花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイモロッコ~その1:眠らない街マラケシュ「ジャマ・エル・フナ広場」

2016年01月16日 10時22分03秒 | 旅エッセイ⑯~モロッコ
                     

                           

                        

                                                

                           

                     

 私は、友達と2015年10月28日出発のモロッコ6つの世界遺産周遊8日間(クラブツーリズム)総額189040円の旅に出かけた。
 中近東の情勢不安があって延び延びになっていたが、一度は行きい願望のほうが勝っていた。スケジュール表をみるとハードな行程である。実際、マラケシュとフェズの旧市街も街歩きはゆっくりと散策できなかった。ただひたすら迷子にならないように前の人の尻を追った。良いように考えれば、安くててんこ盛りの観光なのだ。せわしい一般的な日本人の観光で、私好みでもある。

 カサブランカを通り過ぎ夜マラケシュのフナ広場に着いた。カフェの2階からフナ広場の全景を眺めた。広場に立ち並ぶ屋台のテントは、裸電球の光でオレンジ色に照らされ、昭和の時代を思いだす。そして、ところどころで煙が立ち昇り幻想的な雰囲気をかもしだしていた。耳からは音楽と人のざわめきも入ってくる。旧市街の城壁のライトアップが相まってまるで不夜城のようだ。テレビや本で見るより、目に眩い。
 その中を散策すると、人混みによる土ほこりと煮炊きする時にでる煙で、喉がいがらっぽくなった。そのような屋台で夕食をしている外国人ツアー客もいた。 肉を噛んだ時、きっと「ジャリッ」と音をたてているに違いない。まるで忘年会シーズンの居酒屋の雰囲気で楽しそうである。
 ちょっと現地の人や演奏する人にカメラを向けるとチップを要求される。私は、そのしつこさに横柄した。

 次の日、一面オリーブ畑におおわれたメレナ庭園とモザイクタイルや彫刻を施した地中海的な内装で美しいパピア宮殿を巡った。
 私は、どちらかと言えば、新しいもの美しんものより、生活感あふれる泥臭いところが好きだ。
 メディナ(旧市街)内のスーク(市場)を足早に迷路のように進んだ。私は、周りをキョロキョロしながらスナップ写真を撮った。どうしても遅れがちになる。自分の世界に入ってしまうからだ。モロッコ特有なミネラルが豊富な粘土(ガスール)の半練状の石鹸の量り売り、乾燥した花のしべ?なのかよく解らないが、歯磨きの習慣のない時代に茶筅状のものを一つずつちぎってつま楊枝として活用していて、今でも売っている。新しい発見であった。すべて自然からの恵みである。

 





 


   

フォトエッセイモロッコ~その2:映画のロケ地「アイト・ベン・ハッドゥ」

2016年01月16日 10時21分42秒 | 旅エッセイ⑯~モロッコ
                           

                                                                     

                                    

                         

 マラケシュからオリーブ畑や牧草地を車窓から眺め、アトラス山脈を超えた。山肌は、サボテンの栽培がわずかにあるものの、木も生えない不毛な山肌であった。
 昼食をしたレストランにアルガンオイル専門店が併設していた。
 アルガンオイルは、モロッコの南西部に自生している樹から採れる種をすりつぶして抽出したオイルである。店の中で、昔ながらの方法でベルベル人が臼ですりつぶしている所を実演していた。モロッコに入ってから、イスラム教の女性は、写真を撮るのに了解を得なければならないので、私はフラストレーションがたまっていた。ここばかりはとカメラを向けた。
 妻は、テレビショッピングでアンチエイジング化粧品でアルガンオイルのことを知っていた。妻は、意味ありげに今回の旅行も心置きなく送り出してくれた。感謝!感謝!

 先住民族のベルベル人は、敵から守るために要塞(カスパ)化した村に7世紀頃から住んでいる。そのうちの保存状態が良くて景観がよい村が、今なお残っている。それが「アイト・ベン・ハッドゥ」である。日干し煉瓦で作られているため、毎年修復しないといけない。世界遺産を守るっていうことは、大変なことである。村人の大半は、川を挟んだ対岸に移り住んでいるというが、いまだに数件の家族が生活している。その中の様子を見せていただいた。水や電気のない生活は、私には耐えられない。
 頂上からの景色は、素晴らしくいい。炭鉱の残渣でできるぼたやまみたいなものがあった。それは、映画ロケで掘りおこした土の山であった。大がかりなロケ設定である。
 モロッコは、映画産業が盛んであるという。マラケシュとフェズの大きな旧市街、サハラ砂漠、不毛な地などいろいろな場面を創り出すことができるからだ。

 その後、バラで有名なエル・ケラア・ムグナ村、断崖絶壁のトドラ峡谷を通り、カスパ街道を東に進んだ。その途中、バスの中で「カスパの女」を聞き~地の果て アルジェリア~のフレーズに酔い痺れた。

 

 
     

フォトエッセイモロッコ~その3:一度は行ってみたいサハラ砂漠

2016年01月16日 10時21分25秒 | 旅エッセイ⑯~モロッコ
                                                   

            

 4日目のモーニングコールは、砂漠からの日の出鑑賞のため早朝4時になった。私はその前に目が覚めた。環境が変わるとそれに準じて体が順応できるようだ。
 総勢18名が3台の4輪駆動に分乗して、真っ暗闇の道なき道を、猛スピードで砂ほこりをたてながら走り続けた。エルフードの街から約1時間で、カフェなどがあるサハラ砂漠の入り口に着いた。そこには、十数頭のラクダが待機していた。
 ラクダ利用者は、そこで乗り換える。まず客がラクダに安全に乗るため、付き人二人が、ラクダのおり曲げた前足を、足の裏でラクダが暴れないように強く押さえる。その時、痛いのか悲鳴をあげる。
 可哀そうであるが、そこでのラクダの役割である。エルフードの街のほうに来て、荷役の運搬にもラクダが登場し生活に密着している。

 さらさらした茶色の砂地を約30分ぐらい歩いて、一面さえぎるもののない丘で日の出を待った。星のひとつひとつが大きく見えた。北斗七星、カシオペア座もプラネタリウムで鑑賞していると錯覚するぐらい、くっきり見えた。ましてこの静けさは何だ!

 帰り道、きれいな茶色をしてさらさらした砂をお土産に持ち帰った。欲張りな私は、大きなジップロックの袋に詰めた。歩きにくい砂地では、それがとても重く感じ、やむなく量を半分に減らした。それでも私が一番多く砂を持ち帰った。誇らしかった。今は、リビングにアンモナイトの化石と砂漠の砂を、金魚鉢に入れて飾っている。それを見るたびにその当時の事を思い出す。

 テント内での朝食後、休憩していたラクダの写真を撮ろうと、二匹のラクダに近寄った。するとお互いキスをしだした。その後も何度か右側のラクダがモーションをかけるが、なかなか受け入れてもらえない。左側のラクダは、そもそもその気がなかったのか、私たちのカメラが気になったのか、それとも早朝からその気になれなかったかは、想像に域を超えない。
 私は、その光景やトルネードのように口を上下左右に回転させながらモグモグする姿に、心を癒された。

         

フォトエッセイモロッコ~その4:生活感あふれる巨大迷路「フェズ・エリ・バリ」

2016年01月16日 10時21分08秒 | 旅エッセイ⑯~モロッコ
                           

                                                                           

                          

 高台からフェズの街を一望した。巨大迷路のように家がこれでもかというぐらい密集していた。そのため、散策時は、はぐれないように現地のガイドさんが後方からついて来た。私は、早速彼の写真を撮らせてもたった。当然、身振り手振りの意思疎通であとはOKと発して通じた。その時の彼のポーズの取り方から、素人ではないように感じた。若いときは俳優かも?

 城壁は、日干し煉瓦で造られているため、修理するための足場用に穴が点在している。そこが鳥の住処になっている。ヨーロッパでも旧市街地の城壁を見たが、フェズの城壁はかなり大きい。
 私たちが訪れた王宮の門は、銅の装飾をレモンの汁で磨いていた。籠に山盛りに積んだレモンを使う分だけナイフでレモンの皮をむく人、それを手渡す人、脚立を支える人、銅を磨く人の4人がかりである。家内工業的な作業に懐かしさを覚えた。

 市場内は、香料、木工、織物そして革製品を売る店などが各部門ごとに集合してる。服を売る店では、足踏みミシンで服を縫製している所が道路から見え、木工も制作の現場がのぞける。ここでは足踏みミシンは現役である。もっとゆっくり散策したいのに残念であった。お土産を買う余裕すらなかった。

 バブーシュなど革製品の店に入った。その店の階段を上る所でミントの葉を渡された。その時どうしてなのか解らなかったが、周りの人がするように鼻にミントの葉をつめこんだ。5階ぐらい登ってそのビルの屋上にでた。臭いがきつい。でも、私がNHKのテレビで映し出された風景を、生で見れた嬉しさのほうが勝っていて気にならなかった。2,3メートルの染色樽がたくさん並んでいて、下半身つかりながら作業をしている人もいた。重労働である。それは、中世の時代から続いているらしい。すごいとしか言いようがない。

 昼食は、間口は狭いが、中に入ると白を基調とした宮殿のようにゴージャスであった。運動靴に軽装な私たちには、似使わない場所である。ナイフとフォークも上手に使えない私は、到底、品良く食べることはできなかった。
 
 
 

 

     

フォトエッセイモロッコ~その5:なだらかな丘に建つ「ヴォルビリス遺跡」

2016年01月16日 10時20分50秒 | 旅エッセイ⑯~モロッコ
                                          

               

      

 フェズからヴォルビリス遺跡に向かった。北海道の美瑛を思わせるようなゆるやかな丘が連なり、広大な穀倉地帯である。遠くには大西洋が見える。カサブランカで見た荒れ狂ったような大西洋ではなく、紺碧に輝く穏やかな海である。約1時間半で丘の上に建つヴォルビリス遺跡に着いた。

 今日は、本当に天気が良い。青空の下に綿のように浮かんだ雲を背景に、遺跡群は、私のコンパクトカメラでも絵葉書のようにきれいに撮れた。
 途中、カメラのバッテリーがなくなったので、一端バスに戻った。そしたら、ツアー客の一人が座っていた。聞いてみると、どうも風邪に罹ったらしいと言う。私は、持ち合わせの風邪の市販薬を渡した。その後、一晩ぐっすり寝たら回復したらしい。お世話になったということで、帰りの空港の免税店でシャトーワインをいただいた。ささやかなことで高価のものをいただき大変恐縮した。

 ヴォルビリス遺跡は、トルコのエフェソス遺跡やイタリアのポンペイ遺跡のような巨大な古代都市を形造っているのではなく、オリーブの圧搾機があったりして、どちらかというとローマ帝国時代の大きな農村集落のように感じた。ギリシャ神話にまつわる女神のモザイク画は、色衰えてなく、ガイドさんが、その描いた女神像の背景を詳しく説明していた。歴史好きな人は、ぜひ訪れてもらいたい。

 今回のモロッコの旅は、5泊8日で、アトラス山脈越え、サハラ砂漠と変化に富んだコースで、ハードな行程であったが、大変印象に残る旅であった。また、移動日に雨に降られたのみで暑くもなく寒くもなく天候に恵まれ、天も私に味方してくれた。難を言えばマラケシュ、フェズで連泊したかった。
 
 日本の街中で、おじさんがカメラを持っていると変態のように思われやしないかと写真を撮ることがなかなか出来ない。若い女性の写真はなおさらである。その点海外では、外国人ということで容認されやすいし、旅は恥捨てと撮る側も大胆になれる。そんな訳で女性の写真も多いし、実際それを題材にして絵を描いている。
 しかし、今回の旅は、イスラム教徒が多いにも関わらすマレーシアでは、気にせずシャッターを押していたが、お国柄なんでしょうか女性にカメラを向けることをためらう雰囲気が漂っていた。その事だけが心残りであった。