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こういうことでもない限り訪れないかもしれない場所でした。
戦争の記憶がないといっても・・・・
捕虜としてつらい日々を過ごされた人たちの写真はさすが写せませんでした。
私たちの団体さんで今日はいっぱいでした。
満州というと義父がいたところでした。
家族が命からがら帰ってきたということでしたが港はどこか聞いたことはありませんでした。
写してきました・・・・ このような姿で雪深いところで仕事をしていたのです。
岸壁の母の曲が流れる中、涙ぐんでいる方もいました。
一緒に参加した方のお義父さんも亡くなられたということでした。
死亡通知があってもやはり生きて帰ることを願ってこうして桟橋で待っていたのでしょうね。
何とつらい時期だったのでしょう。
でもこうして引き揚げてこられた方はまだい良かったですよね。
戦争からこうして長い日が過ぎると忘れてしまったことが多いのではないでしょうか。
引揚記念公園のこのモニュメントの鐘が30分おきに鳴ります。
新しい橋が見えました。
高台まで上がり右下に見えた桟橋までバスで行くことになりました。
舞鶴港は大陸から近いこともあったのかもしれません。
ここが平引上桟橋がその当時のものはなくなりましたが、新しく作られていますその当時より少し短いようです。
ただ観光で来たのではなく私たちは平和を願いその絆をこれからもつないでいきたいと強く心に思いました。
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