その当時、蓄音機は私の家の生活水準からすると、見分不相応な代物であった。両親は、子供の情操教育の為にと思ったのか、さぞ無理して購入したことであろう。その時代は、一流大学に就職をすれば、その人の人生は安泰であると皆信じていた。
それに反して、私は蓄音機を畳の上でまわし、周りで飛び跳ねて蓄音機の針がレコード盤の溝からずれて変な音のつながりを楽しんだものだ。結局、蓄音機はおもちゃのひとつになっていた。
傷のついたレコード盤は、雑音がいっぱいである。それでも何とか音楽を奏でる。完璧でないところがまたよい。
柳行李は、2世代前に一般に使われていた収納ケースのことである。今はプラスチック製のもの、その前は、ブリキ製のもの、そして、その前のものであった。
柳行李の特徴は、通気性があり、軽く、かさばる物にもある程度対応できることである。今日でも、その愛好者のために細々と作られている。
この柳行李のトランクは、フーテンの寅さんが愛用した皮製のトランクよりも前に日本で使用していたもので、和製のトランクと言うべきかも知れない。
それは、戦中、戦後のいざという時に持ち運びしやすいように、丈夫な皮のもち手がついている。ちょっとした生活の知恵がかいまみえる。その編みこんだ縫い目にしみこんだススやシミをみていると、その時代の荒波を生き抜いた歴史を感じる。
実際、父から戦後の食糧難のとき、トランクに着物を詰め込んで、買出しに行ったと聞かされた。
子供の成人式や大学の卒業式の準備で、久しぶりに着物を見る機会があった。着物の柄の配色や構図をながめていると、昔から受け継がれた日本人の美的感覚のすばらしさに感動した。
この着物は、妻が子供も頃着ていたもので、タンスの奥にしまいこんであったものを引っ張りだしたものである。艶やかである。おそらく、はじめて袖をとおした本人も自分の背伸びした姿にうっとりしたことであろう。
窓辺に吊るした着物は、木漏れ日のひかりの中では、表地の柄と裏地の柄が合い重なって、走馬灯のように絵が変形して美しかった。
徳利と言えば、てっきりお酒を入れておくものとばかり思っていた。
映画やドラマで、酒におぼれた飲んだくれ親父に「おい、酒、買って来い!」と子供が徳利を持って使い走りされる場面が、私の脳裏に焼きついているためなのかもしれない。
この徳利は、表面に味醂(みりん)と白化粧土で盛り上げて書いてあり、その反対には「中西」と屋号が記されている。約30年前にそれを購入した近くに中西酒店が存在しており、お客は容器を持参して買い求めたようだ。
この間、名古屋市内を歩いていたら、「量り売りできます」という看板の酒店のあり、私は懐かしく思った。
情報や物流が発達していない時代では、すぐに生産地がわかり、作り手の顔も見えてくる。農産物、生活雑貨、家具、家造りだって同じだ。
使い捨ての時代とは、程遠い世界だ。
小さな島に暮らす人にとって、水は重要である。だから、道の曲がり角などに共同の井戸を持っていることが多い。しかし、今は、本土からパイプラインを引いて水道水を利用している。島には使用していない井戸のみが残っていた。
私は、ひょんなところで汲み上げ式の手押しポンプが付いた井戸を見つけた。それは、寺に隣接した墓地の一画にあった。お墓にあげる水として現役で活躍していた。
手押しポンプの柄を勢いよく上下運動すると、ポンプの上部からポコポコと泡を伴って水があふれ出てくる。蛇口からの水は、広い口から竜巻のごとく回転しながら計り知れない量が落ちてくる。まさしく生き物である。
井戸の水は、夏冷たく、冬暖かい。すいかを冷やすのに適している。
尾瀬に行ったとき、飲んだ湧き水のおいしかったことは忘れられない。世界中の食べ物が身近に手に入る時代に、湧き水がおいしいとは皮肉なものだ。