富士と女優

美しいものを見て感性を潤いたいな。

いよいよ本格的な冠雪です。

2008-10-17 13:38:55 | Weblog
富士山頂に雪がふったようですね。
昨日の夜勤の風は冷たかった…。

 富士山検定
  模擬問題(歴史編)
   第8問 噴出物が足柄路をふさいだとされるのは西暦何年からはじまった
       一連の噴火?

     ①800年 ②864年 ③1083年 ④1707年
    




   ……………………………………………………………………………………


    正解 ①の800年

    噴火の歴史
    富士山は、781(天応元)年から1707(宝永4)年の宝永の
    大噴火にいたるまで、記録に残っているだけでも16~17回の噴火が
    確認されている。有史以来、頂上からの溶岩流出はなく、全て寄生火山
    からの流出である。最初の噴火は「続日本史」に「駿河の国の富士山が
    突然噴火して熱い灰を降らし、山麓の草や木の葉を枯らした」とある
    ことから、小規模なものであったと考えられる。そののち、800(延暦19)年
    の延暦の大噴火をはじめとし、有史以来最大規模といわれる864
    (貞観6) 年の大噴火、1707(宝永4)年には最後の噴火となる
    宝永の大噴火と、3度の大噴火を迎えることになる。

    延暦の大噴火
    800(延暦19)年に発生した大規模な噴火。
    山頂火口部をはじめ山腹各所の寄生火山から発し、数年間噴火を
    繰り返して大きな被害をもたらした。
    記録された最初の噴火は、同年3月14日にはじまり4月18日まで、
    およそ1ヵ月間つづき、この様子は、平安時代の歴史書「日本記略」に
    「山頂は真っ赤に焼け、立ちのぼる噴煙によって昼間でも暗い。夜は
    火柱が天を照らし、地鳴りが雷のようにとどろく」と記述されている。
    さらに翌801(延暦20)年から802(延暦21)年には2度の爆発が
    起こる。複数の溶岩流が流れ出し、周辺各所に火山礫や火山灰があられの
    ようにふりそそぎ、やがてこれが古代東海道の一部であった「足柄路」を
    埋めつくした。古代の主要街道であったこの道は軍事用や緊急連絡用として
    重要な意味をもっていたため、朝廷は代わりとなる「箱根路」をすぐさま
    つくり、安全が確認されるまでのおおよそ1年間、この道を使用した。

 〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著から

コメント
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