歴史上で最も好きな人物はと問われれば、私は諸葛孔明と答えます。
中学生の時に吉川英治の「三国志」で出会って以来、常にこの人物が好きでした。
彼はスーパー書生、スーパー占い師でした。スーパー参謀、スーパー政治家でもありました。更にスーパー心理学者でもありました。
中学時代以来ずっとあこがれの存在でした。
しかし今日はもっと別の視点でお話をしたいと思います。
日本人が日本の歴史の中でよく比較する「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三人。
鳴かぬほととぎすに対するそれぞれの態度を推量することによってする端的な比較があります。
織田信長は下剋上の風潮に乗って台頭した大名の子として、独裁者として君臨すべく育ちました。
ボンボンとして一種わがまま放題で人格形成をしました。
自分のなすべきことを為すにあたり、様々な威嚇戦略を使いました。脅し傷つけ殺し、敵にも家臣にも恐怖を植え付けて従わせてきました。
もちろんそういう性格だからこそ、しがらみを一切気にせず斬新な政策を展開できたとも思えます。
まさに(鳴かぬなら殺してしまえほととぎす)なのでしょう。
多くの人々の恨みを買い、志半ばで死んだのも頷けます。
豊臣秀吉は足軽兼百姓の子でした。
志はあったとしてもそれだけで何ができるという境遇ではありません。
家を飛び出し、いろんなところに勤め、いろんな商売をし、人に揉まれて成長しました。
人たらしと言われる所以はまさにここにあったと思われます。
自分の夢実現のため、沢山の能力をたらしこみ使いこなし、そして動き回った苦労人といえるかもしれません。
だからこそ(鳴かぬなら泣かしてみしょうほととぎす)でしょう。
徳川家康は弱小大名の子として生まれ、あっちに人質こっちに人質の生活を余儀なくされ、制約だらけの中で成人となりました。
他人を疑い、自らを疑い、でしゃばることをせず、自分が絶対的優位を保てる時を待ち続けました。
幸いなことに自分と比較できる先輩とも出会え、若さを武器として「待つ」という戦略をとれたのだと思います。
(鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす)
織田信長、豊臣秀吉の二人の大天才を目の当たりにした徳川家康にとって一大戦略だったのではないでしょうか?
私にはこの中で誰が好きとは言えません。天才三人が奇しくも自分の得意とする方法論で同じ「戦国の世に終わりを告げる」という大題目に邁進した結果の歴史だったのかなぁ、という感慨があるのみです。
私にとって日本の戦国時代のこの三武将の揃い踏みこそ一諸葛孔明に匹敵すると思えるのですが・・・。