羽鳥湖高原徒然記

福島県羽鳥湖高原 ルークのお父さんのなんでも雑記帖

上杉景勝本陣

2010年06月23日 | 歴史
天栄村から猪苗代に向かう勢至堂峠。羽鳥湖から約30分の勢至堂峠南側入口に位置する「堂谷坂陣跡」



NHK大河ドラマ「天地人」でも題材になった「幻の白河決戦」、徳川家康軍を迎え撃つために上杉景勝軍は白河革籠原を決戦の地に選びましたが、家康の会津侵攻にに備え白河から長沼、勢至堂峠付近に防御施設を造りました。なかでもこの「堂谷坂陣跡」を本陣として指揮したそうです。

猪苗代方面に数百メートル道を進むと馬尾の滝、なかなか見事な滝です。








新名所誕生!

2010年05月02日 | 歴史
飯坂温泉に新名所誕生!旧堀切邸公開。

堀切家は江戸時代の庄屋、衆院議長を務めた堀切善兵衛、東京市長や内務大臣を務めた堀切善次郎らを輩出した名門。

公開された邸内は1881年に建てられた住宅。県内最古の蔵「十間蔵」は市の指定有形文化財。舞台や休憩所、車いすの人にも利用できる足湯、手湯など併設。

開館時間:午前9時~午後9時
年中無休 入館無料
問い合わせは旧堀切邸 ℡024・542・8188



小正月の伝統行事

2010年01月10日 | 歴史
早いものでもう小正月の伝統行事「だんごさし」の季節。
我家でも「だんごさし」を飾りました。



元日の大正月に対して1月15日を小正月と呼ぶ会津の伝統行事。

みず木の枝先に丸めただんごを刺し、飾り付け、豊作、家内安全、一家繁栄、無病息災を祈り、お飾りの後はだんごを祈願のだんごをいただきます。

今年もいい年でありますように

馬頭観音堂 天井画

2009年07月17日 | 歴史
普段見るこのとできない湯本万願寺、観音堂の天井画。

東北大学EIMY湯本プロジェクトにより116点の及ぶ植物画をデジタルカメラ撮影、東北大学湯本分室にてパネル復元展示されています。



中央には、鳳凰が東を向き、桔梗やユリなど野山の花、菊やケイトウなどの栽培植物、イネやササゲなどの穀物、野采などが色彩豊かに描かれています。

詳細は調査中のようですが、江戸時代に狩野派の絵師によって描かれたのではといわれています。

近くにおいでの際はぜひご覧ください。

 

のぼうの城

2009年07月04日 | 歴史
和田竜の処女作。

一気に読み終えました。

無能で、人が良く、愚直、でくのぼうを略したのぼう様と呼ばれた成田長親。
プロローグからこの人物に魅了されます。

石田三成率いる2万の大軍を相手に2千の手勢で忍城城主としてのぼう様が戦いを挑む。

坂東武者の男気、爽快で痛快なエンターテイメント。

映画化が待ち遠しい、時代小説の傑作です。





忠臣、佐藤兄弟の菩提寺

2009年05月07日 | 歴史
飯坂温泉にある医王寺、真言宗の古刹、源義経の身代わりとなり壮絶な最期を遂げた佐藤継信、忠信の菩提寺として知られています。





藤原秀衡の命を受け継信、忠信兄弟は義経の供として東国に赴き、兄継信は屋島の戦いで義経の身代わりとなり矢を受け戦死。弟忠信も義経主従一行を脱出させた後、判官館で壮絶な自刃を遂げました。

義経と佐藤兄弟を忍ぶ記念像。



奥の細道で医王寺を訪れた松尾芭蕉は、この佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいます。



悲しい伝説が伝わる乙和椿。兄弟の死を悲しんだ母、乙和悲しみが椿にやどり、花がさかないまま落ちてしまう椿。



子を思う母の心情が忍ばれます。




ヒストリーウォッチング

2009年04月17日 | 歴史
天栄村役場から南へ行った白子地区にある福島県重要文化財の「龍ケ塚古墳」。

  

およそ1400年前の前方後円墳。
この地域(須賀川市と岩瀬郡の2倍半)を支配していた石背国造(いわせのくにのみやつこ)第5世の建盤主命の墓と言われ、近辺には国造遺跡志古山遺跡などあり、古印「丈部龍麻呂私印」が出土。
この石背国造は白子地区の鎮守「板宮神社」の御祭神になっています。



全長48.5m、幅36.5m。
上部に見える祠は「淡島様」(淡島明神)、女性特有の病気に霊験があり、裁縫や芸事の上達を応援してくれ、地元の女性に信仰されています。

敷地内には水仙が咲き、つくしの子が顔を出しています。












慧日寺1200年の栄枯盛衰

2009年04月12日 | 歴史
会津仏教発祥の地、慧日寺に初めて行ってきました。

平安の初めに南都法相宗の高僧徳一によって開かれた寺院で東北地方で開基の明らかな寺院としては最古。
最盛期のは慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3800を数えるほどの隆盛を誇っていたそうです。

徳一は藤原仲麻呂の子といわれ、天台宗の最澄と「三一権実論争」、真言宗の空海と「真言宗未決文」など大論争を繰り広げていたほどの名僧。

発掘調査により寺跡は昭和45年に国の史跡指定、昨年4月に金堂が復元。今年4月には中門が完成。

荘厳な金堂


金堂内部、須弥檀の黒漆塗りも見事です。


完成したばかりの中門、朱色が見事。


江戸中期の仁王像が安置されている仁王門


磐梯山慧日寺資料館の貴重な資料で1200年の栄枯盛衰を学びましょう。

磐梯山慧日寺資料館および金堂合わせた入館料は大人500円、高校生400円、
小中学生300円。
開館期間 4月15日~11月30日
開館時間 9:00~17:00

問い合わせ先
磐梯山慧日寺資料館 0242-73-3000







天栄村 偉人伝 小山田主鈴

2009年02月05日 | 歴史
我が天栄村出身の偉人を紹介します。

TV・映画でおなじみ将軍家剣術指南役「柳生新陰流」、剣術の名門1万石の柳生藩。

この柳生藩の上席家老「小山田主鈴」は天栄村大字牧之内龍生に1781年(天明元年)生まれました。

はじめ足軽として仕え、類まれな才能で大阪堂島の米市場で莫大な利益を得、藩の赤字財政を立て直し知行200石の上席家老にまで出世。

65歳で隠居。現在の奈良市の屋敷は奈良県有形文化財、旧柳生藩家老屋敷として公開されています。安政3年(1856)に75歳まで余生を送りました。

士農工商の身分の厳しい時代に立身出世した我が村の誇りです。







天地人 幻の白河合戦

2009年01月06日 | 歴史
NHK大河ドラマ「天地人」が4日より放映開始。
福島県にも大きくかかわりがありドラマ、豪華俳優陣と火坂雅志氏の原作の面白さで期待できますね。

原作の終盤では、会津百二十万国の領主として徳川家康と対立。家康の会津征伐に対応して徳川軍を迎え撃つべく白河市白坂皮籠地区に壁塁を築き迎え撃つ準備を整えるクライマックスシーンがあります。
石田三成の挙兵により、この戦いは回避されましたが両軍合わせて二十万と関ヶ原の戦い並みの規模だったようです。
・・・明日のNHK「その時歴史は動いた」ではこの「幻の白河合戦」が取り上げられるそうです。

この史実は私も知りませんでしたが、「白河まちづくりフォーラム」が中心となり
原作者の火坂雅志氏とNHKキャスターの松平定知氏の対談、講演などがのイベントが7月5日に開催予定。・・・楽しみです。

そのほか県内各地で「天地人」に関するイベントが予定され、会津若松市で24日に開催の「天地人展」に妻夫木聡さん、北村一輝さんが登場するようです


初詣

2009年01月05日 | 歴史
遅ればせながら「白河 南湖神社」に初詣

南湖神社の御祭神は「楽翁候 松平定信公」徳川吉宗の孫にあたり、幕府老中として「寛政の改革」を実施。白河藩主時代は天明大飢饉の際に関西より食料を大量に買い付け、白河藩からは一人の死者も出しませんでした。
また、日本最古の公園「南湖公園」を造営、一般庶民に開放。蕎麦栽培の奨励など数々の施政をおこない名君とうたわれています。



厳かに本殿にお参り。



参道脇の松風亭蘿月庵(しょうふうていらげつあん)



松平定信公が愛用した茶室、200年前に建造、福島県指定重要文化財に指定されています。現在も白河茶道連盟の月釜茶会が行わています。

これで新年の区切りがつきました。今年はいい年にするぞ

らき☆すたの神社にお参りしました。

2008年10月07日 | 歴史
女将の実家は「らき☆すた」の聖地鷲宮神社のある埼玉県鷲宮町。所用で出かけ数年ぶりにお参りしてきました。

正面に鎮座する大鳥居。



さすが自治体としてアニメファンを歓迎する鷲宮町、のぼりで歓迎。



石板の「らき☆すた」絵馬も・・・



大鳥居をくぐると、1200年の歴史を誇る関東最古の神社、八幡太郎 源義家が奥州平定の際に当社に祈願、馬をつないだとされる「馬つなぎの桜」。



参道の先には本殿。



進むと絵馬が飾られています。



アニメファンのらき☆すた絵馬がいっぱい。
ハングル文字の絵馬も結構見られます。国際的。



先月7日の「土師祭」で1500人の担ぎ手で町内を練り歩いた「千貫神輿」も飾られています・・・なんと重量3.5トン、あまりの重さに担ぎ手が不足し一時途絶えていたそうですが1983年に復活したそうです。
今年初登場の「らき☆すた」神輿も話題になりました。



荘厳な本殿社殿。



関東神楽の源流といわれ、国指定の重要無形文化指定の神楽が行われる神楽殿が見えてきました。



正面に向かってお参りさせていただきました。






















湯泉八幡神社

2008年10月02日 | 歴史
我が村には「羽鳥湖温泉」「二岐温泉」「岩瀬湯本温泉」「天栄温泉」と四か所の温泉があります。

こちらは共同浴場。残念ながら地域の人しか入れません。後ろのかやぶき屋根は湯口屋旅館。



共同浴場脇の足湯はだれでも入浴OK。



湯口屋旅館裏手にあるのは湯泉八幡神社。



歴史を感じる苔むした急な石段をの登ると社殿に到着。





深い緑に森閑とした雰囲気が漂い、ご神木の樹齢500年の大杉があります。こちらもご神木の大きな夫婦杉、寄り添う夫婦のようです。



見上げると神々しい姿に圧倒されます。



下りの急な石段でちょっと腰が引けるレイアさん



岩瀬湯本温泉は9世紀の初め頃、嵯峨天皇が病気になられ、これを癒やすための温泉を探す命を受けた天皇側近の公家「星右京之進」「星若狭之助」「星丹波」の三兄弟によって発見されたと伝えられています。
その由緒ある伝説を今に伝える菊花紋章が残されています。