異文化交流クイズサードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第6回は言語学者のチェンバレンが、日本女性について『日本の女性は一生の間、大体○○の如くに取扱われていると云った方がよい』と見解を述べていますが、この『○○の如く』に当てはまる言葉は何でしょう? という問題でした。
『日本の女性は一生の間、大体赤児の如くに取扱われていると云った方がよい』と云うことで、今回の正解は・・・『赤児』でした。
要するに、ロティに云わせれば『日本女性は何の思想も意志も持たぬ単なる人形』であり、しかもその人形から着物を剥ぎ取ってしまえば貧弱な身体しか残らず、そのような結婚生活など耐えられない、というのが『お菊さん』という小説の形を取ったわけです。
他のアジア諸国よりは明らかに地位が高かったとは云え、やはり「西洋近代の基準に従えば」日本では女性が男性に隷属していると映ったが故のチェンバレンのこの表現ですが、流石はロティと違って彼は別の側面をも見抜いています。
一生赤児のように扱われる日本女性は同時に『不用意な観察者には見抜くことのできない性質をもって』おり、それは『堅固な、殆ど厳しいとも云えるべき性質である』と云い『このか弱そうな女性がスパルタ人の心を持っているのである』と。
更にチェンバレンは『下層階級においては、中流階級や上流におけるほど女性の服従が実行されたことはない』と認め『農民の婦人や、職人や小商人の妻たちはこの国の貴婦人達よりも多くの自由と比較的高い地位を持っている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である』……って、つまるところ、現在と変わらないじゃん、と(笑)。
維新前後の外国人観察者達の記録を数多く読んでいると実感しますが、要するに、国民性等の根本の部分と云うものは、たかが百年やそこらでは変わらない、ということですね。
『日本の女性は一生の間、大体赤児の如くに取扱われていると云った方がよい』と云うことで、今回の正解は・・・『赤児』でした。
要するに、ロティに云わせれば『日本女性は何の思想も意志も持たぬ単なる人形』であり、しかもその人形から着物を剥ぎ取ってしまえば貧弱な身体しか残らず、そのような結婚生活など耐えられない、というのが『お菊さん』という小説の形を取ったわけです。
他のアジア諸国よりは明らかに地位が高かったとは云え、やはり「西洋近代の基準に従えば」日本では女性が男性に隷属していると映ったが故のチェンバレンのこの表現ですが、流石はロティと違って彼は別の側面をも見抜いています。
一生赤児のように扱われる日本女性は同時に『不用意な観察者には見抜くことのできない性質をもって』おり、それは『堅固な、殆ど厳しいとも云えるべき性質である』と云い『このか弱そうな女性がスパルタ人の心を持っているのである』と。
更にチェンバレンは『下層階級においては、中流階級や上流におけるほど女性の服従が実行されたことはない』と認め『農民の婦人や、職人や小商人の妻たちはこの国の貴婦人達よりも多くの自由と比較的高い地位を持っている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である』……って、つまるところ、現在と変わらないじゃん、と(笑)。
維新前後の外国人観察者達の記録を数多く読んでいると実感しますが、要するに、国民性等の根本の部分と云うものは、たかが百年やそこらでは変わらない、ということですね。