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小さき花-第8章~3

2022-10-16 17:50:02 | 小さき花

 私はちょうどこの聖母マリアのご誕生日、聖主の配偶者となるには、如何にも適当した立派な祝日ではありませんか。生まれたての「小さき」聖母マリア様は、ご自分の「小さき花」テレジアを「幼き」イエズス様に献げた御方であります。この日は何も彼も皆「小さく」ありまして、ただ小さくなかったものは私の受けた恩寵、平和、喜悦とでした。即ちその夜空の美しい星を仰ぎ眺めながら私も「間もなく」永遠の幸いの中に於いて天配と一致する為に、天国に昇るという事を考えながら平和、喜悦、恩寵はなかなかに「小さく」ありませんでした。
 9月24日、被巾(ヴェール)を冠る式(真の修道女となる式)がありました。が、この祝いは涙を以って覆われました。即ち父の病気は意外にも重くなりましたので、その女王の式に与ることが出来ませず、ウゴネン司教様もまた式が始まる間際に妨げが起こって来られませず、なおその他にも種々の事情があったためにこの日にはただ憂いと苦みだけが混じっておりました。が、しかしこの苦い杯の底にはいつも平和が潜んでおりました。この日私はイエズス様の摂理によって涙を流さずにおられないようになりました。そして誰もこの涙の理由を悟りません……私はこれよりもなお大いなる試しを涙を流さずに耐え忍んでおりました。これはその試しに逢う度毎に大いなる恩寵を受けて強められていたからであります。しかしこの24にchいにはなお私の能力だけに任されたものですから、涙を流し私の能力がいかほどに弱く小さき者であるかという事を示されました。
 越えて8日の後、従妹のヨハンナがネールという医学士と結婚しました。そしてヨハンナは結婚後最初に修道院に訪ねて来た時、夫に対して尽くして居るいろいろの親切を言い表しました。私はこれを聞いて大いに感動し、一人思うには「私が親愛なるイエズス様に対しても世間の人の婦人がただの人間の夫対して心を尽くすほうが優れているという事を言われないようにしたい……」と、それで新しい熱心に励まされ、私の霊魂を神聖なる配偶とせられる為に私を高めて下さった、王の王たる天配の御意に召すよう以前よりも一層努めました。
 私はヨハンナの結婚の報知の手紙を見ましたから、何が私に感動を与えたか、またこの地の縁組の誉れがイエズス様のはいぐうしゃになる誉れと比べると如何にも劣るものであるという事を示す為に、次のような報告文をしたためて修道女らに読み聞かせました。
「全能なる天主、天地の創造主、世界万物の最上の主権者と、そして天使諸聖人の元后たる聖母マリアは、王の王、主の主なる御子イエズス様と小さきテレジアとの霊的の婚礼を知らせて下さる、この小さきテレジアはただいま、その天配から結納として与えられたる国々の女王中の女王たる聖き名を「幼きイエズスのテレジア」と「聖き面影のテレジア」と名付けられました。イエズスの御幼年と御苦難によって爵位を賜りました。そして1890年9月8日に「カルメル会修道院」の中に於いて行われた結婚の祝いには、ただ天上の諸天使諸聖人のみ列席する事が許されたのであなた達を招く事が出来ませんでしたから、明日……即ち永遠の入る日に於いて行われる婚礼後の里帰りに……御子イエズス様は天の雲に乗って、光栄の中に大いなる威光を以って、生きている人と死んでいる人とを審判するために降臨されるその日に招待いたします。時間はまだ正確に決まっておりませんからどうかいつでも差支えのないよう、充分覚悟して待っていて下さるようにお勧め致します」……。
 母様、唯今何を申し上げましょうか……。私はあなたの前でイエズスに身を捧げました。あなたは私の幼年の時からの事をよくご存じでありますから、私の神秘を書く必要がないと思います。それで万一私が修道生活の話を省く事がありましてもなにとぞ赦してください。
 私が誓願を立てた翌年、黙想会がありまして、その時に多大の恩寵を受けました。私は説教を聴かされる黙想会は辛くありましたが、今度はいつもと反対でありました。この時の黙想会も大いに苦しみに遭うと思いましてその前、9日間熱心に祈禱をして、この黙想会の予備を致しておりました。この黙想会の時に説教のために選ばれた司祭は、修道生活をする霊魂を完徳に進ませるというよりも、疑いもなく罪人を改心させるに妙を得ているという噂の高い御方でありました。私はこの司祭の説教によって大いに慰めを与えられたのでありますから私は大いなる罪人であったに相違ありません。
 私はその時に申し述べることの出来ないほどにいろいろと心の憂い苦しみに遭っておりましたところが、不思議にもこの司祭は私の霊魂の内をよく悟り、思うつぼを指すようにして、私の霊魂を完全に開かれました。この司祭は信頼と愛が最早私の心を強く惹いているにも関わらず、私はそれにあえて進まないところの信頼と愛の波の上に帆を充分に張り上げて走らせるようにせられました。
 この司祭は私に「そなたの過失が天主様を悲しませない」と申され、なお「私がただいまそなたに対して天主様の代理者である、それで天主様はそなたの霊魂について大いにご満足しておられるという事を主に代わって断言する」……と言い添えられました。



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