花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイ九寨溝・黄龍~その1:足踏みミシンが活躍する街・松藩

2017年11月13日 15時32分41秒 | 旅エッセイ⑲~九寨溝・黄龍
                                  

      

                  


                                                    




 私が、九寨溝・黄龍の旅を選んだ理由には3点ある。
①数か月前、NHKの日曜美術館の番組で、敦煌などシルクロードを描いている101歳の入江一子さんの作品を紹介していた。幻の青いケシを求めて高齢にもかかわらず四姑娘山(しこじょうさん)に登ったという。その近くに位置する黄龍にもひょっとしたら青いケシが咲いているとの思いからだ。私は何かと幻とか限定品によわい。
②九寨溝・黄龍の旅は、以前に比べるとかなりお値打ちになっている。株に例えれば中国の旅は買いである。
③歩く行程が多いので、元気なうちに行きたいとの思いがある。
 今回、2017年7月3日、名古屋出発の九寨溝・黄龍・都江堰と成都6日間は、総費用132070円であった。

 名古屋を15時10分発のため、成都のホテルに着いた時には、午前0時を回っていた。にもかかわらず朝の出発は7時30分である。私は、旅に出た時には、気持ちの高まりのせいかあまり気にならない方だが、少し眠い。これから始まるであろう長~いバスの旅は、毎朝7時台の出発である。有意義な毎日が過ごせると思うと感謝・感謝である?

 都江堰の近くのパンダ飼育センターに寄った。その施設にはパンダが11頭が飼われている。全員屋外に出て笹を食べたり、うろうろ徘徊したり、じゃれあって遊んでいた。4頭の赤ちゃんパンダは、ガラス越しでの見学であった。ガラスがなかったらもっとかわいい写真が撮れたことでしょう。とても残念でる。

 途中、トイレ休憩があった。中国の田舎のトイレには興味津々である。場所によっていろいろある。そこのトイレは、入って右側は大便用になっており、各部屋ごとに仕切りがあるが扉がない。全室満員の中、中央にあるU字溝にまたがっている姿はくすっと笑いそうになる。スズメ落としのようにすぐには水が流れないため、とても臭い。現地の方は、臭さに慣れているのかしゃがみこんででスマホをいじって、ゆっくり用を足している人もいた。

 松州古城 (松藩古城)は、チベット族と漢族の交易の要所であったと言う。その中心街から少し脇にそれるとそこで暮らす人々の生活が伺える。日本ではめったに見られない足踏みミシンが現役で活躍していた。子供の頃、もう亡くなった母の思いが蘇ってくる。広い中国では、郷愁を感じさせる事柄が何かと多く、それが、中国の旅の醍醐味である。
 

      

フォトエッセイ九寨溝・黄龍~その2:マニ車を回して幸せいっぱい九寨溝

2017年11月13日 15時32分24秒 | 旅エッセイ⑲~九寨溝・黄龍
                  

                                                                                                

                                    

               

         


 出発する10日前から、九寨溝・黄龍の天気が気になっていた。予報では雨マークがず~と続いていた。現地では、雨季にあたるから仕方がないとは思いつつ、どうか晴れますようにと祈っていた。
 成都に到着するちょっと前までどしゃぶりで、現地のガイドさんが、その後の九寨溝への長旅がどうなることかと、やきもきしていたと言う。
 案の定、昼前から雨足が早くなってきたが、そのほとんどがバスに揺られて過ごしたのであまり気にはならなかった。九寨溝に着くごろには雨はあがった。山の天気はころころ変わる。

 今日は、九寨溝観光の日である。早朝にでていた霧が徐々に天に昇って行き、晴れ間が出た。ラッキー! 
 私たちはホテルから九寨溝の入口まで15分ぐらいかけて歩いた。その歩道は、同じような目的の人々で長~い列をなしていた。入口付近には、人であふれて、ほこりっぽかった。大自然とは対照的である。朝からこんなに多くの人が集まるとは思いもしなかった。私たちは、チャーターバスを利用するため、その専用ゲートから入場した。歩きながら、行列して待っている人々を横目にしながらバスに乗車した。VIP待遇のように思えて、気分的にすがすがしい晴れである。
 
 最初にガイドさんのおすすめの湖:犀牛海(さいぎゅうかい)を観光した。私は、磨き切った鏡のような水面に映った景色に、吸い込まれそうになった。大変感動した。晴れて風のない時のみに見られる光景である。そこを照会したガイドさんに感謝感謝である。
 私は、上高地の上流沿いに1時間ぐらい歩いたところにある明神池が好きだ。木々の映り込みがきれいなのだ。それを見ながらイワナをつまみにビールを飲む。気分は最高である。しかし、ここは、その比ではない。

 九寨溝には、チベット族の小さな集落が点在している。途中、水の勢いで回っているマニ車を見た。初マニ車である。その中にはチベット仏教の経文が入っていて回すことでお経を唱えたことと同じご利益があるという。さぞお釈迦様も回り過ぎるマニ車に面食らう事だろう。
 昔は、字の読めない人にも仏教を広める役割があるのかもしれない。私は、旅行中に2回、お寺の周囲にあるマニ車を回しながら歩いた。今年はこれで祈願達成まちがいない。

                 

フォトエッセイ九寨溝・黄龍~その3:青みかかった乳白色の黄龍と高山病?の私

2017年11月13日 15時32分06秒 | 旅エッセイ⑲~九寨溝・黄龍
                     

                                                                                    

 本日は、黄龍に向けて出発した。途中、羌(チャン)族の集落に寄った。その民族の存在は、3000年前の甲骨文字の資料にも載っていると言う。日本人の歴史よりはるかに古い。その中央の広場は、タイマツを焚いて原始宗教の儀式でもするかのような雰囲気である。今は、観光のために使っているのかもしれない。この辺の少数民族は観光業で生計をしている人が多いと聞く。

 私は、どうも4007mの峠越えあたりから頭が重くなった。他にも数人同じような症状になった。他はすこぶる元気で、さほど気にはしなかった。 
 黄龍の入口からロープウェイで3473mまでのぼった。晴天で、空気がおいしく感じた。道中に咲いている高山植物の花を夢中になって追い求めた。自然に咲いている赤いポピーは可愛かった。青いケシも探したが見つからなかった。残念である。もっと奥地の四姑娘山(しこじょうざん)まで行けば見られるらしい。膝の悪い私にとってはトレッキングは無理である。楽して見ようとした私がバカなのだ。
 風景や花の写真を撮りまくった。そうするとどうしてもズルズル集団から遅れる。そして早足で集団の追いつき、その繰り返しで私の疲労度が徐々に増した。

 黄龍の一番高い五彩地から麓までのアプローチは長かった。前日の九寨溝で調子を崩した人は、何とかショートカットして散策できた。また、ある人は両肩を支えてもらって下りた。私は、やはり最後尾からついて行った。もっと早足で追いつこうとしたが、思っても思ってもそれができない。他の人には平然としていたが、フラフラになりながら集合場所のソファーに腰を下ろした。
 とうとう寒気と食欲がなく、食事をせずにすぐさまレストランから出て、バスの中で風薬を飲み横になった。1500mあたりのホテルで一泊した翌日は、すこぶる体調が良かった。

 若い時に夜行列車で北アルプスに登った事を思い出した。疲れすぎて山小屋で夕食が食べれなかった。そして次の日、尾根から滑落して麓の病院で外科的な治療をした。今思えば、ひょっとしたら高山病?かも。また、娘が、マチュピチュで高山病でヘリコプターで運ばれたことも思い出した。遺伝的な事が起因しているかもしれない。
 今回の出来事から、3000m級の高い所へは絶対行かないと決意した。

   

フォトエッセイ九寨溝・黄龍~その4:プチデート気分で成都の錦里散策

2017年11月13日 15時31分48秒 | 旅エッセイ⑲~九寨溝・黄龍
               

                                                

                                             

                                     

            

               

 昨日の高山病?が嘘のように、すっきりした朝を迎えた。ホテルの前には大きな川が流れていた。まだ早朝なため橋を行きかう人はまばらであった。チャン族の衣装を着たおばさんや少数民族の衣装で顔にベールを巻いた女性もいた。その女性についてガイドさんに聞いたところ、回族と言う少数民族でイスラム教を信仰しているらしい。複雑である。

 都江堰(とこうえん)は、紀元前に造られた大規模な水利施設で、水の高低差を利用して洪水を防ぎつつ大平原の灌漑に利用した。都江堰は、その後のゆるぎなく繁栄した成都を築いた。紀元前の話である。すごい!
 最初に、道教のお寺から見学した。道教は、中国に伝わる民俗宗教で仏教との違いは私には解らなかった。ただ屋根の先端部分が天に反り返っているのが印象に残った。

 武侯詞(ぶこうし)博物館では、偶然にもイベントの一環として開いていた民族楽器の演奏を聴いた。その中でも一弦で奏でる楽器を初めて見た。引いている若い女性は綺麗な方ばかりで、なおいっそう私の脳裏に焼き付いた。中庭に咲いたハスの花もその雰囲気をかもしだしていた。三国志を知らない私でも十分楽しめた。

 その後、近くにある錦里を散策した。たまたまある若い女性といっしょにぐるーと散策した。私は、久々のデート気分に慕った。彼女にとっては一人より二人のほうがおもしろいかなぁと気楽に考えていたと思うが、私の方は、いくら年が離れていても、妄想のみが一人歩きする。屋台から甘い香りが漂うが、いざ食べようと思うとかなり勇気がいった。しかし今はデート中である。いいところを見せないといけない。決断した。甘い油菓子と瓶に入ったヨーグルトを一緒に食べた。ヨーグルトは、甘味酸味は程々で、思っていた以上においしかった。私は、その短い時間を彼女と一緒に歩いただけで、心の広がり(妄想)を持つ長ーい時間を得た。これで10歳若返った。

 夕食は、麻婆豆腐の元祖といわれる陳麻婆豆腐店に行った。有名店で本場のマーボ豆腐が食べれると大いに期待した。日本人が食べやすいようにアレンジしているらしい。しかし、私は、ほんの少し口にしただけで、きつい山椒の香りがして豆腐のうまみを感じなかった。大皿の大半は残った。そのあとガイドさんにも食べてもらい、その味を聞いた。ただ黙っていた。やはりアレンジがいけないかも?

see you again