花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

ソウルⅡフォトエッセイ~その1:再来、ソウルへ!

2014年08月02日 11時23分28秒 | 旅エッセイ⑬~ソウルパートⅡ
                              

            

          

 今年も医院の職員旅行があった。2014年7月10日~12日のソウル3日間で、11名が参加した。2年前は北京の反日運動で急きょ取りやめになり、去年は、台北訪問中に台風が上陸し、深夜便の飛行機に変更になった。今年は、旅立つ前に大型台風が日本に接近しどうなることやらとハラハラしたが、台風の速度が遅く、勢力も衰え難を逃れた。 

 仁川空港から車で約1時間走ったところにある院長の知り合いの窯元を訪問した。私は、以前は焼き物収集に趣味がありいろいろ手に入れたが、今は収集物のスペースで妻からこれ以上はダメと強く念を押されていた。その事が私のトラウマになり、焼き物に対する興味も自然に薄れていった。
 その窯元で出されたスイカとスモモがおいしかった。

 パークホテル明洞セントラルに泊まった。ホテルは繁華街に位置しており、周辺は飲食店やコンビニ、両替所などが立ち並び夜遊びに都合がよい。私は、ガイドブックに載っている朝5時半から開いている「イェジ粉食」で明日の朝食をしたく、その場所をあらかじめ探した。ホテルから数分の路地に入ったところで近かった。その時偶然出会った店主は日本語が通じて、愛想が良かった。その感触からして定食もおいしいに違いない。

 コンビニでT-moneyガードを購入し、地下鉄で東天門に行った。そこは、10年前に行った時とは全く違う光景であった。ファッションビルが立ち並び、はだか電球に照らされた屋台の姿は無く、私にとっては少し寂しさを覚えた。名古屋駅周辺も10年前とは相当変わっているから、東天門あたりも無理はないかも・・・。夜の清渓川沿いの散策道は、カップルが涼んでいた。

 明洞のマッサージ店に入った。ほとんどの店が日本語が出来そうだ。膝が痛いことをあらかじめ伝えたが、いざ足のマッサージに移った時に、私は「イテッテッと叫んだ」先ほど言ったことが、無意味のようであった。その後、観光地でバスを降りるたびに、不自然な足の運びになった。タイに行った時も、マッサージ料金が安いという理由で毎日のように店に入った。その時もやはりひざを痛めた。私には、学習能力が乏しいのか? 

 

     

ソウルパートⅡフォトエッセイ~その2:女子力アップのソウルフード

2014年08月02日 11時22分18秒 | 旅エッセイ⑬~ソウルパートⅡ
                  

                              

                                                         

         

                

 朝6時過ぎ、ガイドブックに載っていたチゲ系(鍋料理)の定食がおいしいと評判の食堂「イェジ粉食」に行った。その食堂は、10人ぐらい入ったら満席になりそうなこじんまりとした店作りである。入ってすぐ昨日会った店主が日本語で「おはよう」とあいさつをしてきた。その隣では、奥さんが具の入った卵焼きを大量にもくもくと作っている。中には客が一人朝食を静かに食べている。私は、日本語表示のメニューからおすすめのスンドゥブチゲ(6000W)を注文した。先にご飯と付け出し(キムチ系2種、卵焼き、韓国のり)がでてきた。そのおかずだけで充分ご飯が進みそうだ。スンドゥブチゲは、滑らかな豆腐が入ったこってり辛み鍋である。これもまたご飯が進む。大変満足した。ソウルに来る機会があれば、また食べたいと思った。

 その後、コーヒーでも飲もうとホテルのレストランに足を運んだ。そこには、バリ島の市場で食べて、おいしかったという記憶が脳裏に焼き付いてる「果物の女王」と言われるマンゴスチンがあったのだ。私は、早速3個を皿にとった。その中身は、シャーベット状で、この暑さの中で食べるのは、最高である。南国でもない韓国で、思いがけない出会いであった。

 仁寺洞は、街中の現代アートや、骨董のレイアウトが面白かった。客を引き寄せるためにいろいろな工夫をしている。今では、世界中の観光地が必死になって試み始めている。今は、客を待っているだけではダメのようだ。

 夕食は、ホテルの前の焼肉店で女性職員6人とガイドさんの女子会プラス1(私)のパーティーだ。いつものように話題に尽きなく止めどもない。ガイドさんが私に向かって、女子力パワーについていけるなんてすごいと感心していた。私にとっては、自然な形で、楽しい会話なら男も女も関係ない。皆に負けじとただしゃべくりまくるだけだ。
 料理は、サムギョプサル(豚バラを野菜で包んで食べる)、チヂミ(お好み焼)、チャプチェ(はるさめの炒め物)、参鶏湯(若鶏の鍋)トッポギ(おもち)、飲み物は、マッコリ、チャミスル(焼酎)を注文した。ぜ~んぶ韓国食一色である。おいしくて話が弾みチャミスルを飲み過ぎた。 

 明洞の繁華街をJ型の長いコーンに入ったトルコアイスを食べながら、ガイドさんのお薦めミュージカル「ナンタ」劇場に向かった。ミュージカルの内容は、ほとんど役者の身振り手振りで理解できた。また、場内の観客を巻き込んだ演出は面白いし、すごいと思った。あちらこちらから子供さんの大きな笑い声が場内に響いた。このようなエンターテイメントは、日本にはなく、私には新鮮に映った。

 

ソウルパートⅡフォトエッセイ~その3:歴史感覚のズレ?

2014年07月25日 10時38分05秒 | 旅エッセイ⑬~ソウルパートⅡ
                        

                   

            

 朝から仁川観光に出かけた。仁川と言えば空港を思い出すが、仁川市は空港から少し離れている。まず最初に仁川上陸作戦記念館を訪れた。歴史にうとい私なら、その観光は設定はしなかったであろう。

 1950年、連合軍はマッカーサー司令官の決断で仁川に上陸してソウル市を奪還したという。いわゆる朝鮮戦争である。日本は、そのおかげで敗戦後の景気の下支えになった。下手をすれば釜山や日本も危なかったらしい。私は、全く知らない。中学の社会科、高校の社会科の授業ともに、現代史は時間数が足りなくなって先走って終えた。また、教える側も、日本の軍国主義についてあまり語られていない時代的な背景があるように思う。誠に残念なことである。

 皮肉にも第二次世界大戦で日本が敗北した日が、朝鮮の独立記念日となる。10年くらい前、私は、その時の情景を平田オリザさんが率いる劇団青年団が「ソウル市民」を熱演していたこと思い出す。政治あるいは戦争によって、韓国で暮す日本人家族とその使用人の心の移り変わりをとらえたもので、穏やかな暮らしが一遍するありさまは今でも心に残っている。また、小劇場で日系三世のひいおじいさんのルーツをたどるという内容の演劇を観た。その後のトークショーで、日系三世の韓国人俳優さんが、日系一世、二世は、自分の本心を話さなく、殻にとじこもる生き方を身に着けているが、やっと三世になって自由に自己表現できるようになったと言う。私の子供のころ、約50年前には、朝鮮人の差別が確かにあったし、私の心の深くにはその事が根付いているのではないだろうかと不安を覚える。

 ガイドさんは、景福宮など朝鮮の歴史を語るうえで、日本人のお客さんに楽しく観光してもらおうと可愛そうなくらい言葉を選びながら説明していた。でも、歴史に精通した人から異論が出た。そのぐらい歴史感覚が違う。日本が好きで、日本語を勉強した彼女でさえそうである。ガイドさん説明の中で、韓国の若い人の中には、経済が悪くなり、生活が低下する事を危惧して、朝鮮の統一に反対している。でも、朝鮮戦争によって、数知れない家族がバラバラになっている現実もある。日本以上に韓国は、前途多難である。

 この章は、今までの旅の楽しさを発信する内容から少し違ってきたが、ありのままの韓国を伝えるためには、避けては通れない事のように思う。もののみ方考え方は、人それぞれに違って当然です。
 
 今回の旅は、また一味違ったものであった。