花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

イタリアフォトエッセイ~その1:てんこ盛りツアーの始まり

2012年01月21日 10時46分13秒 | 旅エッセイ⑦~イタリア
                  


 友達と海外旅行の話になると、よくイタリアが話題になる。それ程、旅の定番なのかもしれない。
 スペイン、トルコと地中海沿岸の旅をしてきた。イタリアは、どうしても押さえておきたい国である。
イタリアツアーは、このところの円高の恩恵を受けて、十万円台のツアーもめじろおしである。

 このイタリア世界遺産8日間というツアーも、カリブ島のオプショナルツアーを含めて17万4千円とお値打ち価格である。
弱点を言えば、関空出発のため一般によく使用する中部国際空港と逆方面の電車に大きなスーツケースを持って乗り込むことで、ちょとしたプライドが傷つけられることだ。とは言っても関空発は初めてで興味深々。

    ~2011年10月9日から10月16日~ベニス、ベローナ、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ボンベイ、カリブ、バチカン

 関空は、さすが広い。空港内をウィングシャトルという電車が北と南に走っている。
荷物を預けた後、搭乗ゲートで待ち合わせになった。私は、一人での参加であるため多少不安を感じた。
 たまたま乗り合わせた大阪のおばちゃんに確認のため行き先を尋ねてみた。同じドーハで同じ時刻なので心強かった。しかし、電車のドアが開き、待機していた従業員におばちゃんが切符をみせたら、反対の南ウィングからの搭乗であると告げていた。私も早速切符をみせたら、この降り口で良かった。同じ時間に同じドーハ行があるとは、そのスケールの大きさに驚いた。

 カタール航空のカタールとは、飛行機の翼に「QATAR」とかいてあり、ローマ字では、ひょっとしたら「カ」ではなく「クァ」なのではないかと思った。

 ドーハ空港もドバイ空港のようなハブ空港のようである。アフリカの各国にフライトをしていることが掲示板から示していた。
空港内で最初に目についたのが、その中央にフェラーリが展示してあることだ。カタール共和国は、石油産油国で社会保障が充実しており、一人当たりの所得が、日本よりはるかに多い。そのことを象徴しているかのような光景である。

 ドーハからベネチア便の乗り換え時間が3時間ぐらいあった。私は、空港内の売店でひとこぶラクダのぬいぐるみをを買った。かわいらしい顔と肌触りの良い触感が気に入った。まわりの外国人たちも次から次へとこのお土産に買った。言ってみれば衝動買いかもしれない。帰国後によく見れば、それは、メイドインチャイナであった。
 





イタリアフォトエッセイ~その2:観光客でにぎあうベネチア

2012年01月21日 10時45分59秒 | 旅エッセイ⑦~イタリア
                          

 飛行所要時間は、約18時間。疲れを通り越してハイテンションになった。
 ベネチア・テッセラ空港に着いても、ここがイタリアだという実感がなかった。水上乗り合いバスからの水辺に浮かんでいるような建物群をみて、やっとベネチアにきたっ!と思った。

 船つぎ場からサンマルコ広場にかけては、メインストリートになっていて、人でごったかえしていた。

 日が落ちようとする時間にゴンドラに乗った。水路に架かる橋や周辺は、食事に出かける観光客や家路に急ぐ人々であふれていた。みるみる日が落ちて暗闇に浮かぶともしびがむなしく光っていた。言葉が通じない客のために、船頭さんがサンタルチアを歌ってくれた。暗闇かつ静けさの中で歌が大反響した。

 もう8時を過ぎたでしょうか、添乗員さんが掲げる棒を目印に、我々はレストランに急いだ。レストランの裏口から入る予定だったが、あいにく鍵がかかっていた。しかたなく、延々と回り道をした。水路が駆け回る道は、いくつもの橋を渡り難解な迷路である。 はぐれたら最後、暗闇の中では、おそらくだれも探せないことを感じていたから、皆必至である。

 ベネチア名物のイカ墨のパスタを食べた。本場の雰囲気と相まってとてもおいしかった。

 ホテルに10時ごろ到着した。むかえにあるスーパーマーケットももう閉店していた。寝るだけなら4つ星ホテルじゃなくてもわたしはいいんだが。
 

イタリアフォトエッセイ~その3:愛の町ベローナ

2012年01月21日 10時45分48秒 | 旅エッセイ⑦~イタリア
                                

 ベローナは、ミラノとベネチアの中間に位置し、交通の要所として栄えた古都である。その町並みは、ミラノファッションの鮮やかな色彩を放つショップが立ち並び、デートコースにふさわしい所でもある。

 ベローナが世界的に有名になったのは、イタリアのサッカーチーム「ベローナ」の本拠地であること以上に、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の題材になったところからだ。そのジュリエッタの家の前には、ジュリエッタの銅像があり、多くの人だかりができていた。
 その右乳房にさわると、願い事がかなうと言う。それゆえ、その右乳房は、テカテカに輝きまくっていた。私は、今回のイタリア旅行の目的のひとつに乳房に触ることでたった。その証拠写真も撮ってもらった。しかし、変態おじさんそのものの写真であるゆえに、公表できるしろものでない。
 もうひとつ、愛の街ベローナという所以は、年に一回広場で同時刻にキッスをしあうイべントがあることだ。国境を越えて人が集まってくるらしい。ジュリエットにちなんだ「ジュリエットのキッス」というクッキーや恋の悩み事に返事を書く「ジュリエットからの手紙」など恋に関する企画が用意されている。

 ちょとした自由時間に、「ベローナキッス」というジェラードをみつけた。陽気に誘われて、買い求める客が多く、やっと私の番になった。そしたらそれは売り切れで、あげくの果てに集合時間に遅れてしまった。人だかりを探したが見つからない。その時は、血の気が引く思いであった。集合付近から離れないようにうろうろしていたら、大きな声で私を見つけてくれた。

 機内泊そして昨日の夜遅くのホテル到着、度重なる疲れがどっとでてきたのだろうか、部屋キーの受け渡しのために待っている時にも、数少ない椅子の肘掛にも腰を下ろしている人たちもいる。
 私は、偶然ジュリエッタの像のような彫刻をみつけた。それは白っぽい像であるが、右乳房のみがテカテカであった。右手で触った。それを見ていた人達から、冷たい視線を感じた。それは、ちびまる子ちゃんが時折見せる、青い冷や汗のようでもある。

イタリアフォトエッセイ~その4:ミラノからピサへ

2012年01月21日 10時45分34秒 | 旅エッセイ⑦~イタリア
                                         

 ミラノにあるドゥオーモ(大聖堂)は美しい。バルセロナのサクラダファミリアは、スケールの大きさでまさっているが、均整のとれた構造物としてはドゥオーモのほうが迫力があり、私は気に入っている。全体像を眺めてみても何も障害物がなく見飽きない。

 東京スカイツリーが2012年5月に公開することで話題に上がっているが、14世紀に500年近い歳月をかけて建立したドゥオーモに比べたらはるかに見劣りする。
 
 ドゥオーモから少し歩いた所に、ビィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアがある。書いている本人が、そんな名称だったのかと思うぐらい、名前の印象が薄い。ようはアーチ型天井のアーケード街である。しかし、その中の建物や舗道、天井付近の絵画など全体がアートの世界である。当然、ミラノファッションの店も立ち並んでいる。ガッレリアの中央の床に、牛のモザイク絵があり、その生殖器をかかとで一回転すると子宝に恵まれるという。ツアー客のおばさんも私も試みた。せっかくここまで来たのだからやらなきゃ損するという庶民感覚がはたらくのだ。無宗教な日本人が、正月にお寺さんと神社のお参りをするのとよく似ている。

 夕食は、ミラノ風カツレツであった。ご当地の名物料理がいただけるのは、さすがツアーならではできない配慮と思う。当日、ツアー客のひとりが誕生日ということで、テラミスのケーキのサプライズがあって、大いに盛り上がった。ヴェネチアから始まってその後もデザートによくテラミスが登場したが、このテラミスは、なかにアイスクリームがは入っていて冷たくおいしかった。

 ピサの斜塔は、田舎に立っていた。ピサの塔とその近くに立っている教会は白く、芝生のみどり、空のすきとおったような青色に絵葉書のように輝いていた。

 レストラン内の売店の棚に、このトスカーナ地方のキャンティーワインが並んでいた。私は、ワイン通ではないがガラス瓶に藁がまかれ一風変わった形にあこがれていた。旅立つ前に、おみやげにこのワインを考えていた。棚の近くに細長い立方体形の藁でまかれた物があり、スーツケースでの持ち運びに便利と思い3本購入した。家に戻ってからよくラベルをみたら、バルサミコ酢であった。ラクダに続いての失敗である。

 
 
 
    

イタリアフォトエッセイ~その5:フィレンチェからローマへ

2012年01月21日 10時45分18秒 | 旅エッセイ⑦~イタリア
                                            

 私たちは、バスを降りてから川沿いにかなり歩いた。まだかまだかと歩きつづけて、やっとウッフィツィ美術館にたどり着いた。その外見から古い建物であることは、窓ガラスの鉄枠からもうかがえる。

 NHKの「日曜美物館」という番組で紹介されたボッティテェッリ作の「春:プリマヴェーラ」「ビーナスの誕生」など裸婦の絵や彫刻が所狭しと飾ってあった。私は、デッサン教室で絵の基礎を習っているが、なかなかうまく表現できない。とくに、からだのひねりを見る側に伝えることは、非常に難しい。
 その当時は今と違って情報が入りにくい世の中と思うが、画家はどのように絵の勉強をしたのだろうかと不思議に感じた。とくに、男性で一枚全身の皮膚をはぎとたれた像は、目を疑うぐらいすごかった。筋肉と浮き出た血管が、解剖したかのように精密に作られていた。「モナリザ」の絵も、超精密画であることが最近わかってきたと聞く。アフリカの狩猟民族は、視力が2,0以上あるということを考えると、ひょっとすると昔は、ものを見る力や表現する力が今以上にそなわっていたのではないだろうか?

 もう少しゆっくりと見学をしたかったが、ツアーだからそうもゆかない。日本に帰ってからまたじっくりと本を見て、振り返ってみたい。

 フィレンチェの花の聖母教会は、白、ピンク、グリーンの大理石による幾何学的文様が、壁一面に組まれている。くすんだような古めかしさの良さとは一味違う新鮮さを感じた。その教会が、時間とともに夕日に照らされ、茜色に全体が包まれた色調は、絵画のようで幻想的であった。私は、腰を下ろして夕やみ迫る空間をゆっくり楽しんだ。

 ツアーのコースに三越ローマ店での買い物があった。あらかじめ配布されたパンフレットには、三越ローマ店の35周年記念で限定オリジナル商品が載っていた。私も、限定という言葉に弱い。それは、アレッシー社製の「ラブスプーン」で、お土産にあらかじめ決めていた。財布のみを持ってバスから降りた。買う時になって、財布の中のお金がないのに気が付いた。私は、青ざめた。イタリア→スリの発想が頭によぎったからだ。しかし、冷静になって考えみると、今朝フィレンチェのホテルで財布を購入して、バスの中でその財布の使い勝手を確かめた時に、すべてのお金を入れっぱなしにしていたためと気が付いた。そのためスプーン10組は、カードで支払った。カードがあってよかったと胸をなでおろした。