花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

アンコールワットフォトエッセイ~その1:東洋のモナリザに魅せられて

2012年11月30日 09時14分51秒 | 旅エッセイ⑨~アンコールワット
                    


学校の先輩や後輩との食事会の席上で、全員60歳以上になったお祝いに時間的に余裕ができた事だし、海外旅行をしようと話が弾んだ。

 まだ行ったことがなく興味ある場所として、アンコールワットが話題に上がった。

 いろいろな旅行社からアンコールワットツアーのパンフレットが出ており、その熱の高さが伺える。そのツアーの一つに、沖縄に本社があるジャンボツアーが建てたカンボジアの学校を訪れて、素朴なカンボジア人とのふれあうことができることをキャチフレーズに企画されたコースに、私は、大いに興味を持ち、半年以上先のことだが、早速申し込んだ。

 カンボジアは、11月から乾季になるということで2012年11月8日から11月12日の「感動体験!世界遺産アンコールワット5日間」コースにしたにした。ツアーは、我々の参加者6名を含めて18名になった。

 シェムリアップ空港に着いた。あたり一面暗く、空港とは思えない。そして、じわじわ汗が噴き出してきた。早速、羽織っていた上着をスーツケースに仕舞い込んだ。私たちは、ビザ申請するために、暑い真夏の日にわざわざ在名古屋カンボジア王国名誉領事館に出向いたが、シェムリアップ空港内でもビザの申請が可能だった。事前にすることは、団体旅行を円滑にするために、しょうがないのかも知れない。
 バスに乗るときに、着飾った現地の娘さん、いやひょっとするとミス・アンコールワットかもしれない?
 その人に、花のレイを首にかけてもらった。とても、あまいいい香りがして爽快な気分なった。後でガイドさんが、小さな白い花はジャスミンの花であると聞かされ、方向音痴じゃなく芳香音痴な私でも、その説明に納得した。

 ホテルに向かう途中、ふたりづれの方がグレードアップしたホテルで降りた。まばゆいばかりに輝く黄金色の照明のロビーが、バスのガラス越しに見えた。さすがグレードアップ!
 市街地を通り過ぎたあたりから、スピードを落としてホテルを探している様子であった。ガイドさんは、携帯でやり取りをしていた。バスをUターンさせて探し当てた。どうもこのホテルは、あまり知られていないようであった。メインロードに位置するが、駐車場、ホテルの照明は暗く、廃墟ホテルのようである。やな予感がよぎった。

 エレベーターの音声案内が中国語であった。なおさら胸騒ぎがする。

 


アンコールワットフォトエッセイ~その2:あまりにも多い遺跡群

2012年11月30日 09時14分33秒 | 旅エッセイ⑨~アンコールワット
                      

                          
      

      


 さあ、今日から本格的なアンコールワットの観光だ。まず最初にアンコールトムに行った。ガイドさんは、JHCアンコールツアー会社に併設の日本語学校で日本語を学んだという。まだ1年半というが、日本語を流暢に話す。遺跡の紹介は言うまでもなく、人数確認や金銭のやり取りを見ても、彼女はそうとう賢い。私には、到底務まらない。

 遺跡の中を、小型バスに乗り換え移動した。シェムリアップ周辺すべてが遺跡群のように各所で石組みの塔が見えた。歴史など気難しい話の中で、大きな菩薩の顔と場所によってはキスをしているような写真が撮れる場所を教えてくれた。確かに、おもしろい写真が撮れた。汚れた私とのツーショットでは、菩薩にっとては有難迷惑かもしれない。同じような事が、イタリアのピサの斜塔に行った時にもあった。倒れそうな斜塔を手で押さえているような写真を皆がこぞって撮っていた。また、ベローナ地区にあるジュリエット像の右おっぱいが皆がさわってテカテカになっていた事を思い出した。どこでも、ちょっとしたユーモラスをおりまぜながら、楽しませてくれる。

 午後から、アンコールワットに向かった。世界でも有名な世界遺産ということで、全体像も美しい。その回廊のレリーフは、延々と続いていた。その時のクメール王国の強大さがうかがえる。王宮舞踊であるアプサラ舞踊のレリーフの胸のあたりが、皆が触り過ぎたのか黒光りしていた。写真を撮るには、コントラストが強く適していた。今はそこには柵が施していた。女神(アバター)像は、豊満な胸とくびれた腰をしている。

 海外旅行に行くと必ず買い物女子がいる。今回もそうである。行く先々の観光地で土産物店を覗く。また買ったの?と首をかしげるぐらい手当たりしだい買いあさる。それだけならよいが、そのため出発時間が遅れることがある。私は、まあ、それもご愛嬌と心を落ち着かせる。

 プノン・ハゲンで夕日を鑑賞した。いつで見えそうなのに、久しぶりに見た。丘から密林に沈む夕日は、どことなく神秘的である。丘の上には、地元の人も多く入場制限をしていた。中国人観光客は、地元の人が座って、夕日の沈むのを待っているにもかかわらず、その前に立ってカメラを構えていた。ここでも、中国人のマナーの悪さを感じた。


 

 

  

 

アンコールワットフォトエッセイ~その3:小学校でカルチャーショック!

2012年11月30日 09時14分10秒 | 旅エッセイ⑨~アンコールワット
      

                            

              


 早朝5時半にホテルを出発して、アンコールワットから昇る朝日を見に行った。すでに大勢の観光客でにぎわっていた。池に映るアンコールワットと朝焼けのシルエットは、神秘的で美しかった。季節によっては塔の中心から朝日が見えるようだ。それにしても、カメラ操作の技術不足で目に映った像がうまく写真に表現できない。とても残念でたまらない。

 街からちょっと外れると、電線が見当たらない。電気が通ってないのだ。灯りやラジオ、扇風機や携帯の充電は、車のバッテリーからおこなっている。もちろん冷蔵庫はなく、毎日買い物に出かける生活である。井戸があればよいほうだ。一日の生活は、暗くなったら寝る。朝が明けたら起きる。人間本来の営みが永遠に続いている。各地でみられる放牧の牛は、みな痩せている事に驚いた。想像を絶する地である。

 かれこれ1時間ぐらい走ったところに「ジャンボツアーズ沖縄ゆいまーる小学校」が建っていた。門をくぐり抜けると、道の両脇に果樹園が広がっていた。その奥にかわいい平屋建ての学校がぽつんと立っていた。まず、校長先生に案内されて、授業風景をみた。教室の窓は小さく風通しは悪く、暑かった。私も加齢臭を放つが、教室の中は、何とも言えない異様なにおいが教室に漂っていたが、すぐに慣れた。我々のために授業を中断して、歓迎してくれた。

 アンコールワット旅行のパンフレットのフレーズに眩いぐらい輝く瞳に会いに行きませんかと書いてあった。その人間の本能をくすぐるようなフレーズに誘われ、実際子供たちにあって体験し、楽しみたいと思っていた。にこやかに目を輝かしている子供の写真を撮った。照れた表情もまたいい。そして、そのデジカメで撮った写真画像を本人に見せたら、大はしゃぎだった。かわいい。その一方で無表情の子供もいた。外国人がパチパチ写真を撮っていた事で困惑したかもしれないが、私は、その事が気になった。

 歓迎の演奏会で、ガイドさんが、生徒に今一番ほしいものは何かを尋ねた。カバンがほしいという答えが多かった。腹いっぱい食べたいという切実な答えもあった。この学校は、7時からの午前中だけ開いている。朝食が給食である。そのことからも、食べ物も不足していることが伺える。生きるための基本的なところが欠けてくると、心のゆとりがなくなってしまうかもしれないと自分勝手に想像をした。

 帰り道、竹筒ご飯を食べた。もち米のようなねばりや甘味があり、かつ竹のほのかな香りがしておいしかった。この地で初めておいしいものに出会った。

 

アンコールワットフォトエッセイ~その4:トンレサップ湖の水上生活

2012年11月30日 09時13分46秒 | 旅エッセイ⑨~アンコールワット
    

    

                            

  

 日も陰りかけてから、トンレサップ湖クルージングに向かった。

 トンレサップ湖は、シェムリアップの市街地から近く、琵琶湖の10倍ぐらい大きい面積を有している。雨季と乾季で湖水の面積が4倍ぐらい変化するという。そこに100万人の水上生活者が住んでいるから、規模が大きい。

 以前、ベトナムのハロン湾の水上生活を観光した。点在する崖山の風景と水上生活の子船が溶け込んていたことを思い出す。集落は、こじんまりとして観光で生計をたてていた。

 しかし、ここは、日常生活の暮らしが見える。ドラム缶に床を敷いたいかだや船の上に家がある。川岸の家は、高床式で雨季にはすぐ避難できるように準備をしているという。教会、学校やお店屋さんなどで街の形態をなしている。行商の船には、電気の源であるバッテリー船(おそらく中古の車のバッテリーを使用)やガソリンスタンド船を見かけた。

 子供の遊びも子船ででかける。私達の乗った観光船の荒波をうまく操っている。さすがである。

 観光船に、子供二人が飲み物を売るために乗り移ってきた。アンコールビール[商品名]を最初3ドルと言ってきた。あらかじめスーパーマーケットで1本0.6ドルと値段を知っていたから、1ドルに値切って買った。缶を開けるプルトップがいつものと違う。プルトップが缶から離れる昔出回った形で、製造日の記載もよくわからない。友達が、まずくはないが、いつも飲んでいるアンコールビールの味が違うと言う。それ以上の事は解らずじまいであった。

 11月は、雨季から乾季にかわる時期である。水面にポツンと浮かんだように見える木々も、乾季の時には、地面に根をはり、そびえ立っていた事だろう。夕日が沈む頃、観光船から見えたその光景は、幻想的である。

 晴天が続く。2日連続で夕日鑑賞をした。自然の営みは、誰にでもわけへだたりなくやってくる。そこがいい。

 帰り道、周辺の土産物店が、ほのかな明かりに照らされていた。停電のようで、ろうそくで対応している。外套のない中では、大変薄暗い。その中でも商いが続いていることに感心した。

 

アンコールワットフォトエッセイ~その5:まさか私がダウンするとは

2012年11月30日 09時12分45秒 | 旅エッセイ⑨~アンコールワット
  

              



        


 今日は、カンボジア滞在の最終日である。午前中、「東洋のモナリザ」と言われているバンテアイ・スレイに向かった。

 道中、私は、胃のあたりがむかむかした。朝食を食べ過ぎたのか。日本と違っておおざっぱな料理が多く、肉に火の通りが悪かったのか。それとも、アルコールの飲み過ぎなのか。色々なことが頭によぎった。

  バンテアイ・スレイのレリーフは、赤色砂岩に彫られていた。そのため、もろく剥げ落ちたか個所もあった。赤色の温かみの中で、彫りが深く、より一層コントラストがあり、見ごたえがあった。しかし、レリーフの5メートルぐらい離れた位置にロープがはってあり、詳細に鑑賞することができず、残念であった。レオナルドダビンチのモナリザは1点のみなのに、東洋のモナリザは、その周辺にあるアバター(女神)像をさすとガイドさんから説明を受けた。

 昼食のためバイキング方式のレストランに入った。私は、体調を崩して、食べる気にならなかった。レストランに充満するカンボジア料理特有な香辛料の香りをかいただけで、気分がなおさら悪くなった。

 午後からのベン・メリア遺跡めぐりは、とうとう体調不良のため、リタイアすることに決めた。まず座った状態から一刻も早く横になりたかったため、バスの最後尾の席に移った。窓は開けてもらったが、部屋の中の温度は相当高く、汗が噴き出してくる。しかし、体は起き上がれない。このままでは、脱水状態になると思い、やっとの思いで外に出た。運転手さんは、バスの近くでハンモッグで寝そべりながら彼女と楽しそうに長電話をしている。気持ちよさそうである。各地でハンモッグをみかけた。私は、日陰を求めて大木の下で座って、ツアー客を待った。

 夕食は、鍋料理で、3口くらい食べた。今日は、最後日で何が何でもお土産を買わなくてはと、階下にあるショップで綿のクロマー(現地では頭にかぶったり、汗を拭いたりするスカーフ)を手当たり次第12枚買った。

 帰りのフライトで、のどに違和感を覚えた。そうだったんだ。カゼ?

 今回の旅は、今まで経験したことがない、想像を絶する貧しさも垣間見た。アンコールワット遺跡群以上に、私にとっては、その様子が脳裏に焼き付けられた。