素材抜粋
2001/11/14
「複雑系の知」から経営者への
七つのメッセージ
田坂 広志『複雑系の経営』
東洋経済新報社 1997年
言葉を換えれば、これまで、経済学や経営学の領域において、肯定的に用いられ、有効性を発揮してきた、「分析」「設計」「集中」「集積」「規模」「法則」「予測」などのキーワード群が、根本的な発想転換を求められているのである。
「七つの知」
(1) 全体性の知/「複雑化」すると「新しい性質」を獲得する。
(2) 創発性の知/「個の自発性」が「全体の秩序」を生み出す。
(3) 共鳴場の知/「共鳴」が「自己組織化」を促す。
(4) 共鳴力の知/「ミクロ」のゆらぎが「マクロ」の大勢を支配する。
(5) 共進化の知/「部分と全体」は「共進化」する。
(6) 超進化の知/「進化のプロセス」も「進化」する。
(7) 一回性の知/「進化の未来」は「予測」できない。
「七つのメッセージ」
(1) 全体性の知/「分析」はできない、全体を「洞察」せよ。
(2) 創発性の知/「設計・管理」をするな、「自己組織化」を促せ。
(3) 共鳴場の知/「情報共有」ではない、「情報共鳴」を生み出せ。
(4) 共鳴力の知/「組織の総合力」ではない、「個人の共鳴力」である。
(5) 共進化の知/「トップダウン」でもなく、「ボトムアップ」でもない。
(6) 超進化の知/ 法則は「変わる」、そして「変えられる」。
(7) 一回性の知/ 未来を「予測」するな、未来を「創造」せよ。
従って、いま我々が直面している「分析」という手法の限界は、必然的に、近代科学の「要素還元主義」の限界を意味しており、さらには、「デカルト的パラダイム」の限界を意味している。そして、当然のことながら、それは「分析」を前提として成立する「総合」という手法の限界をも意味しているのである。
そして、これから、我が国に「複雑系の知」の広大な原野を開拓していく研究者が現れるとするならば、それは単なる「頭脳の知」を備えた研究者ではなく、「身体性の知」(somatic knowing)を有した研究者であろう。
なぜならば、「複雑系の知」の本質は、「身体性の知」によってしか理解できないものだからである。
すなわち、「複雑系の知」による認識の手法は、対象を「部分」に切り刻むことなく、その「ありのままの全体」を「洞察」によって把握する手法となっていく。
中村雄二郎「臨床の知」
マイケル・ポランニー「暗黙の知」
「非言語の知」の三つの伝達方法「否定法」「隠喩法」「指示法」
「設計」という発想は、まず「全体」のあるべき姿に関する詳細な「設計図」を作成し、この設計図に合わせて「個」を「全体」の中に位置づけ、配置していくことによって「秩序」や「構造」を創り出すという発想である。
これからの時代に、企業が消費者に対して共有するべき最も大切な情報は、何よりも、その企業が、いかなる社会的価値をめざしているかという「企業理念」であり、どのような企業像をめざしているかという「企業ビジョン」である。
この相違は、究極、世界を「構造」と見るか、「プロセス」と見るかの世界観の相違である。
哲学者たちは、これまで「世界」を「解釈」してきたに過ぎない。
大切なことは、それを「変革」することである。
カール・マルクス
「共生の戦略」としてのインターオペラビリティ(相互運用性)
すべては、「1回限り」なのである。「繰り返し」など無い。
未来を「予測」する最良の方法は、それを「発明」することである。
アラン・ケイ
「イデオロギー原理」とは、「堅い原理」である。基本的には、ある価値観を中心として他の価値観を許容せず、排除する原理である。これに対して、「コスモロジー原理」とは、「柔らかい原理」である。多様な価値観を、その違いがゆえに排除せず、その中に包み込み、多様な価値観同士の豊かな相互作用なかで、さらに新しい価値観が生まれてくることを大切にする原理である。
このコスモロジー原理にもとづく「ビジョン」を語るときに重要なことは、言霊である。「言霊」とは、生命力を持った言葉である。その言葉を聞くことによって、想像力が高められ、新しい価値の創造が促されるような言葉である。・・・・・・・。
それは、あまりに厳密かつ具体的な言葉で語られるべきではなく、また、あまりに難解かつ抽象的な言葉で語られるべきでもない。
経営者が日々の経営の実践の中で、「体得」している智恵は、まさに「身体性の知」と呼ぶべきものに他ならない。
それは、単なる制度的な対策だけでは解決できない問題であり、これまでの「機械的世界観」の手法によっては「解」が見出せない問題である。
しかし、知の諸領域において、いま、注目すべき潮流が生まれつつある。近年、さまざまな領域において、「生命体」や「生態系」の優れた特徴に学ぶ、新しい思想と理論が創造されているのである。
例えば、社会・経済、産業・経営、科学・技術など、多くの領域において、エントロピー、ゆらぎ、自己組織化、ホロン、シナジー(協働)、ホメオスタシス(恒常性)、メタボリズム(代謝)、進化、共生、エコロジーなど、「生命」に特有のキーワードが用いられている。
また、複数の異質な価値観が共存する現代社会においては、これら多様な価値観の相互作用を通じて、積極的に「価値のゆらぎ」を生み出し、この「ゆらぎ」を通じて新しい価値の「自己組織化」を促進してゆく方法が提唱されている。
それは、いまわれわれが直面している諸問題を解決するためには、単に新しい理論や方法を創造するのではなく、その前提となる「物の見方の基本的枠組み」や「物の考え方の基本的発想」、すなわち「パラダイム」そのものを大きく転換してゆくことが必要であるこちを意味している。
製作研究者と行政官、学識者とフィールドワーカー、経営コンサルタントと企業経営者など、「知」の専門家と「行」の専門家との密接な協力である。
生命論パラダイムにおいては、「構造」よりも、むしろ、「プロセス」が重視される。なぜならば、生命的プロセスにおいて観察される「構造」とは、本質的には、その生命的プロセスがダイナミックな運動を繰り広げる際に擬似的に形成する「動的構造」であり、「動的安定状態」の別称に他ならないからである。
生命の本質は、こうした「静的な構造」にではなく、構造を一定に維持する「動的安定性」や、体内の状態を一定に保つ「恒常性維持機能」(ホメオスタシス)などの「プロセス」にこそあると言える。
<構造から過程(渦中)> <渦中にある者は渦中にあるを知らず>(高野 義博)
機械論パラダイムにおいては、世界を“巨大な機械”とみなすために、世界を変革するための方法として、「設計」と「制御」が重視される。
すなわち、世界(機械)を望ましい状態へと変化させるためには、まず、あたかも機械の構造を理解するごとく世界の構造を理解し、その理解にもとづいて望ましい世界を「設計」し、望ましい状態へと世界を「制御」するという方法が用いられるわけである。
これに対して、生命論パラダイムにおいては、世界を生命的プロセスとみなすため、世界を変革するための方法として、「自己組織化」が重視される。
<制度の知的限界> (高野 義博)
この自己組織化を促進するためには、二つの方法が重要となる。ひとつの方法は、「未来ビジョン」の創出である。生命論パラダイムにおいて「未来」は未だ決定されておらず、この「未来」を決定するのは、まず何よりも「想像力」と「創造力」を駆使して描かれた、未来に関する「ビジョン」である。
もうひとつのほうほうは、「ゆらぎ」の意識的な導入と活用である。そして、この「ゆらぎ」を導入し活用する際に留意すべきことは、世界の進化にとって「好ましいゆらぎ」とは何かであり、これを判断する「洞察力」と「直感力」である。
想像力と創造力を尽くして豊かな「未来ビジョン」を描くとともに、現在の世界における「ゆらぎ」を意識的に増大させ、「自己組織化」を促進するという方法を用いる必要がある。
社会システムやライフスタイルを「設計」したり「制御」したりすることは極めて困難であり、むしろ社会システムの内部の「ゆらぎ」を増大させることにより、望ましい変化を「自己組織化」させるという発想が求められる。
この時代に求められているのは、「リエンジニアリング」(再構築)ではなく、むしろ、「インキュベーション」(孵化)の発想である。すなわち、あたかも「卵から雛を孵す」ごとく、あくまでも自己組織化のプロセスを促進することによって、「不連続な進化」を実現していく発想である。
従って、社会や企業の「進化」を論ずる時、我々に求められているのは、分析や予測といった「受動的行為」ではない。
求められているのは、いかなる「未来」を実現するべきかを力強く描き出すことであり、そのビジョンを実現するための「積極的行動」である。
この方法(フィールドワーク原理)は、「世界の“真理”はフィールドに存在する」という世界観にもとづき、「フィールド」(実際の現場)における対象の生きた姿に直接的に係わり、体験し、体感することにより、対象の本質と全体像を把握する方法である。
機械論パラダイムにおいては、その認識方法である要素還元主義の本質から、対象を「要素」に分割し、分割された対象に対して個別に焦点を当てて分析してゆくという「フォーカスの視点」が重視されてきた。
このように「主客一体の前提」は、機械論パラダイムにおける「客観的認識」という「幻想」を打ち砕きつつある。世界が「自己」と関係の無い「他者」ではなく、あくまでも「自己」を含んだ世界である限り、厳密な意味での「客観的認識」は不可能であり、「客観的予測」や「客観的評価」という言葉には本質的な限界がある。
機械論パラダイムから生命論パラダイムへと「知のパラダイム」を転換してゆくことの重要性。それは、近年、知の諸領域において、ますます強い認識となってきている。
現代科学における「複雑系」の研究は、いまだ、物質、生命、生態系のレベルにおける「複雑系」の振る舞いと、その進化の様相のごく一部を理解しつつあるに過ぎない。すなわち、いま、「複雑系」の研究者達は、進化の階梯の前段に位置する「複雑系」の性質の、ごく一部を解き明かしつつあるに過ぎない。
そして、経営者は、「企業」という“生き物”を環境に適応させ、進化させていくために、その「精妙なバランス」を、頭で理解するのではなく、まさに体得し続けている。それゆえ、本書は、現代科学の最先端の「複雑系」という理論を、「経営」に応用することを試みたものではない。
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【投稿者コメント】「インキュベーション」(孵化)の発想!
2001/11/14
「複雑系の知」から経営者への
七つのメッセージ
田坂 広志『複雑系の経営』
東洋経済新報社 1997年
言葉を換えれば、これまで、経済学や経営学の領域において、肯定的に用いられ、有効性を発揮してきた、「分析」「設計」「集中」「集積」「規模」「法則」「予測」などのキーワード群が、根本的な発想転換を求められているのである。
「七つの知」
(1) 全体性の知/「複雑化」すると「新しい性質」を獲得する。
(2) 創発性の知/「個の自発性」が「全体の秩序」を生み出す。
(3) 共鳴場の知/「共鳴」が「自己組織化」を促す。
(4) 共鳴力の知/「ミクロ」のゆらぎが「マクロ」の大勢を支配する。
(5) 共進化の知/「部分と全体」は「共進化」する。
(6) 超進化の知/「進化のプロセス」も「進化」する。
(7) 一回性の知/「進化の未来」は「予測」できない。
「七つのメッセージ」
(1) 全体性の知/「分析」はできない、全体を「洞察」せよ。
(2) 創発性の知/「設計・管理」をするな、「自己組織化」を促せ。
(3) 共鳴場の知/「情報共有」ではない、「情報共鳴」を生み出せ。
(4) 共鳴力の知/「組織の総合力」ではない、「個人の共鳴力」である。
(5) 共進化の知/「トップダウン」でもなく、「ボトムアップ」でもない。
(6) 超進化の知/ 法則は「変わる」、そして「変えられる」。
(7) 一回性の知/ 未来を「予測」するな、未来を「創造」せよ。
従って、いま我々が直面している「分析」という手法の限界は、必然的に、近代科学の「要素還元主義」の限界を意味しており、さらには、「デカルト的パラダイム」の限界を意味している。そして、当然のことながら、それは「分析」を前提として成立する「総合」という手法の限界をも意味しているのである。
そして、これから、我が国に「複雑系の知」の広大な原野を開拓していく研究者が現れるとするならば、それは単なる「頭脳の知」を備えた研究者ではなく、「身体性の知」(somatic knowing)を有した研究者であろう。
なぜならば、「複雑系の知」の本質は、「身体性の知」によってしか理解できないものだからである。
すなわち、「複雑系の知」による認識の手法は、対象を「部分」に切り刻むことなく、その「ありのままの全体」を「洞察」によって把握する手法となっていく。
中村雄二郎「臨床の知」
マイケル・ポランニー「暗黙の知」
「非言語の知」の三つの伝達方法「否定法」「隠喩法」「指示法」
「設計」という発想は、まず「全体」のあるべき姿に関する詳細な「設計図」を作成し、この設計図に合わせて「個」を「全体」の中に位置づけ、配置していくことによって「秩序」や「構造」を創り出すという発想である。
これからの時代に、企業が消費者に対して共有するべき最も大切な情報は、何よりも、その企業が、いかなる社会的価値をめざしているかという「企業理念」であり、どのような企業像をめざしているかという「企業ビジョン」である。
この相違は、究極、世界を「構造」と見るか、「プロセス」と見るかの世界観の相違である。
哲学者たちは、これまで「世界」を「解釈」してきたに過ぎない。
大切なことは、それを「変革」することである。
カール・マルクス
「共生の戦略」としてのインターオペラビリティ(相互運用性)
すべては、「1回限り」なのである。「繰り返し」など無い。
未来を「予測」する最良の方法は、それを「発明」することである。
アラン・ケイ
「イデオロギー原理」とは、「堅い原理」である。基本的には、ある価値観を中心として他の価値観を許容せず、排除する原理である。これに対して、「コスモロジー原理」とは、「柔らかい原理」である。多様な価値観を、その違いがゆえに排除せず、その中に包み込み、多様な価値観同士の豊かな相互作用なかで、さらに新しい価値観が生まれてくることを大切にする原理である。
このコスモロジー原理にもとづく「ビジョン」を語るときに重要なことは、言霊である。「言霊」とは、生命力を持った言葉である。その言葉を聞くことによって、想像力が高められ、新しい価値の創造が促されるような言葉である。・・・・・・・。
それは、あまりに厳密かつ具体的な言葉で語られるべきではなく、また、あまりに難解かつ抽象的な言葉で語られるべきでもない。
経営者が日々の経営の実践の中で、「体得」している智恵は、まさに「身体性の知」と呼ぶべきものに他ならない。
それは、単なる制度的な対策だけでは解決できない問題であり、これまでの「機械的世界観」の手法によっては「解」が見出せない問題である。
しかし、知の諸領域において、いま、注目すべき潮流が生まれつつある。近年、さまざまな領域において、「生命体」や「生態系」の優れた特徴に学ぶ、新しい思想と理論が創造されているのである。
例えば、社会・経済、産業・経営、科学・技術など、多くの領域において、エントロピー、ゆらぎ、自己組織化、ホロン、シナジー(協働)、ホメオスタシス(恒常性)、メタボリズム(代謝)、進化、共生、エコロジーなど、「生命」に特有のキーワードが用いられている。
また、複数の異質な価値観が共存する現代社会においては、これら多様な価値観の相互作用を通じて、積極的に「価値のゆらぎ」を生み出し、この「ゆらぎ」を通じて新しい価値の「自己組織化」を促進してゆく方法が提唱されている。
それは、いまわれわれが直面している諸問題を解決するためには、単に新しい理論や方法を創造するのではなく、その前提となる「物の見方の基本的枠組み」や「物の考え方の基本的発想」、すなわち「パラダイム」そのものを大きく転換してゆくことが必要であるこちを意味している。
製作研究者と行政官、学識者とフィールドワーカー、経営コンサルタントと企業経営者など、「知」の専門家と「行」の専門家との密接な協力である。
生命論パラダイムにおいては、「構造」よりも、むしろ、「プロセス」が重視される。なぜならば、生命的プロセスにおいて観察される「構造」とは、本質的には、その生命的プロセスがダイナミックな運動を繰り広げる際に擬似的に形成する「動的構造」であり、「動的安定状態」の別称に他ならないからである。
生命の本質は、こうした「静的な構造」にではなく、構造を一定に維持する「動的安定性」や、体内の状態を一定に保つ「恒常性維持機能」(ホメオスタシス)などの「プロセス」にこそあると言える。
<構造から過程(渦中)> <渦中にある者は渦中にあるを知らず>(高野 義博)
機械論パラダイムにおいては、世界を“巨大な機械”とみなすために、世界を変革するための方法として、「設計」と「制御」が重視される。
すなわち、世界(機械)を望ましい状態へと変化させるためには、まず、あたかも機械の構造を理解するごとく世界の構造を理解し、その理解にもとづいて望ましい世界を「設計」し、望ましい状態へと世界を「制御」するという方法が用いられるわけである。
これに対して、生命論パラダイムにおいては、世界を生命的プロセスとみなすため、世界を変革するための方法として、「自己組織化」が重視される。
<制度の知的限界> (高野 義博)
この自己組織化を促進するためには、二つの方法が重要となる。ひとつの方法は、「未来ビジョン」の創出である。生命論パラダイムにおいて「未来」は未だ決定されておらず、この「未来」を決定するのは、まず何よりも「想像力」と「創造力」を駆使して描かれた、未来に関する「ビジョン」である。
もうひとつのほうほうは、「ゆらぎ」の意識的な導入と活用である。そして、この「ゆらぎ」を導入し活用する際に留意すべきことは、世界の進化にとって「好ましいゆらぎ」とは何かであり、これを判断する「洞察力」と「直感力」である。
想像力と創造力を尽くして豊かな「未来ビジョン」を描くとともに、現在の世界における「ゆらぎ」を意識的に増大させ、「自己組織化」を促進するという方法を用いる必要がある。
社会システムやライフスタイルを「設計」したり「制御」したりすることは極めて困難であり、むしろ社会システムの内部の「ゆらぎ」を増大させることにより、望ましい変化を「自己組織化」させるという発想が求められる。
この時代に求められているのは、「リエンジニアリング」(再構築)ではなく、むしろ、「インキュベーション」(孵化)の発想である。すなわち、あたかも「卵から雛を孵す」ごとく、あくまでも自己組織化のプロセスを促進することによって、「不連続な進化」を実現していく発想である。
従って、社会や企業の「進化」を論ずる時、我々に求められているのは、分析や予測といった「受動的行為」ではない。
求められているのは、いかなる「未来」を実現するべきかを力強く描き出すことであり、そのビジョンを実現するための「積極的行動」である。
この方法(フィールドワーク原理)は、「世界の“真理”はフィールドに存在する」という世界観にもとづき、「フィールド」(実際の現場)における対象の生きた姿に直接的に係わり、体験し、体感することにより、対象の本質と全体像を把握する方法である。
機械論パラダイムにおいては、その認識方法である要素還元主義の本質から、対象を「要素」に分割し、分割された対象に対して個別に焦点を当てて分析してゆくという「フォーカスの視点」が重視されてきた。
このように「主客一体の前提」は、機械論パラダイムにおける「客観的認識」という「幻想」を打ち砕きつつある。世界が「自己」と関係の無い「他者」ではなく、あくまでも「自己」を含んだ世界である限り、厳密な意味での「客観的認識」は不可能であり、「客観的予測」や「客観的評価」という言葉には本質的な限界がある。
機械論パラダイムから生命論パラダイムへと「知のパラダイム」を転換してゆくことの重要性。それは、近年、知の諸領域において、ますます強い認識となってきている。
現代科学における「複雑系」の研究は、いまだ、物質、生命、生態系のレベルにおける「複雑系」の振る舞いと、その進化の様相のごく一部を理解しつつあるに過ぎない。すなわち、いま、「複雑系」の研究者達は、進化の階梯の前段に位置する「複雑系」の性質の、ごく一部を解き明かしつつあるに過ぎない。
そして、経営者は、「企業」という“生き物”を環境に適応させ、進化させていくために、その「精妙なバランス」を、頭で理解するのではなく、まさに体得し続けている。それゆえ、本書は、現代科学の最先端の「複雑系」という理論を、「経営」に応用することを試みたものではない。
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