花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイウイーン・プラハ・ローテンブルク~その1:ウイーンのクリスマスマーケット

2017年04月01日 08時51分41秒 | 旅エッセイ⑱~ウイーン・プラハ・ローテンブルク
              
  
                                                      
      
 私は、初めてある格安旅行会社のツアーを利用した。他社に比べるとすごく安く、今回の2016年11月17日名古屋発「ウィーン・チェスキー・プラハ周遊6日間」が99800円で、一人部屋・保険を利用しても13万円台であった。その中身に少し不安を感じたが、テニスの仲間でその旅行社を利用した方に聞いたところ、全く変わらないよとの返事であった。
 このツアーはネット販売で、仁川空港のロビー集合と今までのツアーと少し違っていた。そのため北は北海道、南は九州と各地の空港からツアー客が仁川空港に向かった。
 名古屋9時30分発でウィーンに16時50分到着した。短いように錯覚するが時差が8時間もあり、ウィーンに近づく頃にはお腹が空いてきた。このままでは眠れない。何か食べないと。

 私は、早速ホテルに荷物を預け、午後8時頃、ウィーンで一番大きい市庁舎前のクリスマスマーケットに向かった。地下鉄を乗り換え、街行く人に片言の英語で聞きながら何とかマーケットにたどり着いた。
 その会場は、サーチライトに照らされたバロック建築の黒ずんだ市庁舎前の広場である。市庁舎は、中世の騎士の亡霊が出てきそうな本物の凄味があった。
 広場には、クリスマスにちなんだかわいらしい商品をそろえた店などいろいろな屋台が立ち並んでいた。私は、1888年から続く老舗のパン屋さんの出店で、ベークルを2個購入した。歩きながら1個を食べた。天然酵母を使ったパンは、腹持ちがして、おいしかった。
 また、その一角に特設のスケートリンクがあり、、シーンとした静けさの中で子供達が遊でいた。どことなく昭和の時代を感じた。

 来た道と同じコースで地下鉄の乗車口に降りた。その時に気が付いた。登りと下りとではは入り口が違うことに。日本だと地下に入れば、必ず連絡路があるはずと思い込んでたから・・・。
 ウィーン西口駅は、鉄道、地下鉄、トラムが集まっており、地下通路も登り口が各所にあった。私は、最寄りの階段を上って地上に出た。方向感覚を全く失った。3,4人にホテルの場所を聞いても確かな情報は得られなかった。ある人は、鉄道でウィーン観光に来た人で、今着いたばかりでまったくわからないとの事であった。尋ねた私がバカだった。ふたりで大笑いをした。1時間弱さまよい、目にはいったホテルのフロントで尋ねた。
 教訓。道に迷ったら同業者に聞け!
    

フォトエッセイウイーン・プラハ・ローテンブルク~その2:美術館めぐりのウィーン

2017年04月01日 08時51分21秒 | 旅エッセイ⑱~ウイーン・プラハ・ローテンブルク
         

            

                                    

                  

                                        

 ウィーンの町並みは、道路が広く、路面電車のレールと葉の散った街路樹のシチュエーションが冬の訪れを感じさせた。走っている車はそれほど多くなく、その分、地下鉄、トラムなど公共交通機関が充実している。また、空港に着いた時からクリムトなどウィーンの画家の絵が迎えてくれたし、ホテルでも壁一面にアートで飾られていた。至る所にある中世の建物や美術品の豊富さからアートを大切にする国民性を感じた。

 ガイドさんは、オペラ座からケルントナー通りを進みながら、午後からのフリータイムに備えて、位置関係や券売機での切符の買い方などを説明した。
 カフェは、発祥地と言われるだけあって多く、外観も高級感にあふれていた。また、クリスマスシーズンのため店のショーウインドウの飾りもメルヘンの世界である。あり得ない話であるが、もし私が海外で住むとしたら、当地を選ぶに違いない。

 そのど真ん中のレストランで昼食をした。私は、アルコールに弱いが、その雰囲気と飲み物で日本では当たり前に出てくる水を金を出してまで注文するのがしゃくにさわり、ご当地のビールを注文した。そのためなのかレストランでウィーンの散策MAPなどを置き忘れてしまった。

 フリータイムは、美術館めぐりをしようと決めていた。オペラ座まで戻り、トラム(D線)に乗って4つ目で降りた。そのことは、予備知識で把握していた。ベルヴェデーレ宮殿上宮(19・20世紀美術館)のシニアチケットを9€で購入した。一番の目的は、クリムトの「接吻」を観るためだ。日本絵画に精通したクリムトは、金箔を使った技法で特に人気があるが、「接吻」だけは日本では観られない。また、エゴン・シーレのファンも多く、悲しげな庶民の姿を力強い輪郭線で描く絵には、心が引き込まれる。19・20世紀美術館は、撮影禁止であった。多くの美術館は、可能で、たまにそうでないところがある。私にはその理由が理解できなしい。ベルヴェデーレ宮殿は、広く最寄の駅からオペラ座に向かった。4つ目で着くと思いきや遠回りした。

 オペラ座からゲーテ像、モーツァルト像を見ながら美術史博物館に向かった。その美術館は、北方ルネサンス(15~16世紀)時代の絵画の展示があることで有名である。偉そうなこと言ってしまったが、私は、少し前に美術検定の勉強をして初めて知った事である。クラーハナ、ブリューゲル、デューラーなどが人気である。ツアー客の中には、クラーハナを観たくてこのツアーを選んだ人もいた。
 夕方、その広場でクリスマスマーケットが開催されていた。そこで、グリューワイン(ホットワイン)という甘くした温かいワインを飲んだ。アルコールに弱くても、どんどんいけそうだ。かわいらしい長靴の形をしたカップに入っていて、カップを返却すると3€返金されるが私はお土産用に持ち帰った。

 
                   

フォトエッセイウイーン・プラハ・ローテンブルク~その3:中世の街「チェスキー・クルムロフ」

2017年04月01日 08時51分01秒 | 旅エッセイ⑱~ウイーン・プラハ・ローテンブルク
                                                                                    

         

 ウィーンからチェコの観光地チェスキー・クルムロフに向かった。国境越えは、フリーパスでスムーズであった。

 バスの中で、ガイドさんから昨日の夜の出来事を説明した。クリスマーケットに行きたい人のために自動券売機の使い方を教えていた時に、ひとりの人がスリにあって、その場で一人の女性を確保したが、現物を持っていなくどうしようもなかった。そのことを警察に届けて、保険の手続きをしたとのことであった。
 パリならともかくまさかウィーンでもこんなことが起こるなんてと思ったが、日本でもありとあらゆる手段を利用して振り込み詐欺が後を絶たない現状を考えれば自分のことは自分で守らないといけないとつくづく思った。私は、旅行時、いつもちょっとカッコ悪いがトラベラーズベストを着用し、パスポート、カメラ、財布そして資料を一定のポケットに入れるよう決めている。それでも認知機能の衰えから「あらっ!無い!」と言うことがしばしば起こる。年には勝てない。

 チェスキー・クルムロフの街は、極端に曲がったヴィルタヴァ川の内側に密集していた。中世の面影はチェスキー・クルムロフ城、石造りの城壁、そして、数少ないフレスコ画の外壁が残っている建物だけである。しかし、見晴らしの良い場所から見渡すと、川の流れとその界隈の木々に囲まれた赤い屋根群は、自然の眺めが清らかで美しく、チェコで一番人気のある観光地であることがうなづける。
 私は、短い時間ではあるか、橋の上を通り抜ける風から、その当時に思いをはせた。

 夕食は、プラハのレストランであった。店の前の時計の文字盤が初めてみる数字でしかも針のデザインにも品格があった。店の中は、お客でいっぱいで大盛り上がりしていた。若者の集団は、大声で合唱し、笑いが絶えない。帰り際、私は、その人たちとハイタッチして若いエネルギーを吸収した。 

    

フォトエッセイウイーン・プラハ・ローテンブルク~その4:土の匂いがするプラハ

2017年04月01日 08時50分36秒 | 旅エッセイ⑱~ウイーン・プラハ・ローテンブルク
                                          

                                          

                              

                                 

 昨日の雨が上がって、一筋の飛行機雲がはっきりと浮かび上がる晴天になった。プラハ城はどちらかと言うと遠くで眺めると、城のすごさがわかる。近くによるとカメラに収められない程でかい。
 今日は、日曜日ということで、聖ビート教会内に入れなかった。ガイドブックでは、入口に入って左側にミュシャのステンドグラスの窓があると書いてある。チェコの芸術家と言えば、ミュシャの名前があがる。フリータイムがないので、美術館にも行けない。非常に残念であった。
 散策していると、教会の鐘の音が響き渡った。その鐘の方向を見ると、人が綱を引っ張っているではないか。私は、自動で鳴らしているものとばかり思っていた。大変な肉体労働である。

 プラハ城から黄金の小路を通り過ぎたところに、裸の少年像が、広場の中央に置かれていた。黒ずんだ銅像の中で、ひときわ「おちんちん」だけがテカテカしていた。そこから黄金の小路の名前が付いたとは思わないが・・・。その部位をさわると何か幸運なことが起きるのかと推測した。私も右手でおそるおそる触れたが他の人たちは触らなかった。
 イタリアのベローナに行った時、ジュリエット像の右のおっぱいがテカテカだったことを思い出した。私も人込みをかき分けて、その銅像と一緒にその光景を写真し撮ってもらった事を思い出した。次に行く予定のカレル橋の欄干に建っている銅像でも同じように一部がテカテカに光っている所があった。

 カレル橋は、もっと混雑しているのかと思いきや、午前中のせいかゆったりしていた。チェコでは、中近東や中央アジアの顔だちをしている人が目立った。また、旧市街は、狭い道に路面電車が通っていて、人の流れが多く、ほこりっぽかった。何となくモロッコのマラケシュと同じような土の匂いを感じた。ウィーンは都会的で多少冷たさを感じるが、プラハは生活感にあふれた人間臭さが残っているように思えた。その泥臭さが本能をくすぐる。

 旧市庁舎にある15世紀に造られた時計塔は必見である。仕掛け人形、天文時計そしてカレンダー時計を有したもので、アートとしても価値がある。昨日の夕食時に利用したレストランでも、店の前に架っていた時計もその流れを汲んでいるかも。
 

 

フォトエッセイウイーン・プラハ・ローテンブルク~その5:ニュルンベルクとローデンブルク

2017年04月01日 08時50分17秒 | 旅エッセイ⑱~ウイーン・プラハ・ローテンブルク
                  

                              

                                                                                  

 今日の宿泊先は、ニュルンベルクである。夕食時、ニュルンベルクのライトアップした街を少し散策した。来週からクリスマスシーズンになることもあって、ショーウインドーの飾りつけはクリスマスバージョンになっていた。
 グリューワイン(ホットワイン)などアルコールをだす出店は、一部開いていた。グリューワインの入れ物は白っぽい陶製コップで、クリスマスの雰囲気がなく味気なかった。てっきり長靴タイプの物で提供されると思っていたからだ。
 旅から帰った2日後、用事で博多に行った時、駅前広場でクリスマスマーケットが開催されていた。その特設会場では、ケルン市から来た歌手が歌って盛り上げていた。そこでもグリューワインの入れ物は同じようなコップであった。おそらく日本でもこれからクリスマスマーケットは普及しそうだ。
 人気ない中、しかも着いたばかりではどこに何があるかなんて全く分からない。その中で、暗闇に浮かく建物の一部とその水面に映る姿は、幻想的であった。

 ニュルンベルクの散策は、50分と短かった。私は、ニュルンベルク散策MAPを片手に、必死になって歩いた。しかたなく一番眺めがよいと言われるカイザーブルクの展望広場へ行くのを断念した。もう少し時間があったら、心置きなく観光できたはずだ。もっと時間があればスケッチでも描けたのに・・・。人の欲は膨らむばかりである。

 私は、初めてドイツを訪れたが、ローデンブルクの名前は知っていた。ローデンブルクという言いやすいネーミングもさることながら、雑誌で木組みのかわいらしい家が立ち並んだ写真を見たからである。ユーチューブでも前もって勉強した。その家の前は人が多く写真を撮るのも苦労すると聞いていた。しかし、11月中旬と季節外れのためなのか、それほどの観光客はいなかった。
 ローデンブルクの名物、シュネーバルというクッキー生地をボール状に丸めた伝統菓子をその老舗店から、バラマキお土産としてたくさん買った。崩れないようにと手荷物にして注意深く運んだ。しかし、砂糖が貴重な時代ではおいしかった物であろうが、食べてみるとパサパサ破片がこぼれるし、これといってうまいものと思わなかった。

 ドイツは、フランクフルト空港からの帰国にちょっと寄っただけであるが、まぁこれで誰かに「ドイツに行ったことある?」と聞かれたら、自慢げに「ある!」と答えられる。