花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その1「素朴な少女」

2009年04月13日 15時28分19秒 | もうひとつの韓流ブーム0
                 

 ふっと立ち寄った韓国レストランで、ひとめで不思議な魅力を感じた少女に出会った。彼女は、シルクロードのテレビ番組でみた少女のように、ほっぺを赤くし澄んだ目をしていて、どことなく異国情緒を漂わせていた。
 子供の頃、12枚用のフィルムで24枚の写真が撮れるハーフサイズカメラの時代に、私は、垣根の前で鼻をたらしながら人差し指をしゃっぶている姿の写真があった事を思い出した。その写真はいつのまにかアルバムからはずされていた。彼女をみていると、その当時のことが思い出される。
 彼女は、日本に来て間もないためなのか、レストランのママさんを介して話が通じた。その内容は、おじいさんが中国人で、韓国語と中国語が話せると言う。自分の名前を漢字で書いてもらったら達筆なことに驚いた。今は日本語学校に通っているが、将来は大学に進みたいと話した。生活するためにうどん屋など深夜アルバイトをして、睡眠時間は毎日数時間と言う。志をもって来日して挫折する人が多いと聞く。ぜひともがんばっていただきたい。
 帰り際、握手した手のひらがカサカサであったことが印象に残った。
 

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その2「韓国レストランの料理人」

2009年04月13日 15時27分00秒 | もうひとつの韓流ブーム0
     

 日ごろ食事に行ったりしても、めったに料理を作る人にお目にかかることはない。もし、シェフに「食事のお味はいかがでしょうか」と聞かれたなら、とっさに「結構なお味です」という事でしょう。
 ちょっとしたきっかけで、料理人というより料理のまかないをする韓国人に話が聞けた。彼女は、年の頃は60歳代で日本に数十年暮らしている。彼女は、たどたどしい日本語をしゃべりその語尾に時々名古屋弁がまじる、ごく普通のおばさんであった。私は、話の中で「韓国に帰りたくないの?」と私の悪い癖であるズバリと相手の胸に突き刺さるようなことを言った。多少の沈黙がとても長く思えた。その後話題を変えてからは話が弾み、帰り際もっといてくれとせがまれた。それは、韓国ドラマの中でよくある、家に来てくださった方へのおもてなしの一場面とかさなった光景であった。
 彼女自身は気がつかないと思うが、私は、昔ながらの韓国の礼儀作法がいまだに受け継がれれいることに感銘を受けた。
 

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その3「接客業のリリちゃん」

2009年04月13日 15時26分37秒 | もうひとつの韓流ブーム0


 映画「男はつらいよ」シリーズでフーテンの寅さんが、いつものごとく恋をした相手役のマドンナ、浅丘ルリ子さんが演じた「りりー」をあなたは覚えていますか。「りりー」は、酒場を転々としながらも、お互い親身になって接し気持ちが通い合っていたのに、寅さんはどうしても結婚に踏み切れなく、映画を見ている私がやるせない気持ちになったことを思い出した。
 私の知っている接客業のリリちゃんも、店や携帯電話を転々と変えていた。彼女は、日本人に恋をし、悲しい思いもしていた。私の頭の中では、「りりー」と重なり合っていた。そんな彼女には、本国で小学校に通っている少女がひとりいる。学力優秀な自慢の子で、両親が面倒を見ているという。その話になると顔が生き生きとしてくる。当然、携帯電話の待ち受け画面は、その子の笑顔である。でも、お母さんの誕生日に楽しそうに電話をかける親思いの彼女は、今は消息がわからない。
 餓死した赤ん坊を抱きながら、大粒の涙を流して悲しんでいるお母さんの映像をテレビで見たことがある。どこの国に住んでいようが、人の心は変わらない。

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その4「外国人でにぎわう観光名所」

2009年04月13日 15時26分18秒 | もうひとつの韓流ブーム0
        

        

 北海道に住む甥の結婚式に参列するために札幌駅で降りたった。道案内の表示板を見ると、英語、中国語そして韓国語で書かれていた。私は、常日頃そんなにまじまじと表示板を見なかったためなのかそのことに驚いた。後で姉に聞いてみると、北海道は、外国の旅行者が多いと言う。
 結婚式の後、私はなだらかな丘の景観で有名な美瑛に向かった。景色を撮りたかったことよりも、韓国人旅行者に会いたかったためである。特に、丘を巡る周遊バスは外国人に人気である。私が乗ったバスは、約半分の乗客が中国、台湾、韓国からきた東南アジアの人であった。発車は時刻どおりに運行すると思いきや、そうはいかない。国民性の違いかもしれない。きっと、バスガイドさんは胃薬を服用していることでしょう。
 ガイドさんが左手に見えます畑は大豆畑「ビーンズファーム」と流暢な発音で説明し、外国の方と私は頭を縦に振ってうなずいた。JRの外国人の多いツアーには、」英語の堪能なガイドさんを配置するのかなぁと感心した。しかし、旅から帰ってそのことを娘に話したら「ビーンズファーム」ではなく「ソイビーズファーム」と訂正された。

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その5「在日韓国人三世のパワー」

2009年04月13日 15時25分59秒 | もうひとつの韓流ブーム0
         

         

 数十年前までは、このようなタイトルで文章を書くこと自体、歴史的な背景や政治的な意味合いで敬遠されてきた。しかし、韓流ブームのおかげで、お互い市民レベルでの交流が盛んになり表現できるようになった。そんな中で開催された韓国映画祭で上映された「まぶしい一日」を鑑賞し、トークショーにも参加した。
 映画の内容は、韓国から日本に渡って強制労働をさせられ、苦しい生活を強いられたおじいさんが、韓国で埋めた宝物を孫が探すところから話が始まり、私にとっては難しくて理解しがたい内容であった。
 しかし、映画が問いかけたことは、彼は、在日韓国人は日本人でもなければ韓国人でもない存在で、自分の居場所がどこにあるのかということであった。
 主演を演じた在日韓国人三世のソ ヨンファさんは、討論の中で「私の周りにいる若者は、映画のような歴史的なわだかまわりはない。私は、在日韓国人として日本と韓国の文化交流の架け橋になりたい」と熱く語られた。
 海の向こうの韓国でも在日三世の人がストリートダンサーとして活躍している姿を見て、在日三世のパワーのすごさに私は胸を熱くした。