異文化交流クイズ、ジャポニズムシリーズ最終回の第10回です。
最終回ですので改めて19世紀後半、日本の絵画、版画および工芸などが欧米の美術に与えた影響を纏めてみたいと思います。
ルネッサンス以来の理知主義に基づく、カメラ・オブスキュラにより得られるような透視画法や、遠近法的な空間表現はこの時代、行き詰まりを迎えていました。
まさにそんな時に、欧米の画家達は日本画や浮世絵と出会ったわけです。その出会いが如何に劇的なものであったのかは、1878年のパリ万博に際してエルネスト・シェノーが発表した「パリにおける日本」という評論の中で語られた、当時の画家達の反応で分かります。
『その熱狂は火薬の導火線の上を走る炎のような素早さで、すべてのアトリエに広がった。人々は、構図の思いがけなさやフォルムの知識、色調の豊かさ、絵画的効果の独創性と同時に、そうした成果を得るために用いられている手段の簡潔さを賛美して飽きることがなかった』。
この「構図の思いがけなさ」とは、シンメトリーを無視した構成、中心をわざとはずした枠取り、部分の大胆な強調、上から見下ろしたような俯瞰構図による画面の平面化など、いずれも西欧の伝統的な遠近法表現による構成では見られない種類のものであり、「フォルムの知識」については、西欧絵画の伝統的な肉付けを否定して輪郭線を強調した日本的なデッサン法が、クロワゾニスムや綜合主義、アール・ヌーヴォーなど、世紀末の絵画に広い影響を与えていきました。
さて、ここで大前提に戻って「何故」この時期になって絵画に新しい動きが生まれてきたかと云えば、勿論近代市民社会の成立などが背景にありますけれど、もっと直接的には「写真」の普及があるのかと(そんなことを直接書いている本はありませんが)。
その写真についても初期から理論書などが生まれますが、その最初期のものは「ルネッサンス期からの画像を作る効果を美学の観点から説き、主題や構図を模倣する」というものなのは皮肉な話かもしれません。
で、その歴史の繰り返しとしてからは必然なのか、写真についてもジャポニスムの影響が見られます。
ただ風景を切り取るのではなく「個」の表現を追求した「絵画主義写真」の中にその動きは見られるわけですが、この「写真におけるジャポニスム」の、アメリカでの中心人物の一人が美術評論家サダキチ・ハートマン。名前で分かる通り、日系人です。
彼はイギリスとアメリカを主に活躍の舞台として、ジャポニスムと西洋美術や写真との関係についての論文を発表。
当時のヨーロッパやアメリカで流行していた日本美による芸術的影響を「簡潔さ、装飾的抽象性、非対象性への好みによって、また空白に対する偏愛」と表現し、とりわけ英米の「絵画主義写真」への日本美術の影響を定着させることに貢献しました。
さてここで今回のクエスチョン。
このサダキチ・ハートマン、維新前夜の1867年、長崎で日本人を母親に生まれ、父親の生国である某国で育ち、その活躍の場をイギリスとアメリカに求め、1922年にはフィラデルフィアに居住。1944年にその地で波乱に富んだ生涯を終えていますが、彼の父親は何処の国籍の持ち主だったでしようか?
最終回ですので改めて19世紀後半、日本の絵画、版画および工芸などが欧米の美術に与えた影響を纏めてみたいと思います。
ルネッサンス以来の理知主義に基づく、カメラ・オブスキュラにより得られるような透視画法や、遠近法的な空間表現はこの時代、行き詰まりを迎えていました。
まさにそんな時に、欧米の画家達は日本画や浮世絵と出会ったわけです。その出会いが如何に劇的なものであったのかは、1878年のパリ万博に際してエルネスト・シェノーが発表した「パリにおける日本」という評論の中で語られた、当時の画家達の反応で分かります。
『その熱狂は火薬の導火線の上を走る炎のような素早さで、すべてのアトリエに広がった。人々は、構図の思いがけなさやフォルムの知識、色調の豊かさ、絵画的効果の独創性と同時に、そうした成果を得るために用いられている手段の簡潔さを賛美して飽きることがなかった』。
この「構図の思いがけなさ」とは、シンメトリーを無視した構成、中心をわざとはずした枠取り、部分の大胆な強調、上から見下ろしたような俯瞰構図による画面の平面化など、いずれも西欧の伝統的な遠近法表現による構成では見られない種類のものであり、「フォルムの知識」については、西欧絵画の伝統的な肉付けを否定して輪郭線を強調した日本的なデッサン法が、クロワゾニスムや綜合主義、アール・ヌーヴォーなど、世紀末の絵画に広い影響を与えていきました。
さて、ここで大前提に戻って「何故」この時期になって絵画に新しい動きが生まれてきたかと云えば、勿論近代市民社会の成立などが背景にありますけれど、もっと直接的には「写真」の普及があるのかと(そんなことを直接書いている本はありませんが)。
その写真についても初期から理論書などが生まれますが、その最初期のものは「ルネッサンス期からの画像を作る効果を美学の観点から説き、主題や構図を模倣する」というものなのは皮肉な話かもしれません。
で、その歴史の繰り返しとしてからは必然なのか、写真についてもジャポニスムの影響が見られます。
ただ風景を切り取るのではなく「個」の表現を追求した「絵画主義写真」の中にその動きは見られるわけですが、この「写真におけるジャポニスム」の、アメリカでの中心人物の一人が美術評論家サダキチ・ハートマン。名前で分かる通り、日系人です。
彼はイギリスとアメリカを主に活躍の舞台として、ジャポニスムと西洋美術や写真との関係についての論文を発表。
当時のヨーロッパやアメリカで流行していた日本美による芸術的影響を「簡潔さ、装飾的抽象性、非対象性への好みによって、また空白に対する偏愛」と表現し、とりわけ英米の「絵画主義写真」への日本美術の影響を定着させることに貢献しました。
さてここで今回のクエスチョン。
このサダキチ・ハートマン、維新前夜の1867年、長崎で日本人を母親に生まれ、父親の生国である某国で育ち、その活躍の場をイギリスとアメリカに求め、1922年にはフィラデルフィアに居住。1944年にその地で波乱に富んだ生涯を終えていますが、彼の父親は何処の国籍の持ち主だったでしようか?