異文化交流クイズ。ジャポニズム特集第8回は「有名なガラス工芸家エミール・ガレに、日本のモティーフや季節感などを直接伝え、その後のガレの作風に強い影響を与えた高島北海は、明治政府の官吏として何を勉強にフランスに留学していたのでしょう?」という問題でした。
今回の正解は……『林業』でした。
明治18年なんて時代に、林業を学ばせる為にフランスに留学させるとは、明治政府もそれなりに色んな所に目を配っていたんだ、という点には感心させられます。もっとも日本の美術・工芸を売り込むべく作った官製会社はあっさり潰れ、後の美術史に名を刻んだのが個人の美術商やら、芸術なんて全くの門外漢のこの高島北海のような人物だった、というのは、皮肉と云うべきか、ある意味「当然」と云うべきか?
更にこの林業に関しても皮肉な話ですが、江戸時代の日本の森林保護、植林技術は世界的に見てもピカ一でした。
具体例を挙げると非常に分かりやすいのですが、以前開催された愛知万博。その本来の会場予定地だった瀬戸の「海上の森」は数百年前には一度ほぼ禿げ山化しています。これは陶磁器を焼く為の薪を作る為に木を伐採しすぎた為です。勿論そのまま放置すれば洪水や土砂崩れが発生します。ですから人々は長い年月を掛けて「陶器を焼くために伐採した分を植林して」というリサイクルシステムを構築したわけです。
実際愛知万博開催当時、一部だけ使用された瀬戸会場を見てきましたが、確かに奥凄く深い森というわけではありませんけれど「この山が一時は全山禿げ山だった」と云われてもピンと来ませんでした。江戸時代の日本はこうして少なくとも一般的な日常生活に必要なモノは自給自足できる体制を確立していたわけですね。
もっとも江戸幕府が倒れた時、木曽の山奥の人々は「これで(今まで幕府に禁じられていた地域で)木の伐採が自由に出来る」とはしゃいだわけで、その代表的な姿が描かれているのが島崎藤村の「夜明け前」なわけです。
更に蛇足ですが、明治政府は「禿げ山だらけのとある地域」に長い時間と大量の資金を投入して植林に励んだわけですが、ほんの70年程で完膚無きまでに全土禿げ山に逆戻りしたようです。なんでもその地は「地上の楽園」を自称しているそうですが。
今回の正解は……『林業』でした。
明治18年なんて時代に、林業を学ばせる為にフランスに留学させるとは、明治政府もそれなりに色んな所に目を配っていたんだ、という点には感心させられます。もっとも日本の美術・工芸を売り込むべく作った官製会社はあっさり潰れ、後の美術史に名を刻んだのが個人の美術商やら、芸術なんて全くの門外漢のこの高島北海のような人物だった、というのは、皮肉と云うべきか、ある意味「当然」と云うべきか?
更にこの林業に関しても皮肉な話ですが、江戸時代の日本の森林保護、植林技術は世界的に見てもピカ一でした。
具体例を挙げると非常に分かりやすいのですが、以前開催された愛知万博。その本来の会場予定地だった瀬戸の「海上の森」は数百年前には一度ほぼ禿げ山化しています。これは陶磁器を焼く為の薪を作る為に木を伐採しすぎた為です。勿論そのまま放置すれば洪水や土砂崩れが発生します。ですから人々は長い年月を掛けて「陶器を焼くために伐採した分を植林して」というリサイクルシステムを構築したわけです。
実際愛知万博開催当時、一部だけ使用された瀬戸会場を見てきましたが、確かに奥凄く深い森というわけではありませんけれど「この山が一時は全山禿げ山だった」と云われてもピンと来ませんでした。江戸時代の日本はこうして少なくとも一般的な日常生活に必要なモノは自給自足できる体制を確立していたわけですね。
もっとも江戸幕府が倒れた時、木曽の山奥の人々は「これで(今まで幕府に禁じられていた地域で)木の伐採が自由に出来る」とはしゃいだわけで、その代表的な姿が描かれているのが島崎藤村の「夜明け前」なわけです。
更に蛇足ですが、明治政府は「禿げ山だらけのとある地域」に長い時間と大量の資金を投入して植林に励んだわけですが、ほんの70年程で完膚無きまでに全土禿げ山に逆戻りしたようです。なんでもその地は「地上の楽園」を自称しているそうですが。