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小さき花-第8章~4

2022-10-23 21:04:48 | 小さき花

 ああ、私はこの慰めの言葉を聴いてどれほど幸いであったでしょうか。私は今までかくのごとく天主様を悲しませないところの過失というものがあるということを聞いたことがありませんでしたから司祭のこの断言は私に大いなる喜びを与え、この世の島流しに耐える力を与えられました。もとよりこれは私の心の底からの思いの響きであったのであります。私は長く前から聖主は母親よりも愛の深い御方であるという事を深く信じておりました。私はこの母親たる者の心の底まで、よく知っております。彼は自分の子供が何気なく犯した過失をも、いつも赦す覚悟でいるという事を幾たびとなく幸いに経験致しました。私は母の一つの愛撫を受ける方がいかなる厳しい咎めに遇うよりもはるかに心が動きます。私は恐怖の方が私を後ずさりする性質でありまして、愛を以って進むばかりでなく大いに飛ぶようであります。
 この恩寵豊かなる黙想会の二か月後、このリジュの「カルメル会修院」に設立された「聖テレジアのゲノワ」童貞が、天国の修院に入られるため、この小さき修院を去られました。
 この御方の臨終のときの感想を申し上げる前に、まず私が奇蹟とかその他いろいろ、我々の倣うことの出来ない事をなされた御方ではなく、隠れた善徳を行われ普通の任務を執られながら、完徳を達せられた一人の聖女と共に暮らした幸いのことを申し述べ、私は度々この童貞から大いなる慰めを与えて頂きました。
 ある日曜日、私はこの童貞の御病気を見舞うために病室に入りました。ところがその側に二人の目上の修道女が居られましたので、少し遠慮して静かにその場を去ろうとしました。するとゲノワ童貞は私を呼んで、ちょうど何かお示しを受けたかのように『ちょっと待ちなさい、一言申したい事がある」、平素そなたが、私に自分の霊魂の利益になる様な金言を聞かせてくれ、と願っておったから、今日府議の言葉を聞かせる、即ち「我が女児よ平和と喜悦とを以って天主様に仕えよ。私等の神は平和の神であるということを思えよ……』と申されました。
 私は礼を述べ、天主様が私の霊魂のありさまをこの童貞にお示しくださったという事を確信し、涙を流すまで感動しながら病室を出ました。この日私は大いなる試しに遭い心配しながら自分は天主様に愛されているかという事さえも分からぬまでに、深い暗黒の中に沈んでおりました。しかしこの暗黒に代わった光明はいかほどであったか、母様はよく推し量る事が出来ましょう。
 次の日曜日、私はゲノワ童貞が以前にいかなるお示しを受けて居られたかという事を知りたかったので、この事をゲノワ童貞にお尋ねいたしましたが「何もお示しを受けなんだ」と答えられました。綿日はこの答を聞いて、いかに優れた方法によってイエズスはその霊魂の中に宿って居られて、彼女に自分の聖慮を行わせ言わせていたという事を悟りましたので深く感心致しました。ああ、このイエズス様と一致して我が心に宿し、そのお指図に従うという事は私にとって最も確かな道、最も完徳にかなう道であると思います。そしてこの道は迷いの恐れがありませんんから私はこれを望みます。
 このゲノワ童貞が島流しの地とともいうべきこの世を去って、本国なる天国に還られた日、私はひとつの特別の恩恵を受けました。私は人の死を見たのはこの時が初めてでありました。この「死」の光景が実に強く心に響きますが、私はこの臨終に迫っておられる童貞の寝台の側にいた2時間は、全く無感覚でありましたので辛かったのであります。しかし彼女が天国に生まれなさったと同時に私の心が全く変わって、瞬く間にいうに言われぬ大いなる喜びと熱心とに満たされ、ちょうど最早光栄を受けたこの霊魂が私にその光栄の一部分を分け与えたかのようでありました。私はこの童貞が真っ直ぐに天国に昇られたという事を確信します。
 ご存命中のある日私は彼女に向かって「母様、あなたは煉獄に行きません」と申しますと、彼女は「やはり私も左様に思います」と答えられました。天主様はこの謙遜に満ちている希望を確かに遂げさせてくださったに相違ありません。私等が受けたいろいろの恩恵がそれを証明いたします。
 修道女等は急いで各自このゲノワ童貞に何らかの遺物を与えられんことを願いました。母様、私がただいま大切に保存している遺物はなんであるかご存じで御座いましょう。私は彼女が臨終の苦しみの時に、そのまぶたの上にダイヤモンドのごとく美しく光るひとしずくの涙を見ました。この涙は彼女がこの世界に於いて流した最後の涙でありまして、これが地に落ちませず、その死体が公に聖堂に置かれた時にもなおその涙を見ました。それで私はその夜密かに死体に近づき、薄い布を以ってこれを拭い取りましたので、今日一人の聖女の最後の涙を保存する光栄を得たのであります。
 


小さき花-第8章~3

2022-10-16 17:50:02 | 小さき花

 私はちょうどこの聖母マリアのご誕生日、聖主の配偶者となるには、如何にも適当した立派な祝日ではありませんか。生まれたての「小さき」聖母マリア様は、ご自分の「小さき花」テレジアを「幼き」イエズス様に献げた御方であります。この日は何も彼も皆「小さく」ありまして、ただ小さくなかったものは私の受けた恩寵、平和、喜悦とでした。即ちその夜空の美しい星を仰ぎ眺めながら私も「間もなく」永遠の幸いの中に於いて天配と一致する為に、天国に昇るという事を考えながら平和、喜悦、恩寵はなかなかに「小さく」ありませんでした。
 9月24日、被巾(ヴェール)を冠る式(真の修道女となる式)がありました。が、この祝いは涙を以って覆われました。即ち父の病気は意外にも重くなりましたので、その女王の式に与ることが出来ませず、ウゴネン司教様もまた式が始まる間際に妨げが起こって来られませず、なおその他にも種々の事情があったためにこの日にはただ憂いと苦みだけが混じっておりました。が、しかしこの苦い杯の底にはいつも平和が潜んでおりました。この日私はイエズス様の摂理によって涙を流さずにおられないようになりました。そして誰もこの涙の理由を悟りません……私はこれよりもなお大いなる試しを涙を流さずに耐え忍んでおりました。これはその試しに逢う度毎に大いなる恩寵を受けて強められていたからであります。しかしこの24にchいにはなお私の能力だけに任されたものですから、涙を流し私の能力がいかほどに弱く小さき者であるかという事を示されました。
 越えて8日の後、従妹のヨハンナがネールという医学士と結婚しました。そしてヨハンナは結婚後最初に修道院に訪ねて来た時、夫に対して尽くして居るいろいろの親切を言い表しました。私はこれを聞いて大いに感動し、一人思うには「私が親愛なるイエズス様に対しても世間の人の婦人がただの人間の夫対して心を尽くすほうが優れているという事を言われないようにしたい……」と、それで新しい熱心に励まされ、私の霊魂を神聖なる配偶とせられる為に私を高めて下さった、王の王たる天配の御意に召すよう以前よりも一層努めました。
 私はヨハンナの結婚の報知の手紙を見ましたから、何が私に感動を与えたか、またこの地の縁組の誉れがイエズス様のはいぐうしゃになる誉れと比べると如何にも劣るものであるという事を示す為に、次のような報告文をしたためて修道女らに読み聞かせました。
「全能なる天主、天地の創造主、世界万物の最上の主権者と、そして天使諸聖人の元后たる聖母マリアは、王の王、主の主なる御子イエズス様と小さきテレジアとの霊的の婚礼を知らせて下さる、この小さきテレジアはただいま、その天配から結納として与えられたる国々の女王中の女王たる聖き名を「幼きイエズスのテレジア」と「聖き面影のテレジア」と名付けられました。イエズスの御幼年と御苦難によって爵位を賜りました。そして1890年9月8日に「カルメル会修道院」の中に於いて行われた結婚の祝いには、ただ天上の諸天使諸聖人のみ列席する事が許されたのであなた達を招く事が出来ませんでしたから、明日……即ち永遠の入る日に於いて行われる婚礼後の里帰りに……御子イエズス様は天の雲に乗って、光栄の中に大いなる威光を以って、生きている人と死んでいる人とを審判するために降臨されるその日に招待いたします。時間はまだ正確に決まっておりませんからどうかいつでも差支えのないよう、充分覚悟して待っていて下さるようにお勧め致します」……。
 母様、唯今何を申し上げましょうか……。私はあなたの前でイエズスに身を捧げました。あなたは私の幼年の時からの事をよくご存じでありますから、私の神秘を書く必要がないと思います。それで万一私が修道生活の話を省く事がありましてもなにとぞ赦してください。
 私が誓願を立てた翌年、黙想会がありまして、その時に多大の恩寵を受けました。私は説教を聴かされる黙想会は辛くありましたが、今度はいつもと反対でありました。この時の黙想会も大いに苦しみに遭うと思いましてその前、9日間熱心に祈禱をして、この黙想会の予備を致しておりました。この黙想会の時に説教のために選ばれた司祭は、修道生活をする霊魂を完徳に進ませるというよりも、疑いもなく罪人を改心させるに妙を得ているという噂の高い御方でありました。私はこの司祭の説教によって大いに慰めを与えられたのでありますから私は大いなる罪人であったに相違ありません。
 私はその時に申し述べることの出来ないほどにいろいろと心の憂い苦しみに遭っておりましたところが、不思議にもこの司祭は私の霊魂の内をよく悟り、思うつぼを指すようにして、私の霊魂を完全に開かれました。この司祭は信頼と愛が最早私の心を強く惹いているにも関わらず、私はそれにあえて進まないところの信頼と愛の波の上に帆を充分に張り上げて走らせるようにせられました。
 この司祭は私に「そなたの過失が天主様を悲しませない」と申され、なお「私がただいまそなたに対して天主様の代理者である、それで天主様はそなたの霊魂について大いにご満足しておられるという事を主に代わって断言する」……と言い添えられました。


小さき花-第8章~2

2022-10-10 12:36:11 | 小さき花

 私が誓願を立てる少し前に、ローマから尊き教弟シメオン師が来られて特に私に与えて下さった祝福を与えられました。この祝福は私にとって、最も貴重なものでありまして、一生涯一番激しい嵐を防ぐために、確かに大いなる力があったのであります。
 この大切なる誓願式の日の曙の前夜常に大いに愉快に過ごされるこの夜の祈りの間、私は俄かに自分の天職がまるで夢の如く空想の如くに見えました。これは悪魔……疑いもなく悪魔の仕業であって、この「カルメル会」修道女の生活が私に少しも適当でないという事を信じさせ、私が天主様のお招きにならぬ道に進むのは、目上の人を欺くのであるという事を思わせる企てであったのであります。それでその時に私の心は修道女となるのは「天主様のお招きではないから、世間の方に帰るより外に途がない」と思う程に、真の暗闇となりました。
 ああこの時に私の憂い悲しみをいかにして言い表しましょうか。かかる当惑の中に、いかなる手段を取ればよろしいでしょうか?まず一番良き方法としてこの誘惑を早く修練長に打ち明けようと決心し、聖堂から彼女を呼び招いて恥ずかしく思いながらも私の霊魂の状態を詳しく打ち明けました。幸いにも彼女は私乗りも明らかに私の心を悟って居られましたので、私の心配に対して微笑みながら私に全く安心を与えてくださいました。許より私の子の謙遜の仕業によって悪魔が不思議にも逃げ去り、私の憂い悶えを告白する事を妨げて、段々と自分の罠に導こうと努めておった悪魔が、失敗したばかりでなく却って私の罠に陥ったのであります。私はこの恥をもっと増そうと思って、なお親愛なる母様にも!これをことごとく打ち明けました。すると母様も親切に慰めてくださいましたので、私の疑問も全く散ってしまいました。
 この誓願式、9月8日には朝から平和が我が心に満ち溢れたので、一切の知識に優れたこの平安(フィリピ4の7)の中に誓願を致しました。私はこの日に願った恩寵は如何ばかり多くありましたでしょう。その時私は実際に「女王」であるというように感じましたので、この「女王」の名義を利用して、忘恩なる僕等の為に王様の恩恵と慈悲を願ったのであります。そしてその願いの中には誰人の事をも忘れず、世界の全ての罪人を改心させたい。また煉獄の中に一つの霊魂をも残したくないと望み、なおその上に私自身の為に望んでいたことを書いてある左記の書き付けを胸にあてておりました。
「私の天配なるイエズス様よ、願わくは私の洗礼の時の白い衣服を少しも汚さないように計らってください。私のこの現世に於いて一番微小な罪悪をも知りつつ犯して、己の霊魂を汚すよりはむしろ死なせてください。どうか主のみを探し主のみを見当たるように計らってください。被造物は私にとって何の値打ちもないようにし私も被造物にとっては何の値打ちもないようにするよう取り計らってください。そして現世の事は一つでも私の平和を乱さないようにして下さい。
 主イエズス様よ、私は唯平安のみ御願い致します。平安殊に極まりなく限りなき愛を御願い致します。イエズス様よ、私は主に対する愛に殉教するよう……心の殉教かあるいは肉身の殉教を与えてください。ああ!むしろ乞い願わくは二つとも与えてください。
 私の約束したことを完全に果たすように計らってください。誰も私に注目しないように、そして私は砂礫のように人々の足に踏まれて忘れられるように計らってください。ああ深く我が愛する御者よ。すべての被造物(悪魔も人々も自己も世間の事も)決して妨げることが出来ない様、いつも主が私の中にその聖慮を完全に行いなさるよう、私を主に捧げます……」と。
 この愉快な日の晩、私は式の時に用いた薔薇の花冠を慣例によって聖母の御像の御足の許に置きました。この大いなる我が幸いはいくら年月が経ても決して減らないという事を深く感じておりました。


小さき花-第8章~1

2022-10-09 14:26:07 | 小さき花

 第8章
 
  母様!私は誓願を立てる前の黙想会についてお話を致しましょう。この間は慰めを受けるというよりも却って見捨てられたようにこの上もない無感覚でありまして、イエズスはいつも私の小さき船(霊魂)の中に眠っておられました。ああ聖主を心の中に、静かに眠らせ参る霊魂等は至って稀であります。私はこの事をよく悟っております。この良き御主は進んで聖寵の種々の勧めをもって御慈しみを垂れ、人々の心をご自分の方に惹こうと、絶え間なく働き疲れておられるから、私が静かに主を休め参らせたい気があるのをご覧になって、甘んじて私の心の中に休み給うのであります。主は大方私が永遠の大黙想会(天国)に入るまで御眼を醒めますまい、しかし私はこれを辛いというよりも、却ってこれが為にこの上もない愉快であります。
 まことに私はなかなか聖女ではありません。ただこの志だけでこれを証明しております。即ち私は自分の心の中に起こる無感覚の為に喜ぶよりも私の不熱心と不忠実に帰せねばなりません。また私は黙想の間や感謝の祈祷の間に度々眠ったという事を悲しまねばならない筈であります。しかし私はこれをあまり嘆きません。私は幼き子供等の眠っている時でも目覚めている時と同じ様にその親たちの気に入る、また医師は大手術を為す為に患者を眠らせるという事をも知っております。なお聖主は私等の弱き事、又私等が塵に過ぎない者であるという事をよくご存じであろうという事をも知っております。
 かくのごとく私のこの誓願式の前の黙想会も……また後の黙想会も大いなる無感覚であって、少しの慰めをも得ない黙想でありました。しかし私は知らず知らずのうちに、天主様のお気に召す方法と徳を行う方法とを明らかに下されたのであります。イエズスは私に糧食を蓄えるさせるという聖慮がないという事を度々経験致しました。即ち主は必要のある度毎に必ず新しい代わった糧を以って私の霊魂を養って下さいます。そして私はこの糧がいかにして与えられたかという事が分からぬままにこれを受けているのであります。つまり私はただこう思っております……私の貧しく弱き霊魂の奥底に深く隠れておられるイエズズ様は、不思議な方法によって私の心の中で働かれ、現在ご自分の為に何をして欲しいかという事を、その都度私に示してくださるのであろう……と。


小さき花-第7章~9

2022-10-08 06:17:14 | 小さき花

 イエズズ様は私に教えて下さったところに立ち戻りましょう。ある夜、修課が終わって後ランプを捜しましたが、いつも置いてあるところにありませんでした。折り悪く断じてこの時は断じて無言を守らなければならない時間でありましたので、他人に尋ねることが出来ません。その時私はこれは疑いもなく一修道女が間違えて、私のランプを持って行ったのでしょう……しかしこの為に暗闇のところに1時間も辛抱しなければならないのか?……殊にこの夜はいろいろの仕事をしたいと思っていたので、もし私の霊魂を照らしていた聖寵の光がなかったならば、私は呟いていたの相違ありませんが、幸いにも聖寵の光を受けておりましたお陰で憂いを感じるに反して却って大いに喜びました。この清貧の徳はただ気にいる事や、不必要なものが欠けているのを辛抱するのではなく、是非なければならないものが欠けて居るのを辛抱する事があるという事を思いましたので却って大いに喜びました。このように私の身体は暗闇の中におりましても、霊魂は聖寵の光に照らされておりました。
 その時私はなお一番不便利と一番醜い器具を、殊更に愛するようになりました。例えば私の部屋に立派な小さな水がめが備えられてありましたが、この代わりとして疵のある粗末な水瓶が備えられた時に喜びました。また私は何事も言い訳をせぬようにといろいろ力を尽くしておりました。これは至って難しい事であって、修練長には何事も言い表さなかったので、この言い訳をしないという事が尚更に辛くありました。私の最初の勝利はそんなに大きな勝利ではありませんでしたが、しかしなかなかに得難くありました。
 ある日誰かが小さい器物をある窓の上に載せて置きましたが、この器物は落ちて壊れました。修練長は、この器物をこの窓に置いたのは、私の所業であろうと思って、私に「これから後、よく注意しなければなりません。少しも起立がない」と不満足気に申しました。しかし私はこれが私の仕業でないという事を言い訳をせず、直ぐに地に接吻しながら「これからよく注意いたします……」と申しました。この時私は徳が足らなかったために、こういう些細な犠牲も非常に辛くありました。そしてこれをするだけの勇気を得るために「公審判の日には何事もみな公になる」という事を考える必要がありました。
 また私は徳に気をつけていましたのは、隠れたる善徳の所業を努めることでありました。例えば他の修道女達が忘れていた衣類を畳むことを楽しみとし、人知れず彼女等の世話をするいろいろの機会を探していました。種々の苦業を愛する傾きをも得ました。しかしこれに応じて行くためにまだ許可が与えられません。ただ許可されていた苦業は、私の自愛心を挫くための苦業だけでありましたが、これが私にとって却って身体を苦しめる苦業よりもなお一層の利益となりました。
 聖母マリアは私の霊魂を飾るために力を添えて下さいました。その装飾が終わってから後は自然に妨げが無くなりました。そして誓願を立てる日が1890年の9月8日と決定しました。私は唯僅かの言葉を以って言い表した事を更に詳しく書くには、まだ沢山のページが必要です。しかし、この沢山のページは決してこの地上では読まれません……。

第7章終わり。以降第8章。