異文化交流クイズ。サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第4回は、愛しあいながらも結局日本とスコットランドに離ればなれとなった川田龍吉とジニーのその後から出題です。
明治18年8月末、帰国した龍吉でしたが、遂にジニーとの結婚については父親の許しが得られませんでした。父小一郎は「財産を手に入れた次は家格を」と名家から嫁を選び、龍吉に結婚を強います。
この妻、春猪との間に龍吉は八人の子供を儲けますが、彼女は「嫁しては夫に従え」を地でいっていたようで、明治の夫婦の在り方としては決して珍しくはないものの、二人の関係は殆ど主従関係のようだったようです。
ジニーと対等の立場で自由に互いの考え方を率直にぶつけ合った龍吉としては、そのような関係は苛立ちを招くものでしかなかったようで、龍吉はたびたび癇癪を起こしたそうです。
その苛立ちを仕事にぶつけた龍吉は「日本郵船機関監督」となると、横浜に巨大なドックを建設します。このドックこそ、現在横浜のランドマークタワーの隣に繋留されている大型帆船「日本丸」を収めているドックです。
一方、届く筈のない龍吉からの返事を待っていたジニーはと云えば、龍吉と別れて約一年後の明治19年6月、同じスコットランド出身で16歳も年上の裕福な服地商人と結婚したという記録が残されています。
もっとも二人の結婚生活は長くは続かず明治29年、彼らの十年目の結婚記念日を前に夫は亡くなってしまいます。
二人の間に子供が生まれた形跡もなく、何故かその一家の墓にはジニーの母親と夫しか埋葬されておらず、その後のジニーの行方は、生まれ故郷の記録や結婚後の住所地などの記録を追っても、杳として知れません。何処か遠くで再婚して幸せになったのか、それとも。。。
龍吉の人生も順風満帆とは言い難く、横浜の巨大ドックは完成したものの、財務状況が悪化。龍吉は自ら辞任し、その後は少年時代からの夢だった農業に打ち込みます。軽井沢で本格的な欧米人向けの野菜を育て始めたのは龍吉だと考えられています。
後に渋沢栄一に乞われ函館ドックの再建も依頼されますが、その地でも龍吉は農業に励みます。アメリカやイギリスから様々な西洋野菜の種を注文し、どの苗が北海道の大地に根付くのかの精細な観察記録を残し、遂に「ある野菜の苗」が非常にこの地に適していることを発見します。
さて、ここで今回のクエスチョン。龍吉が輸入し、現在では北海道を代表するようになった「ある野菜類」とは一体なんでしょう?
ヒントとしては現代の日本人で「それ」を食べたことがない人は殆どいないと思いますし「その名前」は「龍吉の身分」に由来するものだったりします。
明治18年8月末、帰国した龍吉でしたが、遂にジニーとの結婚については父親の許しが得られませんでした。父小一郎は「財産を手に入れた次は家格を」と名家から嫁を選び、龍吉に結婚を強います。
この妻、春猪との間に龍吉は八人の子供を儲けますが、彼女は「嫁しては夫に従え」を地でいっていたようで、明治の夫婦の在り方としては決して珍しくはないものの、二人の関係は殆ど主従関係のようだったようです。
ジニーと対等の立場で自由に互いの考え方を率直にぶつけ合った龍吉としては、そのような関係は苛立ちを招くものでしかなかったようで、龍吉はたびたび癇癪を起こしたそうです。
その苛立ちを仕事にぶつけた龍吉は「日本郵船機関監督」となると、横浜に巨大なドックを建設します。このドックこそ、現在横浜のランドマークタワーの隣に繋留されている大型帆船「日本丸」を収めているドックです。
一方、届く筈のない龍吉からの返事を待っていたジニーはと云えば、龍吉と別れて約一年後の明治19年6月、同じスコットランド出身で16歳も年上の裕福な服地商人と結婚したという記録が残されています。
もっとも二人の結婚生活は長くは続かず明治29年、彼らの十年目の結婚記念日を前に夫は亡くなってしまいます。
二人の間に子供が生まれた形跡もなく、何故かその一家の墓にはジニーの母親と夫しか埋葬されておらず、その後のジニーの行方は、生まれ故郷の記録や結婚後の住所地などの記録を追っても、杳として知れません。何処か遠くで再婚して幸せになったのか、それとも。。。
龍吉の人生も順風満帆とは言い難く、横浜の巨大ドックは完成したものの、財務状況が悪化。龍吉は自ら辞任し、その後は少年時代からの夢だった農業に打ち込みます。軽井沢で本格的な欧米人向けの野菜を育て始めたのは龍吉だと考えられています。
後に渋沢栄一に乞われ函館ドックの再建も依頼されますが、その地でも龍吉は農業に励みます。アメリカやイギリスから様々な西洋野菜の種を注文し、どの苗が北海道の大地に根付くのかの精細な観察記録を残し、遂に「ある野菜の苗」が非常にこの地に適していることを発見します。
さて、ここで今回のクエスチョン。龍吉が輸入し、現在では北海道を代表するようになった「ある野菜類」とは一体なんでしょう?
ヒントとしては現代の日本人で「それ」を食べたことがない人は殆どいないと思いますし「その名前」は「龍吉の身分」に由来するものだったりします。