ヒロゾーの足跡です
すばらしい日々



毎年年末に1年を振り返ってます。
2024年。
今年は記事を書くかどうか、正直迷いました。
ですが、きっと似たような境遇の方もいらっしゃるかと思い、あえて書きたいと思います。
かなりの長文です、すみません。


6月7日。
妻が亡くなりました。

あえて詳細を書きます。
読みたくない方は読まないで下さい。

3月頃の出来事から事は始まります。
嫁は顔のマッサージをしていたそうです。
その際、左のアゴがガクッと鳴ったそうです。
元々嫁は顎関節症の疑いがありました。
その日以来体調が優れなくなっていきました。
全身の歪みと痛み。
不眠。
鼻呼吸がしづらい。
様々な症状がありました。

もちろん病院へも行きました。
実は20代の頃にも一度似た症状があり大学病院へ行った経緯があります。
その時は病名は付きませんでした。
病名が付けば本人もすっきりするだろうが、医師からしたらはっきりとした「コレが原因です」とは言いづらい病気なんだと思う。
そして、嫁も医師に対して何と説明したら良いのか分からず悩んでいました。
しばらくすると症状は落ち着き何も無い生活を取り戻してはいました。

そんな事があったので、嫁は今回凄い悩んでました。
誰も分かってくれないと。
自分から見て確かに体の歪みはあるし、おそらく顎関節症なんだろうなとは思ってました。
医師はやはり数値しか見ないというか、はっきりとはしませんでした。
検査自体も月に一度くらいのスケジュールでなかなか進みません。

最後の1週間。
嫁は体の辛さのあまり仕事のお休みを貰いました。
その週の金曜日、6月7日。
嫁は自宅のクローゼットでマフラーで自ら命を絶った。

自分はその日、珍しく早めに仕事が上がりスーパーで買い物をして帰宅した。
玄関を開けリビングを見ると電気とテレビが付いている。
しかし姿は見えない。
おそらく二階にいるのだろうと大きい声で「ただいまー」と言っても返答は無い。
トイレも風呂場にもいない。
近所のスーパーに買い物か?と思いつつ、テーブルへ目をやるとメモ用紙があった。
たぶん「買い物に行ってます」と書いてあるのだと思った。
しかし、違った。
「ごめんなさい、もう体が辛くて無理です」的な事が書いてあったのだ。

パニックになった。
一瞬「家出か?」とも思ったがすぐに察した。
1階の風呂場、トイレにはいない。
ダッシュで2階に駆け上がった。
3部屋あるのだが、パッと見いない。
ベランダにもいない。
しかし嫁の部屋をもう一度見るとクローゼットが開いていた。
そこには変わり果てた姿の嫁がいた。

急いでマフラーから外した。
すぐに119番へ通報。
玄関の鍵を開け言われるように心臓マッサージを続けた。
しばらくして救急隊員の方が駆け付けてくれた。
しかし、時間が経っている為微かな希望はすぐに打ち消された。

その後警察の方が来て事件性が無いか調べて頂いた。
遺書のメモ書きや携帯の検索履歴で首の吊り方を調べていたようですぐに事件性は無いという事になった。
医師の方にも来て頂きその場で検死をして頂き、おそらく13時くらいにでしょうとの事だった。

その間、俺はどうしていいのか分からずパニックになっていた。
過呼吸になってしまい、全身が痺れて動けなくなってしまった。
幸い救急隊の方がまだ外にいたので俺は這いつくばって助けを求めた。
とにかくこれは今俺一人では対処出来ないと思い、近くに住む兄に電話して直ぐに来てもらった。
会社へも連絡したら社長も来てくれた。
大変助かった。
その日のうちに葬儀屋さんの選定をしてすぐに引き取りに来て頂いた。

葬儀の打ち合わせに嫁のお姉さんにも来てもらった。
そのお姉さんも数年前に旦那さんを亡くしているのもあり、心強かった。
家族葬にした。
生前、ふざけて「私の方が先に死ぬと思う。葬式とかはお金掛かるからやらなくていいぞ」なんて言っていた。
しかしやらない訳にはいかないので、なるべくコンパクトにプランを立てた。

葬儀当日は家族のみという事なので、当日までに友人や会社の方々が面会に来てくれた。
わざわざ遠い所から駆け付けてくれた友人も。
そこで皆が口を合わせたかのように言うのが「皆から愛されてた」「時におちゃらけて」「誰も嫌いな人なんかいない」「優しい」
等々。
職場のムードメーカー的存在だったようだ。
嫁は皆から好かれている幸せ者でした。
そして、そんな嫁が俺は大好きだった。

嫁と旅行とか一大イベントの時は大抵雨が降るものだった。
俺が雨男なのか、嫁が雨女なのかわからないけど。
火葬場から眺める空はどこまでも青い綺麗な空だった。

それからは本当に感謝の日々が続いた。
嫁の職場の方々や俺の友達がお線香をあげに来てくれたり、心配してくれて連絡をくれたり、本当にありがたかったです。
励みになったし、茶つみも嫁もいなくなって独りだけど周りにはたくさんの友達がいてくれてる事に気付いた。
今ももちろんそうなんだが、その友人等に支えてもらってます。
本当に、本当に、ありがとう。

そんな嫁の職場で一番仲良くしていた方が割とすぐに「一緒に晩ご飯たべませんか?」と連絡をくれた。
その方は俺の事を何でもよく知っている。
嫁から全て聞いていたそうだ。
俺の事が心配で連絡してきてくれたのだ。
嫁が仲良くしてたのなら間違いは無いだろうと、俺は迷いなく受け入れて自宅で一緒にご飯を食べた。
そんなのが続き、今は月イチで「嫁友の会」を開催している。
ラーメンだったり、準喫茶だったり、メンバーも一人増えて今月は自宅で鍋もした。

実は亡くなって1週間後に「自死遺族の会」というのに参加していました。
その時の話も少し。
正直、こんなに遺族の方々がいるのかとビックリした。
まだ小さい子供がいる若い方、原因が分からないままの方、、、
その中で俺は忘れていた事に気付かされた。
何度かそういった遺族の会に参加している方の話です。
ある時ケロッとしている遺族の方がいらっしゃったらしく「どうしたらそんなに気持ちを落ち着かせる事ができるのか?」と聞いたそうです。
そうしたら、「いや、いずれ私が亡くなったらまた会えますから」という返答だったそうです。

俺、茶つみが死んだ後毎日のように言ってた。
「虹の橋で待っててね」と。
その事をすっかり忘れていた。
そう考えると少しではあるが気が保たれるというか。
いや、全然寂しいし悲しいけど、また会える時まで見守ってくれてると思えばほんの少しだけ前を向ける気がする。
参加した遺族の会の方が「まだ1週間でしょ?とても落ち着いてらしてちょっとビックリなんですけど」とおっしゃってくれたのだが、
そういう事なんです。

現在。
半年が過ぎました。
未だに信じられない。
テッテレーッ!つって「どっきりでした!」ってどこかから出てくるんじゃないかと。
家に独りでいるとすぐそこにいそうだし。
なるべく、話をしてる。
今日の出来事やテレビ観ながらあーだこーだと。
人生の半分を共にしたのでそれに対する返答は想像が付く。

ただ、当日の事があまりにもセンセーショナルだった。
病院へは行っていないが、おそらく俺はPTSDになっていると思う。
自然に治る人もいれば治らない人もいるそうだ。
あの発見した時のショックと抱き抱えた時の固さと冷たさ、心臓マッサージしている時の映像が頭から離れない。
よって、夜は電気を付けっぱなし、風呂が怖い、全身鳥肌が立つ、寝れない等がある。
しかし今は、風呂は少し苦手、寝る時は常夜灯くらいまでになった。
病院へ行ったところでおそらく薬を貰うのだろう。
仕事柄眠くなる薬はダメなのだ。
ちょっと悩ましいが、なんとか自力で克服したいところだ。

遺族の会の方が言っていた。
半年くらいで遺族の方が病んでしまうパターンが多いそうだ。
今、そのターンだが何となく分かる。
少しだけ落ち着いた頃、現実を見て受け入れ始めた頃。
前を向かなければいけないが後ろばかり気になってしまう。
今まで仕事がキツい時って「茶つみや嫁がいる!負けるな!」って思ってやってたところあるし。
それが今は出来ないし。
生きる意味が無いというと大げさなんだけど、極論、そこまでいってしまう。

なので、なるべく予定を入れるようにしている。
今まで通りに。
強引にでも。
それを察した俺はすぐに転職もした。
それまでの給料では一人ではやっていけないから、やっていくしかないのは目に見えて分かっているので即行動をした。
持ち家なのだが、出来るなら手放したくはない。
嫁と一緒に色々考えて作った家だから。

最後に。
事の翌日だったか、日記と遺言メッセージのノートを発見した。
分かりやすい所に置いてくれてました。
5月くらいからの日記で症状や思いが記されていた。
俺はそれに気付いてあげれなかったというか、そこまで切羽詰まった状況だとはと受け止めてあげれなかった。
それが悔やむ。
申し訳ない。
後悔しかない。

その日記を読んで俺の中で考えが変わりました。
それまでは「自死は絶対にダメ」という考えでしたが、悩んで悩んで苦渋の選択で選んだ道なら、それも選択肢のひとつとしてあっても良いのではと思った。
いや、残された方はたまったもんじゃないのだが、本人の事は本人にしか分からない。
周りがどうこうしても本人次第というか。
今、「自殺」とかそれと同様のワードを検索すると一番上に命のホットライン的な相談先が表示されるようです。
おそらく嫁も見ているはずです。
って事は、案内だけじゃダメなんだと思う。
たぶんそういった状況の人はそれ以外は目に入らないというか、まっしぐらというか。
実際、現場には千切れた俺のネクタイがあった。
一度失敗しても、、という事なんだろう。


追記
嫁が亡くなった後。
車の運転中に飛び石をくらいガラス交換で20万。
11月には父が他界。
今年、とてつもなく不幸に見舞われております。
そんな悪い一年でしたので、年末ジャンボをあえて買いました。
大宮のチャンスセンターで100枚。
仏壇に置いて嫁に毎日言ってます。
せめて、せめて、こんな俺に最後の最後で良い事を!と。
お願いしますね!嫁。







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