、大量の小麦粉が国内に流入します。
また醸造期間の長い醤油にかわり、短期間で作れ甘味料などで味を調えやすいウスターソースが出回りました。
そこで水に溶いた小麦粉を鉄板に乗せ、ネギやキャベツなどの手に入る野菜を絡めて焼いてウスターソースをかける「一銭洋食」などの粉物メニューが大流行します。後にお好み焼きとして花開くこの食文化の脇で、同じく鉄板で中華麺を焼きウスターソースで味付けするソース焼きそばが提供され人気を博しました。
秋田県横手市では「元祖神谷焼きそば屋」が横手焼きそばの起源であることがはっきりしてますが、同時期に全国各地で様々なご当地ソース焼きそばが発生しそれぞれ発展を遂げています。
そして1963年にインスタントの日清焼そばが、1975年にチルドのマルちゃん「焼きそば3人前」が発売され大ヒット、家庭料理としても不動の地位を確立しました。
「お腹いっぱい食べさせたい」、ソース焼きそばの歴史をたどると、店主や経営者たちのそんな願いにつきあたり胸が熱くなります。
こんにちは!
確かにえらい人は違うと思わせるエピソードですよね。
飢えている人を満腹にしたい。その願いはいつの時代でも絶妙的な正義だなあと思います。