タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

初秋の夜長に長い記事

2009-09-17 03:24:34 | タコカレって?協力隊員になった経緯とか。
早起きは三文の得、とはいうものの、何も2時代に起きる必要はない、、、
でも冴えちゃったので仕方なく起きてみました。
体は寝たがっているけど、私の脳みそがそれを許さないようで・・・

いまさらになって気づいたのですが・・・私は現在無職であることを記すのを忘れていました。
7月で退職し、今は単なる学生となっています。
だから、昼間っから模型に精出したりできるわけですね

アフリカにいくことと、退職したことは直接の関係はありません。
たまたま、時期が重なりましたけどね。

私の職遍歴を簡単に述べますと、
学校を出てすぐに大規模な総合病院へ勤務。
入職当初はそりゃーもう自他ともに認める使えない新人で、先輩達をえらく心配させておりました。
それでも徐々に適応して、結構バリバリやっていましたね(多分)

診療、カンファレンス、学会発表、学生指導etc
やさしく厳しい先輩スタッフと、日々成長していく頼もしい後輩スタッフ、
それに一生懸命生と向き合う患者さん達に囲まれ、なかなか充実した毎日を送っていました。

そんな中、、もともと生活の場の環境などに興味があったので
福祉住環境コーディネーターという資格にチャレンジしてみることにしました。

いや、、正確にいうと、本当は呼吸療法認定士という資格にチャレンジしようと応募書類をだしたものの、講習定員をオーバーして返却されてきたので乗り換えたというのが正しいのですけどね。
呼吸リハビリテーションという分野がありまして、学生時代のゼミでかじっていたのです。
その縁で術前後の呼吸指導など、やらせてもらっていたんですね。

しっかし・・・応募開始日の朝投函したのに定員オーバーはないだろう!!
その前年度も定員オーバーで受験できなかったので、
今年こそ!と意気込んで応募したのにその調子なわけですよ。。

すっかり拍子抜けして、それならばとチャレンジしたのが福住コーディネーターだったわけです。
これが、私の運命を変えてしまうのですね~

難関といわれる1級試験を超ギリギリの低空飛行ながらもパスし、住環境に俄然興味がわいてきたのは言うまでもありません。
もっと、勉強したい!!
そして夜間の工業高校だとか、民間の通信教育だとかいろいろ調べていきついたのが、現在在籍している通信大学なのです。

諸条件をみて、3年次編入できること、学費が私のお財布でもまかなえそうなこと、説明会で疑問に十分対応してもらえたことなどが決めてで入学を決意。
が、そこには一番大きな問題が潜んでいたのです。

長いので次行きますか、、



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