タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

宣誓!

2012-01-08 14:55:05 | @MALAWI
この年末年始は、そこそこ勉強時間を確保して英語学習に取り組んだ方だと思う。

とはいえ、一日1~2時間の話なんだが。

マラウイ人との他愛ない雑談が会話演習といったところか・・・。

それを勉強時間にカウントするのならば、まだもう少し時間は増える。



フランス語については、かなりゆるくゆるく、それでも一応勉強(といえるか?)を続けている。

ブルキナともコンタクトをとりたいから、と続けているフランス語家庭教師はだいたい週に2回ペースで、語学力向上というよりはフランス語に触れる時間を作るというのが主目的。(それでも時々フランス語を聞いたり使ったりするだけで、忘却力の阻止にはかなり役立ってると思う。)




しかし、英語はゆるくというわけにもいかない。

まだ半年は毎日使うわけだし、最近考えている将来プラン(帰国後)の中にも必須事項になりそうなのだ。

今、大学院(得意の通信教育・笑)への進学を考えていて、そうなると英語が必須。しかも使える英語が。文献も英文をたくさん読まなければならないだろうしな。



そんなこんなで、自分にハッパかけるために、英語の検定試験的なものを受けようと思い立った。

真っ先に思いつくのがTOEICだったのだが、マラウイでは受けられない様子。残念。

結局、無謀ながらTOEFLにチャレンジすることにした。



決戦(試験日)は5月5日。



ちょっとだけ解説しておくが、TOEICというのは、アメリカのETSという団体が主催する英語の能力テストで、主にビジネス英会話や日常英会話が題材となるものだ。

確か相対評価でスコアがでてくる仕組みだったはず。

何点以上が合格とかいう基準はなく、試験後はあくまで自分のスコアがフィードバックされるだけなのだが、そのスコアはかなり世界的に認知されたもので、自分の英語力を客観的に示すデータとなる。

職業によってはTOEIC何点以上必須、なんていうのもあるらしい。

ちなみに私自身も10年くらい前に受けたことがあるが、スコアには有効期限というものがあってもう期限切れであることは間違いない。





対するTOEFLは主に欧米への留学を考え居ている人が対象だ。英語を母国語としない留学希望者が、留学可能かどうかというのを英語能力という観点から測るものがTOEFL。

大学によって求められる最低点は異なるが、生易しいものではないというのは確か。

内容もTOEICより難しく、よりアカデミックなことが出題されるという(自然科学、歴史、文化などに関する問題)。



ちなみに、日本でTOEFLをうけようと思ったらiBTというオンライン試験を受けることになる。

リスニング・ライティング・リーディングのみならず、スピーキングテストもあるというなかなか過酷な試験だ。


しかし、ここはマラウイ。

ネット環境が・・・よくない!! というわけで、iBTは実施されておらず、旧バージョンのPBT(紙上試験)しか受けられない。

試験の内容自体もだいぶ違い、スピーキングテストもない。

一応、iBTとPBTの点数換算表がETSから出されていて、置き換えて考えることができるようになっている。





解説が長くなったが、そんなTOEFLを受けることにした。

間違いなく撃沈するに違いない。。でもやると決めたからには、しっかり準備しようという気になる。


つい先日会った友達にもその話をし、勉強用ノート購入に付き合ってもらって、時々勉強してるか聞いてくれるように頼んでおいた。




はて、結果どうなることやら。

おおっぴらに受験宣言をして、後に引けなくなったところで、英語勉強に取り組もうとしよう。





キタァー!!!

2012-01-07 14:36:37 | @MALAWI
昨日、ずっと待っていたブルキナファソの同期隊員からの荷物をようやく手にした。

3カ月ほどの長旅。

同時期に発送された日本あての荷物は数週間で届いていたから、ブルキナを出てからさまよってたのか、マラウイのどこかで放置されてたのか・・・詳細はわからない。





写真の通り、中身はTシャツだ。

去年の東日本大震災を受け、「自分たちも何かできることはないか?」と仲間うちで頭をひねった結果、チャリティーTシャツの販売をしようということになった。

他の同期2人と私の3人がコアメンバーだった。



そもそもは、もともと日本のアウトドア業界で働いていた同期が、とあるロゴの使用許可を得たところに話が始まる。

写真のTシャツにつかわれてるものがまさにそれなのだが、某有名アウトドアメーカー等もおなじロゴを使用してチャリティーグッズを販売したらしいから、日本で見たことある人もいるかもしれない。



このTシャツは、売上金を被災地で活用してもらうということのほかに、Tシャツを着ることに意味があるよね、とコアメンバーで話していた。

時間とともに記憶は風化していく、けれども忘れないように、ブルキナベにも日本が立ち上げる様子をみてもらえるように。

そんな想いをこめて作ったTシャツだ。



オーダーTシャツを扱っている業者情報を得、実際に訪ねて事情を説明し、試作品をつくってもらい、これならイケる!ということでJICA職員や隊員からほぼ注文をとり終えたところで、まさかのブルキナ撤退。



コアメンバー3人のうちの一人だけがブルキナに戻ることができ、4か月の日本退避の後に再び業者と掛け合ってくれて無事に商品完成。

世界に散ったブルキナ隊員のために、Tシャツの発送なども必要になったが、私以外の2人がいろいろと動いてくれて無事に発送も完了。



日本からは「Tシャツ着いた!」の声が早々に聞こえてきたが、待てど待てどマラウイには来ず・・・。

お年玉代わりなのか、年明け早々にようやく手にすることができた。



感無量。



赤と白は1枚ずつしかなくて、ほかに黒が5枚。

ブルキナベの同僚にあげようと思って発注していたので、サイズもいろいろ、ばらばら。

赤・白・黒の1枚ずつは日本へ持ち帰ろうかと考えていて、残る黒のうち1枚はマラウイで頻繁に着ようという企み。

さらに残る3枚の黒は、お世話になってるゲストハウスの職員さんらにプレゼントした。

事情を説明して、Tシャツの意味も説明して。


ブルキナベではなかったけど、マラウイアンとそんな話を共有する機会をつくってくれた。

ちなみに、6月と9月に福島を訪れた時の写真を見せたりもしながら、被災地の話をしたりもする。




小さなアクションだったかもしれないけど、Tシャツに込めた想いは全然薄れてないなぁということをマラウイで実感した。



ゆさん&わたり、Tシャツばっちり生きてるよ!

今日はさっそくそのTシャツを着て活動だ。

シゴトハジメ

2012-01-04 02:06:32 | @MALAWI
相変わらず中途半端なホリディ中なのだが、今日は職場に顔をだしてきた。

着くなり、「はやく着替えて手伝って!」と同僚看護師さんよりヘルプを出される。

確かに、たくさんの患者さんで室内がにぎわっていた。




「あそこの車いすの人、脳卒中後の患者さんで新患だから」とのことで、さっそく診療開始。

付添い人らの情報によると11月の中旬に脳卒中を発症し、タンザニアで3日間入院していたが理学療法には縁がないまま今日まで来たとのこと。

どういういきさつでカムず中央病院に紹介されてきたのか、ちょっとはっきり理解できなかったのだが、とにもかくにも地方からの紹介という形でやってきた方、御年83歳の女性だ。



脳卒中と言うと典型的な症状は片麻痺といわれる、左右どちらかの半身まひなのだが、手なんて左右とも割と上手に使えている。

家では寝たきりという話だったが、座らせてみると一人で座っていられるし、いやあこれはもったいないでしょ!!ということで、いくつか家で家族に続けてもらいたい運動を紹介した。


立つ訓練もいけるなーとの判断で、平行棒で立位を試みる。

まぁそりゃ久しく立ってないし、脚の筋肉もずいぶんポタポタに委縮してる感じなので大変っちゃ大変んだけど、しばらく続けたら立位保持くらいは可能になるんじゃないかしら、というのが私の見解。

その患者さん自身は現地語しかわからないのだけど、付き添いの方(息子夫婦?)が英語が話せたので、いろいろ翻訳してもらいながら話しかけていた。




評価も兼ねて色々やってみてと指示しても「できないよ~」となかなか挑戦してくれない彼女。

でも時々うまく力が入ってたりするのが確認できたので「やれてますよ!その調子ですよ!」とひたすら促していた。

例の立位訓練のときも「立てましたね~!!」と言って励ましたら、その方満面の笑み!

さらに、なんか一生懸命しゃべってるなぁと思って付き添いさんに彼女が何を言ったのか聞いてみたら

「気分がいいそうです。」と。笑

それはよかった!!



立位訓練もできれば家でやってほしいところだったけど、家族の負担が大きくなりそうだったので、週に1回の通院をしてみてもらうことにして今日は終了となった。




その後、病棟にいったり、他の患者さんの診察もしたりしながら時間がすぎ・・・・。




ちょっとしたスキマ時間に気を抜いていたら、若い女性に声をかけられた。

どうも同僚看護師の知り合いらしい。

彼女が言ったことの概要は以下の通り。



「さっき、高齢の女性の方と一緒に訓練されてましたよね?

 そのときの雰囲気がなんだかいいなぁと思ってみてました。

 患者さんって、普通いろいろ自分でできなくて大変な思いしててなかなか笑えないと思うんです。

 だけど、あの方笑ってましたよね。

 そういう時間ってすごく大事だと思うし、患者さんにも家族にとっても励みになると思うんです。

 だから何がってはっきりわからないけど、いいなぁと思いました。」



おー!

これ、史上最高の誉め言葉かも!?!?

・・・という気がして、えらく照れた。

でも、やっぱり嬉しかったというのが正直な感想。



私は何も特別な事をしたわけでなく、ただそこに患者さんがいて、私ができることをやっただけだ。

たまたま彼女にはいろいろ能力が残されているにも関わらずそれを活かせない環境にあることを知って、彼女自身の能力のブラッシュアップ+その環境を少しでも変えるために、ちろっと働きかけただけだ。


彼女は「気分がいい」と言ってくれてた。

お世辞ではなかったのだろう。久々に自分の足で立った感覚はそこそこ満足のいくものだったのだろう。





患者さんに響く何かができれば、それ以上のことはない。

彼女が今年初の患者さん。

なんだか幸先のいい幕開けだ。

この調子で波にのっていこう。







年越し

2012-01-01 22:04:33 | @MALAWI
2011-2012の年越しはなんと教会で過ごしてみました。

友達の毎年恒例なんだそうで、便乗することに。





教会で何が起こっていたかと言うと。




















マラウイ人、
半狂乱に歌い、踊り、祈る!!










半狂乱ぶりがつたわりにくいけど、すごいのなんのって。。。。



びっくりしました。

絶叫してる人、多数。日本でやってたら警察きそう!?!?くらいの勢い。

でも、自分をオープンにして神に向かい合って来る新年を祝う、という姿勢には共感できました。



そんなこんなで、新鮮な年越しとなった2012年。

元旦はまったり家で過ごしています。





気が早すぎる気もするけど、来年は久々に日本の正月だなぁー。

茶碗蒸しと御雑煮がたべたい。

新年ごあいさつ。

2012-01-01 00:37:36 | @MALAWI
日本のみなさんはあけましておめでとうございます。

時差7時間遅れのマラウイはまだ大晦日の夕方をさまよっておりますが。



全然年末の雰囲気が感じられないマラウイですが、

つい2時間半くらい前に「年末用に!」と乾麺の蕎麦を持ってきていたことを急に思い出し、

2時間くらい前に年越し蕎麦を食べて、ようやくちょっとそんな気分になってきたところです。




個人的には怒涛のような2011年。

2012年はどんなことが待ってるのか?2011年を凌ぐアレコレがあるのか?



日本の皆さん。タコカレは今年帰ります!

帰国したらまたかまってください。



世界に散ってる22-1のみなさん。

帰国して会うのを楽しみにしてます。





きっと楽しいことばかりではない。だけど、素敵な年になると思う。

私だけでなく、みんなみんな。



今年も1年よろしくどうぞ^^




としのせ

2011-12-28 05:39:58 | @MALAWI
てりやきバーガーはまたも好評で、ついでにザンギ(鶏のから揚げ)も好評のうちに終わった。



ついにマラウイ人からBest cook賞を頂くに至る。ありがたく受け取っておこう。





病院には時々いくという生活の中、先日病院でしばらく休暇をとっていた整形外科医に久々にお会いした。

向こうも私に気付いたようで「あぁフィジオの人みーっけた!」的な陽気な感じで接近してきた。



マンゴーの木から落ちて四肢麻痺という少年を診て欲しいというのがその陽気さの原因だったわけだが、理由はどうあれ院内でこのアジア人がフィジオ科で働いてるメンバーの一人だということを認識してもらえるのはありがたい。(ちなみにそのマンゴーツリーの少年は不思議な症状でただいま経過観察中といったところ)



日本はもう大晦日に入っていて年越し間近、我々22-1隊も帰国まで半年を切った。

一足先に3月に変える現職参加の小学校の先生の中にはすでに「帰国届」なる申請書類を提出した人もいる。

もうすぐ「今年帰る」ことになるわけで。





早いっちゃ早い。




日本は賑やかな季節だけど、私の周りはとても静か。

去年は日本人が集まって賑やかに年越しだったけど、今年はまったり静かに過ごすことになりそうだ。

たまにはこんな年末もいい。







長期休み

2011-12-28 05:39:58 | @MALAWI
行政機関は12月23日から1月6日まで、おおっぴらに休暇に入っている。

病院はクローズできないわけで、我々フィジオ科も土日祝日以外は目下営業中なのだが、私はときどき顔を出せばいいということになっていて、中途半端なバカンス状態にある。



そんな中でハマっていることといえば、料理と編み物。




料理はマラウイ人に振る舞っては反応を楽しんでいるといったところ。



洋風の料理は、大方どんなものでも気に入ってもらえるということが判明。

ピザ、ハンバーグ&ハンバーガー、オムレツ、ピラフ、などなど。

なかでもオムレツ(ふわふわのやつ!)が好評だった。

ハンバーガーも大絶賛!マラウイ人女子に作り方を聞かれたのでしっかり伝授しておいた。



そして、先日肉まんにも挑戦してみた。

最初、肉まんを持って行ったときのマラウイ人の反応。





Looks dangerous!(なんかヤバそう・・・)





肉まんのあの形が強烈だったらしい。

マラウイ人達の間に「これ何なんだ??」という空気が広がる・・・。

いやいや、これがノーマルな形なのよ!!と必死に説明。





恐る恐る食べるマラウイ人達。


食べてみて反応一変。






I like it! Delicious!! (なにこれ、うま!!)





ほーら、だから言ったでしょ!(内心ニヤリ)

中の肉あんはオリジナルとはちょっと違う、どちらかというとハンバーグ系の味だったのだけど、ともあれ大好評だったことは間違いない。


明日は照り焼きバーガーに挑戦して頂く予定となっている。てりやきの味はマラウイ人達に受け入れられるだろうか??





編み物の方は、ココ1カ月くらいぼちぼちやっているもので、もうそろそろ一応の完成に至りそう。

完成してから報告しようかな??




カメ

2011-12-27 15:30:44 | @MALAWI


「ちょっと早くきて!!」


ざーざーぶりの雨の日に突然ゲストハウスの職員さんに呼ばれる。




一体なにー?と思って呼ばれるままに部屋をでてみると。













カメが歩いてた。









職員さんが捕獲して近くに連れてくる。













雨季のマラウイでは珍しくないんだそうで。。。



持ってみたけど、カメってなんでこう密度が高いというか、重いんだろう・・・・。

そして、カメの顔はなぜか常に悲しげだ。





さて、これから何匹のカメに遭遇するのか・・・。





一仕事終え。

2011-12-25 16:02:38 | @MALAWI
JOCVに唯一義務付けられていること、それは報告書の提出。


2年間のうちに5つの報告書を書くことになっていて、それぞれ1号報告書~5号報告書と呼ばれている(そのまんま)。

1号は赴任して3カ月目、2号は6カ月目、3号が1年、4号が1年半、そして帰国直前に5号を提出するというのがルール。


ブルキナで2号まで提出し、ぼちぼち3号を用意しないとなぁという頃に撤退。

本来3号を提出するはずに時期、私は福島でボランティア活動をしていたわけで、そんな報告書が提出できるわけもない。



残り任期9か月というタイミングでマラウイに着任。

着任早々、報告書をどうしたらよいか確認したところ、3カ月で(2度目の)1号、6か月で2号、帰国直前(9ヶ月目)に5号報告書を出せばよいとのことだった。



というわけで、このクリスマスがまさに1号報告書の提出時期。

事務所へのクリスマスプレゼントのごとく、つい先ほど提出して何となく気持ちもスッキリ。

やはりやるべきことはサクサクやっておかないと、精神衛生上よろしくない。



ところで、曇り空のクリスマスには英語の勉強あたりが似合うんじゃないかしら・・・。

一仕事終えてスッキリしたところで、少々勉強するとしよう。





1年振り返り。

2011-12-23 02:09:17 | @MALAWI
同期のブルキナ隊の何人かのブログで、今年を振り返るというのをやっていたので真似してみようと思う。




【1月】

バンフォラはニャンソゴニツアーから始まった2011年。

ブルキナ同期の半数がバンフォラという街に集合して一緒に年越しした。

同期っていいなぁと思いながらの2011年幕開け。


【2月】

ブルキナでは学生によるデモが始まった。

まさかこれが国外退避にまで発展するとはだれも思っていなかったころ。


【3月】

日本では今年の10大ニュース間違いなくトップでしょう。

東日本大震災の発生。

国外にいることのもどかしさを感じつつ、ただひたすら祈ることしかできなかった。


【4月】

ブルキナの国内情勢が徐々に悪化。

そして月末にはまさかの国外待避。待避だけのはずが、本当に退避になってしまうとは。


【5月】

このころはまだブルキナに帰れるつもりでいて、震災ボランティアのことなども考えながら北海道で過ごしていた。

先が見えない日々。


【6月】

丸一カ月、福島県にあるJICA二本松訓練所でボランティアとして活動する。

避難者の方々、JICAの職員さん、福島県庁の方、他のボランティア達など、たくさんの大切な人と出逢った1カ月でもあった。


【7月】

まさかの2nd駒ヶ根訓練所生活。

22-1なのに23-2という状況、立ち位置探しに若干苦労しながらも英語の訓練を一生懸命頑張った。

下旬に次なる任国が決定、マラウイ隊員になることに。

【8月】

駒ヶ根生活後半戦。

本来マラウイ隊員の訓練は二本松訓練所で行われるのだが、震災の影響で駒ヶ根で一緒に訓練を受けられた。

つくづくラッキーだと実感しながらの訓練。


【9月】

駒ヶ根訓練所を卒業したあと、福島県を再訪。

月末にはいよいよマラウイに向けて日本を出発。

【10月】

二度目のアフリカ生活。今度は首都の大病院での勤務。

言葉の壁に苦戦しつつも、周りのマラウイアンに助けられながらマラウイ探索を楽しむ。


【11月】

仕事も大分波に乗ってくる。

配属先の病院が自宅を見つけることになっているのが、なかなか見つからずゲストハウス暮らしが続く。

しかし、むしろそれが功を奏してマラウイ人の友人が激増!


【12月】

季節柄、マンゴーを存分に楽しみつつマラウイライフを満喫中!





こうして振り返るとブルキナ⇒日本(北海道、福島、駒ヶ根)⇒マラウイと本当に激動の1年だった。

きっと、2011年は私の人生の中でも、かなり刺激的な1年なのだろう。

日本では今年の一文字が「絆」だときいたが、私としては「激」といったところか?

とにもかくにも、今こうしてまたアフリカで充実した生活を遅れていることには、ただただ感謝するのみである。



アフリカ生活も残り半年。

一つでもいいから、何か足跡を残して帰れるように。

来年もまた激動の1年にできるように。




今日もアフリカの日差しは暑い。