異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第4回の問題は「川田龍吉が最初に輸入し、現在では北海道を代表するようになった『ある野菜類』とは一体なんでしょう?」という問題でした。
今回の解答の前提条件として龍吉の父、小一郎の人生が深く関わってきます。
小一郎は三菱の創設者、岩崎弥太郎の死後、それに殉じるように三菱を退社するのですが、明治22年、当時の大蔵大臣松方正義から富田鉄之助の跡を継いで第三代日本銀行総裁に是非、という要請が届きます。
この要請を受諾した小一郎は明治29年に死去するまでその職を勤め、その死の一年前には日清戦争の戦費調達への功績により「男爵」の爵位を授けられました。
純然たる民間出身者で爵位を得たのは小一郎が最初で、その死後は龍吉が「男爵」となります。
と云うことで、もうお分かりのことと思いますが、今回の正解は・・・『男爵芋』でした。
かつて過ごしたスコットランドと北海道の気候が似ていることに気が付いた龍吉が、持ち込んだ品種は元々「アイリッシュ・コブラー」と呼ばれ、世界的にも有名な品種だったのですが、産地の農会が日本国内の産地としてのブランドを確立すべく「男爵芋」と名付けることを提案し、龍吉に了解を求めます。
『私が持ってきた芋がこのように全国に普及するとは夢にも思わなかった。あのジャガイモを男爵芋と命名することに異議のある筈はない。喜んで了承しましょう』
と云うことで、男爵芋という名前が龍吉公認の下に付けられ、今日まで伝わっているわけです。
横浜の造船ドックは恐らく龍吉がいなくとも完成したでしょうが、もし龍吉がジニーとの結婚を強行していたならば、少なくとも「男爵芋」と名付けられた品種が北海道の名産品となることはなかったわけで一つの恋の顛末が日本の農業史を左右することになった、というわけです。
さて、次回は川田龍吉とジニーに関するお話の最終回。その悲しい晩年を……。
今回の解答の前提条件として龍吉の父、小一郎の人生が深く関わってきます。
小一郎は三菱の創設者、岩崎弥太郎の死後、それに殉じるように三菱を退社するのですが、明治22年、当時の大蔵大臣松方正義から富田鉄之助の跡を継いで第三代日本銀行総裁に是非、という要請が届きます。
この要請を受諾した小一郎は明治29年に死去するまでその職を勤め、その死の一年前には日清戦争の戦費調達への功績により「男爵」の爵位を授けられました。
純然たる民間出身者で爵位を得たのは小一郎が最初で、その死後は龍吉が「男爵」となります。
と云うことで、もうお分かりのことと思いますが、今回の正解は・・・『男爵芋』でした。
かつて過ごしたスコットランドと北海道の気候が似ていることに気が付いた龍吉が、持ち込んだ品種は元々「アイリッシュ・コブラー」と呼ばれ、世界的にも有名な品種だったのですが、産地の農会が日本国内の産地としてのブランドを確立すべく「男爵芋」と名付けることを提案し、龍吉に了解を求めます。
『私が持ってきた芋がこのように全国に普及するとは夢にも思わなかった。あのジャガイモを男爵芋と命名することに異議のある筈はない。喜んで了承しましょう』
と云うことで、男爵芋という名前が龍吉公認の下に付けられ、今日まで伝わっているわけです。
横浜の造船ドックは恐らく龍吉がいなくとも完成したでしょうが、もし龍吉がジニーとの結婚を強行していたならば、少なくとも「男爵芋」と名付けられた品種が北海道の名産品となることはなかったわけで一つの恋の顛末が日本の農業史を左右することになった、というわけです。
さて、次回は川田龍吉とジニーに関するお話の最終回。その悲しい晩年を……。