(P.142~)
【人間の自己変革】
形式を論ずるときに起こってくる ひとつの原理は、美を創造するときに それに伴って起こる人間の自己変革ということです。
どのような創造活動においても、私たちは 世界を破壊し、それを また作りなおすのですが、それと同時に 必然的に、自己自身をも 作り変えるのです。
自分を変える といっても、『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby) ( アメリカの作家、スコット-フウィッツジェラルドの1925年の作品 ) の悲劇のような意味で そうするのではありません。
グレート-ギャツビーは、その服装だとか、アクセントだとか、銀行の通帳など、いわゆる外面的なものだけを 変えたのです。
私たちは むしろ、宇宙における形式の もっと深いレベルを理解した上で それを変えるのですが、それはまた 自己自身でもあるのです。
私たちは 自分の眼前の光景を 想像のなかで見るのですが、そのことは ある程度 自分の自己を見ていることでもあるのです。
そう言えば いささか奇妙なパラドックスのように 聞こえるかも知れませんが、そうしたことは、どんな創造的な人にも あることなのです。
「創造的な人は、自分の仕事をしているときに、自分の生涯の努力について 見通しを もっていることが多いのです。
つまり、自分で自分自身 小宇宙(コスモス) を創造しているのです」と、創造性研究の心理学者 フランク-バロンは 述べております。
いわば どんな精神でも、人生を 生きすすんで行くうちに だんだんと自分を ひらいていくのです。
創造的な人間というのは、自分の音楽とか 美術のなかから ある秩序を生み出そうとするばかりでなく、自分自身の人生のなかにも ある秩序を作ろうとするのです。
芸術のなかでは 自分の形式を たえず探求していくのですが、そのことは 自動的に自分自身の統合を求めることになり得るのです。
そのことの もっともはっきりした例が ベートーベンの生涯なのです。
(つづく)
【人間の自己変革】
形式を論ずるときに起こってくる ひとつの原理は、美を創造するときに それに伴って起こる人間の自己変革ということです。
どのような創造活動においても、私たちは 世界を破壊し、それを また作りなおすのですが、それと同時に 必然的に、自己自身をも 作り変えるのです。
自分を変える といっても、『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby) ( アメリカの作家、スコット-フウィッツジェラルドの1925年の作品 ) の悲劇のような意味で そうするのではありません。
グレート-ギャツビーは、その服装だとか、アクセントだとか、銀行の通帳など、いわゆる外面的なものだけを 変えたのです。
私たちは むしろ、宇宙における形式の もっと深いレベルを理解した上で それを変えるのですが、それはまた 自己自身でもあるのです。
私たちは 自分の眼前の光景を 想像のなかで見るのですが、そのことは ある程度 自分の自己を見ていることでもあるのです。
そう言えば いささか奇妙なパラドックスのように 聞こえるかも知れませんが、そうしたことは、どんな創造的な人にも あることなのです。
「創造的な人は、自分の仕事をしているときに、自分の生涯の努力について 見通しを もっていることが多いのです。
つまり、自分で自分自身 小宇宙(コスモス) を創造しているのです」と、創造性研究の心理学者 フランク-バロンは 述べております。
いわば どんな精神でも、人生を 生きすすんで行くうちに だんだんと自分を ひらいていくのです。
創造的な人間というのは、自分の音楽とか 美術のなかから ある秩序を生み出そうとするばかりでなく、自分自身の人生のなかにも ある秩序を作ろうとするのです。
芸術のなかでは 自分の形式を たえず探求していくのですが、そのことは 自動的に自分自身の統合を求めることになり得るのです。
そのことの もっともはっきりした例が ベートーベンの生涯なのです。
(つづく)