私が誓願を立てる少し前に、ローマから尊き教弟シメオン師が来られて特に私に与えて下さった祝福を与えられました。この祝福は私にとって、最も貴重なものでありまして、一生涯一番激しい嵐を防ぐために、確かに大いなる力があったのであります。
この大切なる誓願式の日の曙の前夜常に大いに愉快に過ごされるこの夜の祈りの間、私は俄かに自分の天職がまるで夢の如く空想の如くに見えました。これは悪魔……疑いもなく悪魔の仕業であって、この「カルメル会」修道女の生活が私に少しも適当でないという事を信じさせ、私が天主様のお招きにならぬ道に進むのは、目上の人を欺くのであるという事を思わせる企てであったのであります。それでその時に私の心は修道女となるのは「天主様のお招きではないから、世間の方に帰るより外に途がない」と思う程に、真の暗闇となりました。
ああこの時に私の憂い悲しみをいかにして言い表しましょうか。かかる当惑の中に、いかなる手段を取ればよろしいでしょうか?まず一番良き方法としてこの誘惑を早く修練長に打ち明けようと決心し、聖堂から彼女を呼び招いて恥ずかしく思いながらも私の霊魂の状態を詳しく打ち明けました。幸いにも彼女は私乗りも明らかに私の心を悟って居られましたので、私の心配に対して微笑みながら私に全く安心を与えてくださいました。許より私の子の謙遜の仕業によって悪魔が不思議にも逃げ去り、私の憂い悶えを告白する事を妨げて、段々と自分の罠に導こうと努めておった悪魔が、失敗したばかりでなく却って私の罠に陥ったのであります。私はこの恥をもっと増そうと思って、なお親愛なる母様にも!これをことごとく打ち明けました。すると母様も親切に慰めてくださいましたので、私の疑問も全く散ってしまいました。
この誓願式、9月8日には朝から平和が我が心に満ち溢れたので、一切の知識に優れたこの平安(フィリピ4の7)の中に誓願を致しました。私はこの日に願った恩寵は如何ばかり多くありましたでしょう。その時私は実際に「女王」であるというように感じましたので、この「女王」の名義を利用して、忘恩なる僕等の為に王様の恩恵と慈悲を願ったのであります。そしてその願いの中には誰人の事をも忘れず、世界の全ての罪人を改心させたい。また煉獄の中に一つの霊魂をも残したくないと望み、なおその上に私自身の為に望んでいたことを書いてある左記の書き付けを胸にあてておりました。
「私の天配なるイエズス様よ、願わくは私の洗礼の時の白い衣服を少しも汚さないように計らってください。私のこの現世に於いて一番微小な罪悪をも知りつつ犯して、己の霊魂を汚すよりはむしろ死なせてください。どうか主のみを探し主のみを見当たるように計らってください。被造物は私にとって何の値打ちもないようにし私も被造物にとっては何の値打ちもないようにするよう取り計らってください。そして現世の事は一つでも私の平和を乱さないようにして下さい。
主イエズス様よ、私は唯平安のみ御願い致します。平安殊に極まりなく限りなき愛を御願い致します。イエズス様よ、私は主に対する愛に殉教するよう……心の殉教かあるいは肉身の殉教を与えてください。ああ!むしろ乞い願わくは二つとも与えてください。
私の約束したことを完全に果たすように計らってください。誰も私に注目しないように、そして私は砂礫のように人々の足に踏まれて忘れられるように計らってください。ああ深く我が愛する御者よ。すべての被造物(悪魔も人々も自己も世間の事も)決して妨げることが出来ない様、いつも主が私の中にその聖慮を完全に行いなさるよう、私を主に捧げます……」と。
この愉快な日の晩、私は式の時に用いた薔薇の花冠を慣例によって聖母の御像の御足の許に置きました。この大いなる我が幸いはいくら年月が経ても決して減らないという事を深く感じておりました。
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