今日の庭先に咲いた河津サクラ
もう一輪花開く
富士山検定
模擬問題(歴史編)
第5問 女性の登山が解禁された時代は?
①室町時代 ②江戸時代 ③明治時代 ④昭和時代
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正解 ③の明治時代
明治時代以降
1868(明治元)年からの明治時代以降、富士山は修験山から
観光登山の山へと徐々に変化していく。明治維新によって
さまざまな改革が行われる中、新政府は廃仏毀釈(ハイブツキシャク)の
運動を進めた。そのため修験道者は激減し、富士山中の仏像や仏具
は取り払われ、「釈迦ヶ岳」「文殊ヶ岳」などといった仏教的な地名
も変更となった。1872(明治5)年には女性の富士登山解禁、
1889(明治22)年に東海道線の東京~神戸間が開通し、
御殿場口が開かれた。富士山周辺の開墾も行われ、浪曲や時代劇で
お馴染みの清水次郎長(山本長五郎)も開墾者のひとりとなった。
明治末期頃からは別荘地の開発も進み、富士山麓電気鉄道(現・富士急行)
が山中湖などを開発したほか、御殿場市二の岡地区には、欧米人の
実業家や学者、宣教師たちが別荘を構えたことから避暑地として
知られ、「アメリカ村」と呼ばれた。
第二次世界大戦後は富士山の観光開発が加速し、1964(昭和39)
年には富士スバルラインが5合目まで開通すると、富士山は性別や国境を
問わない多くの登山者でにぎわう山となった。
1960年代には、麓から山頂までを15分弱で結ぶ「トンネルケーブル
カー」の計画が具体的に持ち上がったが、環境保全の観点から問題が多い
とされ、計画は取り下げられた。一方、観光登山客が急速に増加すると
同時に、周辺地域の産業も発展。それにより、森林伐採や産業廃棄物の
投棄などの問題が発生しはじめ、自然保護と開発のバランス、不法投棄
への対応などといった多くの課題が現在も残されている。
〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著2006年発行から