ヒロゾーの足跡です
すばらしい日々



毎年年末に1年を振り返ってます。
2024年。
今年は記事を書くかどうか、正直迷いました。
ですが、きっと似たような境遇の方もいらっしゃるかと思い、あえて書きたいと思います。
かなりの長文です、すみません。


6月7日。
妻が亡くなりました。

あえて詳細を書きます。
読みたくない方は読まないで下さい。

3月頃の出来事から事は始まります。
嫁は顔のマッサージをしていたそうです。
その際、左のアゴがガクッと鳴ったそうです。
元々嫁は顎関節症の疑いがありました。
その日以来体調が優れなくなっていきました。
全身の歪みと痛み。
不眠。
鼻呼吸がしづらい。
様々な症状がありました。

もちろん病院へも行きました。
実は20代の頃にも一度似た症状があり大学病院へ行った経緯があります。
その時は病名は付きませんでした。
病名が付けば本人もすっきりするだろうが、医師からしたらはっきりとした「コレが原因です」とは言いづらい病気なんだと思う。
そして、嫁も医師に対して何と説明したら良いのか分からず悩んでいました。
しばらくすると症状は落ち着き何も無い生活を取り戻してはいました。

そんな事があったので、嫁は今回凄い悩んでました。
誰も分かってくれないと。
自分から見て確かに体の歪みはあるし、おそらく顎関節症なんだろうなとは思ってました。
医師はやはり数値しか見ないというか、はっきりとはしませんでした。
検査自体も月に一度くらいのスケジュールでなかなか進みません。

最後の1週間。
嫁は体の辛さのあまり仕事のお休みを貰いました。
その週の金曜日、6月7日。
嫁は自宅のクローゼットでマフラーで自ら命を絶った。

自分はその日、珍しく早めに仕事が上がりスーパーで買い物をして帰宅した。
玄関を開けリビングを見ると電気とテレビが付いている。
しかし姿は見えない。
おそらく二階にいるのだろうと大きい声で「ただいまー」と言っても返答は無い。
トイレも風呂場にもいない。
近所のスーパーに買い物か?と思いつつ、テーブルへ目をやるとメモ用紙があった。
たぶん「買い物に行ってます」と書いてあるのだと思った。
しかし、違った。
「ごめんなさい、もう体が辛くて無理です」的な事が書いてあったのだ。

パニックになった。
一瞬「家出か?」とも思ったがすぐに察した。
1階の風呂場、トイレにはいない。
ダッシュで2階に駆け上がった。
3部屋あるのだが、パッと見いない。
ベランダにもいない。
しかし嫁の部屋をもう一度見るとクローゼットが開いていた。
そこには変わり果てた姿の嫁がいた。

急いでマフラーから外した。
すぐに119番へ通報。
玄関の鍵を開け言われるように心臓マッサージを続けた。
しばらくして救急隊員の方が駆け付けてくれた。
しかし、時間が経っている為微かな希望はすぐに打ち消された。

その後警察の方が来て事件性が無いか調べて頂いた。
遺書のメモ書きや携帯の検索履歴で首の吊り方を調べていたようですぐに事件性は無いという事になった。
医師の方にも来て頂きその場で検死をして頂き、おそらく13時くらいにでしょうとの事だった。

その間、俺はどうしていいのか分からずパニックになっていた。
過呼吸になってしまい、全身が痺れて動けなくなってしまった。
幸い救急隊の方がまだ外にいたので俺は這いつくばって助けを求めた。
とにかくこれは今俺一人では対処出来ないと思い、近くに住む兄に電話して直ぐに来てもらった。
会社へも連絡したら社長も来てくれた。
大変助かった。
その日のうちに葬儀屋さんの選定をしてすぐに引き取りに来て頂いた。

葬儀の打ち合わせに嫁のお姉さんにも来てもらった。
そのお姉さんも数年前に旦那さんを亡くしているのもあり、心強かった。
家族葬にした。
生前、ふざけて「私の方が先に死ぬと思う。葬式とかはお金掛かるからやらなくていいぞ」なんて言っていた。
しかしやらない訳にはいかないので、なるべくコンパクトにプランを立てた。

葬儀当日は家族のみという事なので、当日までに友人や会社の方々が面会に来てくれた。
わざわざ遠い所から駆け付けてくれた友人も。
そこで皆が口を合わせたかのように言うのが「皆から愛されてた」「時におちゃらけて」「誰も嫌いな人なんかいない」「優しい」
等々。
職場のムードメーカー的存在だったようだ。
嫁は皆から好かれている幸せ者でした。
そして、そんな嫁が俺は大好きだった。

嫁と旅行とか一大イベントの時は大抵雨が降るものだった。
俺が雨男なのか、嫁が雨女なのかわからないけど。
火葬場から眺める空はどこまでも青い綺麗な空だった。

それからは本当に感謝の日々が続いた。
嫁の職場の方々や俺の友達がお線香をあげに来てくれたり、心配してくれて連絡をくれたり、本当にありがたかったです。
励みになったし、茶つみも嫁もいなくなって独りだけど周りにはたくさんの友達がいてくれてる事に気付いた。
今ももちろんそうなんだが、その友人等に支えてもらってます。
本当に、本当に、ありがとう。

そんな嫁の職場で一番仲良くしていた方が割とすぐに「一緒に晩ご飯たべませんか?」と連絡をくれた。
その方は俺の事を何でもよく知っている。
嫁から全て聞いていたそうだ。
俺の事が心配で連絡してきてくれたのだ。
嫁が仲良くしてたのなら間違いは無いだろうと、俺は迷いなく受け入れて自宅で一緒にご飯を食べた。
そんなのが続き、今は月イチで「嫁友の会」を開催している。
ラーメンだったり、準喫茶だったり、メンバーも一人増えて今月は自宅で鍋もした。

実は亡くなって1週間後に「自死遺族の会」というのに参加していました。
その時の話も少し。
正直、こんなに遺族の方々がいるのかとビックリした。
まだ小さい子供がいる若い方、原因が分からないままの方、、、
その中で俺は忘れていた事に気付かされた。
何度かそういった遺族の会に参加している方の話です。
ある時ケロッとしている遺族の方がいらっしゃったらしく「どうしたらそんなに気持ちを落ち着かせる事ができるのか?」と聞いたそうです。
そうしたら、「いや、いずれ私が亡くなったらまた会えますから」という返答だったそうです。

俺、茶つみが死んだ後毎日のように言ってた。
「虹の橋で待っててね」と。
その事をすっかり忘れていた。
そう考えると少しではあるが気が保たれるというか。
いや、全然寂しいし悲しいけど、また会える時まで見守ってくれてると思えばほんの少しだけ前を向ける気がする。
参加した遺族の会の方が「まだ1週間でしょ?とても落ち着いてらしてちょっとビックリなんですけど」とおっしゃってくれたのだが、
そういう事なんです。

現在。
半年が過ぎました。
未だに信じられない。
テッテレーッ!つって「どっきりでした!」ってどこかから出てくるんじゃないかと。
家に独りでいるとすぐそこにいそうだし。
なるべく、話をしてる。
今日の出来事やテレビ観ながらあーだこーだと。
人生の半分を共にしたのでそれに対する返答は想像が付く。

ただ、当日の事があまりにもセンセーショナルだった。
病院へは行っていないが、おそらく俺はPTSDになっていると思う。
自然に治る人もいれば治らない人もいるそうだ。
あの発見した時のショックと抱き抱えた時の固さと冷たさ、心臓マッサージしている時の映像が頭から離れない。
よって、夜は電気を付けっぱなし、風呂が怖い、全身鳥肌が立つ、寝れない等がある。
しかし今は、風呂は少し苦手、寝る時は常夜灯くらいまでになった。
病院へ行ったところでおそらく薬を貰うのだろう。
仕事柄眠くなる薬はダメなのだ。
ちょっと悩ましいが、なんとか自力で克服したいところだ。

遺族の会の方が言っていた。
半年くらいで遺族の方が病んでしまうパターンが多いそうだ。
今、そのターンだが何となく分かる。
少しだけ落ち着いた頃、現実を見て受け入れ始めた頃。
前を向かなければいけないが後ろばかり気になってしまう。
今まで仕事がキツい時って「茶つみや嫁がいる!負けるな!」って思ってやってたところあるし。
それが今は出来ないし。
生きる意味が無いというと大げさなんだけど、極論、そこまでいってしまう。

なので、なるべく予定を入れるようにしている。
今まで通りに。
強引にでも。
それを察した俺はすぐに転職もした。
それまでの給料では一人ではやっていけないから、やっていくしかないのは目に見えて分かっているので即行動をした。
持ち家なのだが、出来るなら手放したくはない。
嫁と一緒に色々考えて作った家だから。

最後に。
事の翌日だったか、日記と遺言メッセージのノートを発見した。
分かりやすい所に置いてくれてました。
5月くらいからの日記で症状や思いが記されていた。
俺はそれに気付いてあげれなかったというか、そこまで切羽詰まった状況だとはと受け止めてあげれなかった。
それが悔やむ。
申し訳ない。
後悔しかない。

その日記を読んで俺の中で考えが変わりました。
それまでは「自死は絶対にダメ」という考えでしたが、悩んで悩んで苦渋の選択で選んだ道なら、それも選択肢のひとつとしてあっても良いのではと思った。
いや、残された方はたまったもんじゃないのだが、本人の事は本人にしか分からない。
周りがどうこうしても本人次第というか。
今、「自殺」とかそれと同様のワードを検索すると一番上に命のホットライン的な相談先が表示されるようです。
おそらく嫁も見ているはずです。
って事は、案内だけじゃダメなんだと思う。
たぶんそういった状況の人はそれ以外は目に入らないというか、まっしぐらというか。
実際、現場には千切れた俺のネクタイがあった。
一度失敗しても、、という事なんだろう。


追記
嫁が亡くなった後。
車の運転中に飛び石をくらいガラス交換で20万。
11月には父が他界。
今年、とてつもなく不幸に見舞われております。
そんな悪い一年でしたので、年末ジャンボをあえて買いました。
大宮のチャンスセンターで100枚。
仏壇に置いて嫁に毎日言ってます。
せめて、せめて、こんな俺に最後の最後で良い事を!と。
お願いしますね!嫁。







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バンドのMVが出来ました。
去年の10月からレコーディングを始め、1人ずつレコーディング。
ギリギリ年末にミックスを終え音源は完成。
だったと思う(笑)

そこから映像製作にバトンタッチして、4月頃に一曲アップ。
「僕等の日々」



この曲は、もともと宅録で昔にアップしてた曲です。
バンドでやったら良いだろうなと思ってた曲。

そして本日。
もう一曲アップ。
「RB-4000Gのテーマ」



この曲は既にライブでやってました。
改めてレコーディング。
ライブでは前のメンバーがギターを弾いてたのだが、今回のレコーディングでは新しいメンバー。
当然だけど、弾く人が違うと全然違うもんですな。

趣味でやってるオッサン達のバンド。
なかなか頑張ってます。
是非ご覧下さ〜い!
チャンネル登録も!

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久々の、ほんと、久々の宅録です。
曲自体はたぶん去年の11月くらいにぼんやり出来ていたと思われる。
Aメロだけだったかもしれない。
茶つみとの別れの後、何となくBメロCメロと作っていったような気がする。

たまたまこんな曲調が出来ていて、かつ、悲しみド真ん中な事もあり、やっぱ別れの曲だよなと。
割と仕事中に歌詞を考えてました。
やっぱ色々考えてしまうもので、合うようなキーワードが浮かんだら忘れないようにしてました。
そんなキーワードを繋ぎ合わせて歌詞は出来ました。

でだ。
お気付きの方はいらっしゃるかと思いますけど、何かの曲に似てますよね?
はい。
POLICEの「Every Breath You Take」、邦題「見つめていたい」をオマージュしております。
何となくですけどね。
Aメロの雰囲気とか。
あ、タイトルはそのまんま頂きましたけどww

そして、たぶん、バンドでもいつか演ると思います。
元々バンド用に書いてた曲でして、ボーカルが思いっきり唄える曲を作ろうとしていました。
ただ、歌詞が個人的な内容なのでもしかしたら歌詞は全部書き換えるかもしれない。

そんなお別れチューン。
是非お聴きください。
茶つみも喜んでくれていると思います。





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かなり久し振りになってしまいました。
最近宅録もしていませんでした。
普通に曲が思い浮かばないってのもあったし、バンドのメンバーチェンジやレコーディングが始まり手を付けていませんでした。

実は、そんな矢先の12月4日(月)。
愛犬「茶つみ」が亡くなりました。
享年13歳。
心不全でした。

数年前から弁膜症だった。
血液を送る弁が役割を果たさず、血液が逆流して心臓を圧迫してしまう病気です。
今年の7月にはそれが原因で肺水腫になり入院もしてました。
血液が溢れてしまい、水分が肺に逃げて肺胞が水分で詰まり呼吸が出来なくなる状態です。
幸いにも1週間の入院で回復していました。
ただ、肺水腫にまでなると平均余命はそう長くはないのです。
4~5か月くらいらしく、ちょっと覚悟はしていました。

それ以降はなるべく体の水分を抜く為に散歩の回数を増やした。
外でしかオシッコをしないからである。
朝2回、夜2回。
酸素吸入器もレンタルした。
でも、食欲はあるようでごはんやおやつも普通に食べてくれてました。
12月3日の夜は大好きな焼き魚もおねだりしてきてあげてました。

12月4日、夜が明ける直前。
4時半くらいだった。
リビングからガタン!と音がした。
慌てて見に行くと下半身に力が入らない茶つみが必死に立ち上がろうとしていた。
ウンチも垂れ流しである。
最初、腰?神経系?と思ったのだが様子がおかしい。
肺水腫の時見られたチアノーゼが見られるのだ。
つまり酸素が回っていない。
これはヤバいと救急病院へと急いだ。

すぐに診察をしてもらった。
血栓が飛んで下半身への血流を止めている。
肝臓に腫瘍があるようだ。
心膜が破れて心筋との間に水が溜まり心臓が機能しない。
それらのいずれかが原因で、おそらく心膜の水分だろうとなった。
注射器で水分を抜く事で機能は復活するそうだが、また繰り返しになる事もある。
だが、迷っている猶予はない。
処置をお願いした。
それからすぐ、先生が走ってきて「心停止です!」と。

慌てて茶つみの元へ駆け付けた。
目は見開き、ベロは出て全身の力は無い。
俺は覚悟を決めた。
診察台に横たわる茶つみに伝えた。
「ありがとう、充分がんばったよ、もういいよ楽になりな、、」
最後の死戦期(咳とか溜息をするような大きく息を吸い吐く動作)をした。
それまで死戦期の事は知らなかった。
先生がこれをすると死亡ですと教えてくれた。

最後はゆっくりと逝った。
正直死んだタイミングが分からない程だった。
幸いにも看取る事が出来た。

それから二日後。
茶つみは天国へと旅立った。
散歩した道を嫁と一緒に歩いた。
クンクン匂いを嗅ぐポイント、トイレのポイントなど色々な思い出を話した。
散歩中にかわいがってくれる人やドッグランでの顔見知りの人、ご近所の人など意外と茶つみは人気者でした。
その皆さんにも報告しつつ、あらためて幸せ者だったんだなぁと思った。

柔らかい毛並み。
ぷにぷにのお胸。
若い頃はボール遊びが大好きだった。
週末に行く公園では駐車場手前から大騒ぎしていた。
とにかく食いしん坊だった。
嫁がキッチンに立つと必ずキッチンの側で伏せしておこぼれを狙ってくる。
ごはんを食べていると側でお座りをしておねだりをしてくる。
あまり甘えん坊ではないのだが、たまに甘えてきてくれる事もあった。
ソファで横になっていると肩にアゴを乗せてくる。
行ってらっしゃいやお帰りの挨拶で顔をペロンとしてくれる。
たまにいつもより早く帰るとリビングをグルグルとダッシュして喜んでくれた。

家に居ると当たり前に居た茶つみはもう居ない。
全てが茶つみ中心で回ってたので調子が狂う。
なんかポッカリと心に大きな穴が空いたような感じ。
思い出すと涙が止まらない。
我が家は子供がいないので、文字通り「一人娘」だった。
ゆえに、ちょっと時間は掛かるでしょう。
ただ、悲しんでいても茶つみは喜んでくれないだろうと思う。
分かってる。
けど、まだまだ悲しいんだ。
ちょっとずつ、ちょっとずつ前を向いていきたいと思います。
嫁はもう犬は飼わない!と言っているが、俺はいずれ飼いたい。
また保護犬を。


茶つみもそうだが、今年は多くの方、特にミュージシャンが亡くなりましたね。
とんでもなく2023年は悪い年だったと思う。
来年は明るい年になるといいなぁ。
あ、俺、来年は年男です。
がんばります!
まずは年明けに久々に嫁を連れての帰省です。
ここ数年は茶つみの心配があったので嫁はお留守番でしたから。

あ、バンドも飛躍の年にしたいですな。
ギターが新しく変わりました。
さらにパワーアップしたRB-4000Gが見れると思います。
春にはyoutubeにて新曲アップして、夏ごろにはライブしたいな。

では。
皆様。
良いお年を!
2024年もよろしくお願い致します!






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久々にお友達をお呼びしてレコーディングしました。
ギターソロを全てお任せコース。
前奏、間奏、後奏とソロを入れたかったのだ。
もっと時間掛かるかなと思ってたらさすがギター弾きの方なので割と短い時間で終わりました。

結構前に大まかなレコーディングは済ませていたのだが、いかんせん、自分の中では異色な曲調でして。
どーしたもんかと考えつつ、友達にソロをお願いしたがなかなかスケジュールが合わず、歌詞が書けず、でかなり時間が掛かった感じです。

ちょっとだけオシャレ風なサウンドの1曲。
タイトルはどこかで聞いた事あるかもですが、ドライブ=人生という事で「Drive My Car」としました。




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昔。
20数年前くらいだろうか?
「世界の中心で愛を叫ぶ」というドラマがあった。(映画もね)
エンディングの柴咲コウの曲で毎回号泣したもんだ。
当時ズッポリとハマった俺はDVD BOXも買ったし。
その頃から宅録はしていたので、感銘を受けて楽曲なんかを作ってました。

で、時は過ぎて。
最近、色々整理をしていてこの曲が出てきました。
「あぁ、なかなかイイ曲だな」なんて自画自賛しつつ、「音ショボっ!」とも思い。。
「コレ、今録音したらもっとクオリティ上がるな」とも。

世の中には様々なクリエイティブなモノがある。
当然、作った時は「最高だ」と思って仕上げる。
が、成長するにつき作り直ししたいモノもある。
今ならもっと良く出来るなと。
それが出来る時代と成長した俺。

で、やってみた。
ほぼ、当時のアレンジ。
違うのは使っている楽器とPCとDAWと老いた俺くらいか。
今となってはこんな歌詞は書かないし書けない。
ちょっと恥ずい。

昔の音源と聴き比べてもらえれば劇的にクオリティが上がっているのだが、それが出来ないのが残念である。
あ、でも、ボーカルはあまり変わってないか。。


そんな渾身の1曲です。



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昔。
20数年前に宅録した曲をリメイクしました。
若い頃の作品なので勢い勝負です。
もっとがむしゃらに行こうぜ!という内容。

リメイクするにあたり、歌詞を少し変更しました。
「山岡家はいつも行列だ」と出てくるが、その辺を変更してます。
20年前に山岡家がどうだったのかは知りません。。

ソロも変更。
フレーズを変えて、入る前にフィードバックを入れた。
このフィードバック、実は別録りです。
いつもアンプの歪みだけなんだけど、それだとフィードバックが掛からない。
常にそれなりの音量出してるのでそれ以上上げるのもどうかと。
で、いつもアンプ前に繋いでいるヒュースアンドケトナーのTUBE FACTOR(いつもはバイパスにしてる)をON!
ハウるハウる(笑)
ノイズも凄いが、またそれもロックでしょ。
そして繋ぎ合わせ、フランジャー掛けてみた。
なかなかハマったんではないでしょうか。

全体的に歪ませてます。
録音がヘタクソな訳じゃありませんのよ。
今回リメイクするにあたり、ドラムの音色を選ぶ時たまたま歪んだサウンドが出て「あぁ、ハマるなぁ」と思いました。
じゃ、よくあるけど全体的に歪ませてみっかと。
全トラックに歪み系のプラグインを差して、かつ、コンプ強め、マスターでもひずみ系を差してます。

まぁ、昔と今とあまりやってる事は変わってないんだなぁと実感しました。
それが良いのか悪いのか。
もう一発リメイクしたい曲があるので次回はそれをやってみようと思ってます。
当時ドラマの「世界の中心で愛を叫ぶ」に感銘を受けて作った曲。
当時友達とスタジオに入って一夜限りだがバンドで演った曲。
ちょっとテンポは落とそうかな?(笑)
乞うご期待。

では、燃え尽きないでね↓






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すっかり2023年ですね。
今年もよろしくお願い致します。

年末から忙しくて楽器触る気力が出なくて宅録から遠ざかっておりました。
クリスマスに嫁がコロナになりまして、私自身は当然濃厚接触者となり年末までドタバタとしてました。
嫁は1日だけ38度の発熱して翌日にはケロッとしてました。
でも自宅療養です。

正月は初詣行ったり、一人ドライブで日帰り温泉に行ったりとしてました。
空いた時間でレコーディングです。

曲自体は2022年12月の頭くらいに出来てまして。
それから年内はほったらかし。
オケ自体の録音はすんなりいきましたが、何か物足りないような気もして。
色々試行錯誤して、結果、シンプルイズベスト!にしました。
どことなく80年代っぽいサウンドにしつつ。

ポイントは、ミックスで残響を一切付けなかった事。
いわゆるリバーブとかディレイとか。
ドラムはうっすらと入ってますが、打ち込み時からのプリセットでの残響です。
ギターソロはディレイ付いてますが、掛け録りです。
何となくパンチのある仕上がりになりました。

詞。
珍しく真面目です。
実はタイトルから先に出来てました。
なんかいきなり「Thank you. goodbye」という言葉が浮かびましてね。
それはそれで良いのだが、「ありがとう。さようなら」って何?悲しい唄?どうすんの?そんなん書ける訳ねーじゃん!となります、当然。
ボツにしようとも思ったのですが、閃きって大事だよなとも思いつつ、あえて難しいテーマに挑戦するのもアリかなと。
で、悩みまくって自動作詞ツールに頼ったりしつつ。(便利な世の中だ)
それで出て来たワードから強引に広げていきました。
身の回りで誰かが亡くなった訳ではありません。
想像のパターンです。
ご心配なく。

ぜひ!




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我が家の世界一カワイイわんこ「茶つみ」。
今年12歳。
すっかり遊ばなくなりましたが、若い頃はボール遊びが大好きでした。
そんな頃を思い出しながら曲を作ってみました。

まず、サビのメロディが浮かんできたのですが。。
なんかどっかで聴いた事あるような無いような。。
鼻唄検索してみてもヒットしないのでとりあえず進行しました。
もし似た曲があったらごめんなさい。

リズムが肝、歯切れ良く、ですね。
全体的にシンプルな楽器構成にしました。
曲自体もシンプルに。

サビの手拍子は本物です。
マイクを近くと遠くに2本立てて4人分です。
打ち込みでのハンドクラップだとやっぱり「打ち込みの音」になってしまうのでね。

シンプルに拘ったせいか制作時間もかなり短かったです。
ぜひ。





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ラブレターの曲です♥

ま、それは置いといて。。
3連です。
宅録作品としては初だったかな?
実際に演奏するとこのテンポでのシャッフルって気持ちいいのよね。
特にドラムは。

録音していく際。
自分は、クリックを聴きながらリズムギターを最初に録音します。
大体それをLch.にしてるんだけど、それを聴きながらもう一本リズムギターを新たに録音します。
それはRch.にします。
ですが、今回はそれをやめてみた。
最初に録音したリズムギターをDAW上でコピーして、まったく同じリズムギターのトラックをもう一つ作ります。
最初のリズムギターは左へ。
コピーしたリズムギターは右へ配置。
再生すると左右から同じ音が鳴るのでモノラルになってしまいます。
で、右のリズムギターに薄っすらとディレイを掛けるとあら不思議。
ちゃんとステレオで2本のリズムギターが鳴ります。
別に今更でもテクニックとも言う程の事でもないのだが、左右で同じように鳴らしたい時には便利よね。

ラストのギターソロ。
毎回ギターソロを録音する時は、その小節を何度もリピート再生して、何度も適当にギターを弾いて、「あぁこのフレーズいいなぁ」と思ったらそれは採用して、とにかく鬼のように弾き込みます。
だって俺、ギタリストじゃないからさ。。
うまく弾けないもん。
で、何度も録音します。
最初から最後まで。
パンチインはあまり使いたくないの。
なんか卑怯な気がしてね。
で、この曲のソロ。
長いでしょ?
何度も録音してたら後半で弦が切れまして。。
うぉっ!ほぼ良く弾けてたのに。。と俺のガラスのハートは粉々になりまして。
今回のソロは何気に気合を入れたテンションで弾いてました。
弦を張り替えて馴染ませてって時間を掛けるとテンション下がるなぁと。
そこでDAWのありがたみに。
切れた所をうまく弾けてるテイクに差し替えです。
ありがとう、現代のテクノロジー。
って、結局卑怯な手を使ってるという。

そんなこんなで、今回はDAWの醍醐味を味わえた1曲です。
ま、聴く方は全く関係無い話なんですが。。





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