また喜んでおりましたのは、祭式用の聖き器具を取り扱う事と、ミサに用いる衣巾を整理する事とを許された事であります。綿日はこういう任務を尽くしには至って厚い信仰を持って居らねばならないと悟り、預言者イザヤの仰せられた「主の器具に触る者等よ、完かれ……(イザヤ書52ノ11)」という言葉を度々思い出しておりました。
母様、私はこの時とそして平素の聖体拝領後の感謝について何を申し上げましょうか。私はその時ほど慰めを得ない時がありません。これは当然の事でありましょう。私は自分の楽しみ愉快を得たいために聖体を拝領するのでなく、唯一の目的は聖主のお気に召し、イエズス様を喜ばし楽しめ奉るためでありますから、私は自分の霊魂が、少しも妨げもない、滑らかな土地の如くに考えます。それで聖母マリアにお願いして壊れ物の如き全ての欠点を取り除いて頂き、なおこの土地に天国に相応しい広大な天幕を設けて、御自分の美徳を以ってこれを飾られんことを願い、然る後に私は愛の歌を歌うために、諸天使と諸聖人を、ここに招待します。されば聖主イエズス様は、私にかくのごとく丁重に歓待されるのを必ずご満足に思われ私もまた、そのお喜びを分けて頂けるように考えます。しかし私はこういう思念があるにも拘わらず、度々心が散り眠りを催すなどの事がありますから、私は感謝の務めをよく果たさない場合にはその日一日感謝の続かす決心を致します。
母様、ご覧の通り、私はなかなか恐れの道を歩むところはありません。いつも幸福を保つ方法と自分の欠点を利用する方法を見つける事をよく知っております。そして聖主もまた私にその道に進むのを励ましてくださいます。ある日私は聖体拝領台に跪いた時、平素と違って少しの心配が起こりました。数日前から「ホスチア」(聖体のパン)の数が少なかったので私は一切れだけ受けておりました。ところがこの朝ふと「もし今日も「ホスチア」の一切れのみを受けるならば、聖主は厭々ながら私の心に降臨られるのであると思いましょう」などと、少しも道理に合わない考えを起こしました。そして聖体拝領台に跪きますと、案外にも司祭はよく分かれ離れている「ホスチア」を二つ授けてくださいました。ああ何という聖主の深き慈しみ深き愛でありましょうぞ!。
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